日本財団 図書館


第2部
3)生命倫理の立場から
坂本 百大
(青山学院大学名誉教授)
 
プロフィール
坂本 百大<さかもと・ひゃくだい>
1928年 東京都生まれ
<現職> 日本大学文理学部哲学科・非常勤講師、青山学院大学・名誉教授
<学歴> 東京大学大学院人文科学研究科哲学専攻修士課程修了
<職歴> 鹿児島大学文理学部哲学科非常勤講師、駒澤大学文学部専任講師、青山学院大学経済学部教授、日本大学総合科学研究所教授
<主な著書> 「人間機械論の哲学−心身問題と自由の行くえ−」1980年勁草書房、「心と身体−原1元論の構図−」1981年岩波書店、「正義と無秩序」編著1990年国際書院、「哲学的人間学」1992年放送大学ほか著書、訳書多数
 
 ご紹介いただきました坂本です。今日は、生命倫理の立場から人口問題を考えるというテーマをいただきました。私、約15年ぐらい前に日本に初めて生命倫理学会を立ち上げました。その5、6年後に今度は中国に行きまして、北京の地でアジア生命倫理学会という学会を創立いたしました。この2つの学会の活動を通じまして、日本およびアジア全体にまたがる生命倫理を研究し、推進してきたわけです。本席ではこれらの活動を通じて得られました、人口問題に関する1つの考え方をご紹介したいと思います。
 
 私はつねづね、人口問題は生命倫理を考える上でも非常に重要な課題であると考えてまいりました。生命倫理学会の中では、案外、人口問題が重要課題として討議されることは稀ですが、私自身はこの問題は生命倫理の根幹に関わる大きな問題ではないかと考えています。
 
 そこでまず、“生命倫理とは一体何であるのか”という点から話を始めたいと思います。生命倫理とは、一言で言いますと、人間をはじめとするさまざまな生物が地球上で生命現象を営んでいますが、その生命現象、あるいは生命活動というものに応用され、適用された倫理が生命倫理であると言ってよろしいかと思います。
 生命倫理も倫理ですから、やはり、倫理としての常套に従いまして、善悪=良いこと、悪いことは何かということを考えていかなくてはならないのです。今日、最初の講演をされました松井先生は、人口問題は善悪の問題ではないとおっしゃったのですが、私は、多少異論がありまして、やはり善悪を考えるという観点から、人口問題を分析することができるのではないかと考えています。
 
 それでは、その生命活動の善悪ということにつきまして、生命倫理が何をやっていくべきかということが問題になります。この点に関しまして一般に倫理にまつわる1つの迷信があります。それは、倫理には一般に、何か大きな、絶対的な倫理的価値、倫理原則というものが1つあり、それに訴えれば、あらゆる倫理現象、ことの善悪が一気に、トップダウン的に出てくる、演繹されるという考え方であります。事実そういう考え方で、倫理を考えてきた歴史があります。
 
 例えば、倫理学の最高の権威と言われましたカントなどは、『実践理性批判』という書物の中で、1つの大きな根本的、抽象的な倫理原則を提出し、その原則からすべての具体的倫理規範を導こうという理論を立てています。しかし、実は、近代から現代に至る歴史を通じまして、こういったやり方が通用しなくなってきているということが、倫理という事象についての1つの結論ではないかと思います。
 つまり、一言で言いますと、価値観の多様化と言いますか、この世界にはいろいろと異なった価値を持つ人がおります。したがいまして、ある1つの大きな絶対的価値から、すべての社会に通用する倫理規範を一気に演繹するということは、今や不可能に近い、少なくとも、非常に現実離れしているということが言えると思います。その最大の原因は、現代における価値観の多様化の傾向と申せましょう。その中に、もちろん、アジア的価値観の発掘と参入があると思います。アジア的価値観は西欧的価値観と大きく異なるものがあります。そういった新しい価値観を含めますと、全世界を通じて通用するような倫理的価値の唯一、絶対の体系というものは、おそらくあり得ないと思えるのです。
 
 しかし、最近でもまだ、あるいくつかの原則を持ち出し、それらの諸原則によってすべての倫理現象を解釈しようというような傾向の考え方があります。例えば、生命倫理の分野をとりますと、ジョージタウン大学にケネディ・インスティテユート・オブ・バイオエシックス(ケネディ生命倫理研究所)という研究所があり、そこのあるグループは、生命倫理の4原則ということを言っています。彼らは、「生命倫理の4原則」を提示し、その4原則に照らして、生命活動、生命現象、あるいは生命科学を考えていけば生命倫理の規範はすべて導出できると考えているようです。
 その4つの中に「正義」という原則があります。つまり、正義に基づいて、いろいろと考えていけば、生命倫理の原理にかなう、生命倫理の普遍的に正しい規範が得られると考えています。
 
