2002/11/09 朝日新聞朝刊
米を追認するだけの国連 安保理がイラク査察決議採択
五十嵐浩司
強力に推すのはたった2カ国で、百数十カ国が反対しても押し切られてしまう。おかしな話だ。
国連安全保障理事会の対イラク決議採択の動きは、国連と安保理が抱える矛盾をまた示した。
そもそもの問題はイラクが大量破壊兵器の査察に真摯(しんし)に応じないことなのは確認しておきたい。だが、米国が査察のためでなく、武力行使へのお墨付きとして決議を求めたのも明白である。
中東泥沼戦争の危険性がある、アフガニスタンがまだ不安定なのに、フセイン大統領には抑止力が効いている、とにかく戦争反対――理由はどうであれ、国連加盟国に武力行使を危惧(きぐ)する声が圧倒的だったのは間違いない。
国連は世界平和のための機関だ。憲章にそう書いてある。だが、実際は理念より政治の力学で動いていることもまた事実である。例えばベトナム戦争は米国の、イラン−イラク戦争はソ連(当時)と米国の意向で安保理にかけられていない。
今回の8週間余に及ぶ安保理の論議で目立つのは「米国以外に核がなく、真剣な抵抗勢力が消えたこと」だとある国連幹部はいう。フランスとロシアが見せた抵抗も最初から腰砕けの印象が強かった。冷戦が終わって十余年。一極時代の米の存在は、「反テロ連合の盟主」という肩書が加わって強大になっている。
今回の決議を巡る動きは、どちらに転んでも国連の威信を損なうものではあった。米国は否決されたら単独で軍事行動に出ると脅した。安保理がイラクの「重大な違反」に目をつぶれば「今後はリトルリーグ級国家でしかプレーできない」と、保守派の論客であるニューヨーク・タイムズ紙コラムニスト、サファイア氏はせせら笑っている(10月28日付コラム)。
一方、決議の採択は米政策の追認を意味する。「米国はこれまでも安保理の承認を自国の政策を『世界の政策』にするために使ってきた」(ニュースクール大学のシュレジンジャー教授)。戦争の正当化に国連がまた使われかねない。あまりにも強大な一国が仕切る時代の国連の限界を、今回の決議採択は端的に示している。
限界を破る手だてはないものか。それには国連自体が強くなるしかないと多くの識者が口をそろえる。国連は加盟国を集める「器」に過ぎないのだから、強くするには一つひとつの加盟国がより力強くその主張を繰り返すことだ。
57年前の現実に合わせた機構の改革も安保理の5常任理事国が拒否権を持つ以上、やはりその他の国々が声を上げ続けるしか手はない。
シュレジンジャー教授は、そうした声の積み重ねがやがて、米国と力の均衡をとるもう一つの「極」に国連が成長する可能性に期待する。
今回の決議はイラクが履行義務に違反したら、もう一度安保理で協議すると規定している。今回はないがしろにされた百数十カ国の声をそこに反映させるにも、一つひとつの国が主張を繰り返すしかないだろう。その集積がやがて力となる。
(ニューヨーク支局長)
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