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第1章
更生保護事業におけるソーシャル・スキルズ・トレーニング
1. 行動的・認知的研究の発達とSST
 1970年代にアメリカやイギリスで、社会学習理論や行動療法についての研究に基づいて「適切な行動をとる事を学ぶ必要のある人たち」に新しい援助法が実施されるようになりました。この方法はソーシャル・スキルズ・トレーニング(以下、SSTと言います。)と呼ばれました。SSTの新しいところは、一つの具体的な対人行動を小さな段階に分けて、一つひとつの部分をあらかじめ指導者と一緒に模擬場面で実際に練習してみて、その後に現実の場で実行するという懇切丁寧なやり方にあります。これまでの、口で教える、助言する、励ますという方法だけではなく、スポーツのコーチのように、職員が本人に説明し、やってみせ、本人に職員の目の前で練習してもらうという方法なのです。いろいろな研究によって、保護的な環境のなかで、専門家に助けられながら、体を使って体験的に対人行動を学んでいくこの方法は効果的であることがわかりました。
 1980年代には認知療法がさかんになってきました。そこでSSTは認知療法の考えも取り入れ、行動ばかりでなく認知(考え方)の改善にも焦点をあてるようになり、一層の効果をあげるようになってきました。現在、SSTは認知行動療法の一つに位置付けられています。
 行動練習が必要な人たちは非行や犯罪の問題を持つ人ばかりではありません。SSTはさまざまな原因から対人障害を持つ幅ひろい人たちが対象です。子供から大人まで、英語圏の人びとから、それ以外の世界各地に広まってきたのです。
 先進国の矯正教育や更生保護事業においてもSSTが広く実施されています。その目的は対象者の生活力をつけることにあります。性格を変えようとするものではなく、生活する力を少しでもつけるように助けるのです。対象者本人が日常生活で体験する人と人との関わりについて理解を深め、いまとっている対人行動のよいところをさらに伸ばすことによって、自信と生活力を増すことが一番の目的です。
 
 わが国には1988年から精神科リハビリテーションの一方法としてSSTが導入されました。治療効果があったので、いまでは精神科専門治療法として健康保険の支払い対象になっています。矯正教育と更生保護事業の分野でも1990年に入ってから実験的にSSTを試みるところが出てきましたが、本格的に導入されるようになったのは、90年代の半ば以降です(巻末の論文をご参照下さい)。対人行動学習は早く始めれば、早いほど効果があがりますので、矯正教育と更生保護の緊密な連携が望まれます。
 SSTはいま、通常の学校教育にも広まってきています。友達を作れない子や人と一緒に遊べない子が増えてきたからです。1995年にはSST普及協会という全国組織もでき、いろいろな研究・研修事業を展開しています。
 分野によってソーシャル・スキルズ・トレーニング(SST)にはいろいろな訳語が使われ、まだ統一されていません。生活技能訓練、社会生活技能訓練、社会的スキル訓練、社会的スキル学習援助法、などといろいろな言葉で呼ばれていますがみな、同じ方法です。
 
 更生保護施設の目的は被保護者(以下、本書では被保護者のことを便宜上「寮生」と呼んでいきます)本人が健全な社会生活を営むように補導するところにあります。職員ほか関係者は面接、カウンセリング、コラージュ、その他の治療的・教育的・レク的集団活動・生活指導や行事など、さまざまな活動を通して寮生を支援しています。SSTはその中の一つのプログラムにすぎませんが、他の活動と連携するといい効果をあげることができます。他の処遇方法と連携するために、以下のようなSSTの特色を理解しましょう。
 
SSTの特色
1)SSTは寮生が実際の行動をとるまえに「行動リハーサル」、つまり、行動を前もって練習しておく方法です。現実の場面で成功するように準備をしておくのです。
 
2)SSTでは寮生の「悪いところ、できていないところ」に目をつけるよりも、「いまできているところ、よくやっているところ」に着目し、寮生自身の「希望」を尊重します。SSTは「希望志向的接近法」と呼ばれています。
 
3)行動学習のための特別の機会を作り、計画的に指導をすすめます。グループで学習すると効果があがるので、グループSSTが一般的です。一人の寮生だけに行なう個人SST(ひとりSST)もあります。面接時にぜひ、SSTを取り入れて下さい。グループSSTと個人SSTを組み合わせて練習するとさらに効果があがります。
 
4)SSTでは本人の生活目標に直接関連した課題を選んで練習します。「実生活で役に立つ」、これが最も重要です。
 
5)SSTでは行動ばかりでなく、寮生が相手の話をどう理解しているか、寮生と相手との関係をどう考えているか、寮生の状況理解はどうか、などの「認知」の働きにも焦点をあてます。この働きを「認知技能」といいますが、必要に応じて認知技能の改善を援助します。
 
6)練習したい行動をいくつもの下位の行動に細かく分け、それらのうちから、本人が一番成功しやすい行動から練習を始めます。行動療法でいうスモールステップ(小さな段階)を一つひとつ、順番に習得していく、という考えが基礎になっています。
 
SSTの意義
 更生保護施設に暮らす人たちは限られた期間しか在寮せず、練習のための十分な時間がないので、SSTの効果に限界はあります。しかし、寮生自身が本当に必要な対人行動を練習すると、一回でも大いに役に立ちます。これまで、筆者は更新会をはじめとするいろいろな更生保護施設で、多くの人の練習を手伝ってきましたが、指導の手応えを感じています。施設で練習している時よりも、実際に世の中に出てSSTが役立つことがわかったという感想も聞いています。忍耐強く取り組んでいきましょう。
 
※寮生にとっては、特に次のようなSSTの意義があると、思います
 
1)これまでの自分の考えや行動の取り方とは違う考え、違う行動があるということに気づき、刺激を受ける
 
2)新しい経験にそなえて、必要な対人行動をあらかじめ練習することができる
(例:施設にあずけている子供などとの関係を修復するための行動)
 
3)怒りのコントロールなど、ストレスのかかる対人場面での対処技能のレパートリーを増し、危機場面に対処する力を強める(例:えらそうに注意する先輩にカッとならずに対処する)
 
4)金銭管理等、生活を自己管理する実際的能力を増す
 
5)自分の生活にとって有効な社会資源とその利用法について学ぶ
 
6)自分の生活の目標を意識し、段階別に問題を片付けていく問題解決法を学ぶ
 
7)グループSSTに参加する時、人の役に立つ喜びを感じ、人と一緒に楽しく時間を過ごす体験ができる
(その他のグループSSTの効果等についてはこちらを参照して下さい。)







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