 しかし、今や正義という言葉くらい、多様な価値観によって多様に解釈される概念はありません。例えば、今のアフガンの問題を考えてもわかるように、ある一方の人達にとっての正義は、他方の人達にとって不正義そのものなのです。したがいまして、正義をお互いが主張すると必ず戦争が起きます。まさにそのような戦争が、今度のアフガン戦争ではないかと私は見ています。
 こういった例で示されるように、ある1つの基本的な原則=金科玉条を持ち出して、生命倫理を解釈していく、あるいは人口問題を倫理的に解釈していくということは、もはやできないのではないかと思います。
 
 では、どうしたらいいでしょうか。私の考えではこれまで倫理の常套であった、ある原則を打ち立て、それを演繹的に敷衍していくやり方ではなく、むしろ、現実的に機能している、具体的で、誰にでもわかりやすい考え方や規範、規律と言いましょうか、そういうものに従って、そこからボトムアップ的に考えていけば世界各地に通用するような、倫理原則や倫理規範が得られるのではないかと考えております。また、そういう観点から人口問題も考えていくべきであろうと考えております。
 さて、そのように考えるとき、古来、最も普遍的なものとして掲げられました「正義」という倫理原則を除いて、現実に社会を動かしている具体的な倫理規範として、いったい何があるかと考えますと、おそらく、現在、最も広い社会的な協調を得られるような価値概念として、「基本的人権」という考え方があるのではないかと思います。基本的人権と言いましても、これもまた、その根拠も実質も何だかわからないと言えば、わからないのですが、比較的、人々が致して、それは守らなければいけないと思い、それは、侵されてはならないというふうに身近に感じているという意味で、ユナニマス(全員一致の)合意が得られるのではないかと考えられます。
 
 要するに、生命倫理における善悪の規範を“基本的人権を侵さないこと”、“基本的人権を侵さないで、生命活動をしていく”、あるいは、“基本的人権を侵さないで生命科学を、現実の世界に適用していく”というような具体的な基準から積み上げて考えていくことが最も適切と言いましょうか、有効な手段となるのではないかと思います。
 したがいまして、“生命倫理とは何か”と言いますと、今の私の定義に従いますと、人口問題をはじめとして、いろいろと人間の生命活動に関わる新しい現象や状況が起きていますが、また、あるいは科学技術が生命活動に介入してきていますが、そういったものを通じ、何かそこに基本的人権を侵害するということが起きないような形で、倫理的な統合を図っていくということが、生命倫理における具体的な倫理規範を策定していくための一番有効なやり方ではないかと考えています。
 さて、こういう考え方から人口問題を考えてみますと、大変困ったことが起こります。それは、人口問題は、それに対する政策を我々が考える場合に、そのほとんどが、基本的人権の侵害の上に成り立っているということなのです。
 
 人口問題は、端的に言えば、いかにして人口を抑制するかということだろうと思いますが、この人口を抑制するという考え方は、実はある視点から見れば、基本的人権の最大の侵害となります。人間は生きていますし、また、生まれてくるわけです。好きなときに好きなだけ子供を産むというのは最大の基本的人権であるわけです。そういうものを制限するのは、人類、人間にとって最大の人権侵害となるわけです。
 人口抑制の一番有効なやり方、これは実際に歴史において行われたのですが、それは人間を殺すことで、減らすことです。実際に、ナチはこのやり方で人口を減らしました。それから、戦争がそれであります。大きな紛争がこのところ頻繁に起こっています。歴史家の言うところによると人類の歴史において、近代では約100年ごとに大戦争が起きていると言います。そうすれば大戦争によって人口が減ります。例の有名なドイツの30年戦争においては、ドイツの人口が3分の1に減ったと言われています。そういうことが、100年ごとに起こっています。これは一番有効な人口削減・人口抑制のやり方です。
 
 しかし、これは今さらできませんし、それから予想されるところによりますと、これから大戦争は起きにくくなっています。だから、そういう手段に訴えて人口の抑制をすることはできません。そもそも殺人は最大の人権侵害と言えましょう。
 それからもう1つは、今日のお話にも何回も出てまいりましたが、疫病です。過去、人口が過密になると、必ず疫病が流行いたしました。そして、その疫病の結果、人口が大幅に減ってきました。ヨーロッパでは、ペストがそれでした。ペストが定期的に流行し、人口を大幅に減らしたわけです。しかし、これも、今後期待することはできません。なぜなら、現代では、非常に医学が進歩し、再々話題になりましたように健康状態も改善されています。おそらくこういったことはもう起きないでしょう。
 
 では、どうしたらよいかと言いますと、人口の抑制は、もう1つの面、つまり出生の面だけに重点的に対処するということになります。つまり、人口を抑制するためには、子供が過剰に生まれないようにすればよいわけです。ところが、子供を産むということは、これは、基本的人権の中でも最大の人権なのです。いわゆるフェミニストのグループは特にそのことを主張します。つまり、産むか産まないかの選択、また、ある時に自分が産みたいと思うだけの子供を産むということは、これは最大の基本的人権、特に女性の人権であるというように主張いたします。
 そうすると、どうしたらよいのでしょうか。人権を侵さないで、人口増加を抑制することはできない。人権の侵害と、人口の抑制ということとは、完全に矛盾すると考えなければならなくなるわけです。そういうぎりぎりのところから、生命倫理の人口問題は出発しなければならないわけです。
 ところで、実は、この基本的人権というのを盛んに主張してきたのが、実は国連であり、ユネスコであります。国連の最大の主張は、基本的人権をいかにして、この世界において実現していくかであるというふうな理念として謳われております。
 
 そうしますと、国連の理念のもとにおいては、人口抑制はできないということになります。人口問題はお手上げだということにならざるを得ません。
 そこで、このような状況の中で国連が実に巧妙な苦肉の策を打ち出したと思われるのが、カイロ宣言あたりから一般に普及してきた、リプロダクティブ・ヘルス/ライツ(人口再生産に関わる健康/権利)という概念であろうと思います。ところで、ここでヘルスとライツの間にスラッシュが入っておりますが、このスラッシュの意味がなかなかわからない。原理的に言いますと、リプロダクティブ・ライツとリプロダクティブ・ヘルスという考え方は、これは、完全に相互に矛盾するわけです。なぜなら、ヘルス(健康)は、実は、個人の権利や自由を主張することのみによっては得られないからです。健康は、社会的な所産です。社会が、全体としてあるレベルにならないと、個人の健康というものも保証されないわけです。ところで、社会全体の健康は社会的な医療技術の向上や医療制度の完備を必要とします。そのためには民主的制度のもとでは医療資源の公正な配分が要求され、時にはある特定個人の自由や権利を抑制することを必要とするからです。
 
 したがって、国連が言いだした、あるいはカイロ宣言と行動計画あたりから一般に普及しはじめたリプロダクティブ・ヘルス/ライツの概念は、要するに、人口問題を考える上で、基本的人権という考え方を少し弱めて、健康問題とのバランスをとった上で、議論するという方策、言い換えれば、基本的人権の範囲を少し制限した上で、人口問題を考えていかなければならないという1つの政策的知恵の表現ではなかったかと、私は考えるわけです。
 
 要するに、社会全体、あるいは、人類全体が生き残りをかけて、これから真剣にさまざまな政策を立案する、とりわけ、人口問題を考えていかなければいけないというときに、人の出生に関する個人の権利ということだけを主張しているのでは、これはうまくいかない。むしろ、個人の権利を抑制して、その上で、もっと社会的な、あるいはコミュニティという見地に立って、あえてトータル(全体的)という言葉を使いますが、トータルな、全体の福祉を、その上位に置いて考えるという考え方をとらない限り、今後の、21世紀の人口問題はあり得ないと考えられるわけです。
 
 リプロダクティブ・ヘルス/ライツは、個人の、特に女性の人口再生産に関わる、健康や権利をバランスよく確保することで、女性の選択肢や決定権を広げ、その結果として人口増加が抑制されるという考え方ですが、これを問題の性質から考えると、リプロダクティブ・ヘルスとライツは国連が主張しているような同じ性質の問題ではもともとないわけです。ライツは個人の問題ですが、ヘルスは社会的な問題であり、社会全体が個人に与える環境といってもよいと思います。このライツだけではなくヘルスを導入することで、結果として社会的な制約が個人の中に自己規制的に内在化されることになります。この社会的な制約を権利のうちに内在化させるという巧妙な方法がここでとられたと思うわけです。
 
 国連が是としている権利の主張だけでは人口問題は解決できません。このことに人口問題の専門家たちが気づいたのがリプロダクティブ・ヘルスとライツという考え方ではなかったのでしょうか。ライツ(権利)だけではなくヘルス(健康)という考え方も重要です。ヘルスは・明らかに社会的な所産です。そういったものを入れることで、もう一方の権利(生む権利)を抑制し全体のバランスをよくしていくという考え方の上に立って、人口問題を解決していこうという1つの方針を明らかにしたものと思いまして、私は人口会議が非常に巧妙な方針を示したというように評価したいと思っています。
 
 ところで、今、「全体」ということを申し上げましたが、「全体」は、実は、「全体の経済」も意味するわけです。今回もいろいろな先生方のお話に出てまいりましたのは、経済状態が大きく権利を圧迫している。少なくとも健康というものに関して、それを阻害しているのです。要するに、経済のアンバランスです。ある意味で世界の経済はそのグローバル化に伴い、非常に発展を遂げております。しかし、ある先進国で経済が発展しているということは、今度は逆に、その繁栄が、貧しさに苦しむ最貧国を生んでいるという事実があるわけです。これについては、いろいろと実証データがあります。
 つまり、富の偏在が、非常に大きな貧困を生み、そして結果として、その人達の健康をむしばんでいるということになるわけです。ですから、これは単に人口問題ではなくて、経済問題というものに関係してくるのではないかと思うのです。







日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION