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ラオス国会議員団が訪日
須坂・佐久(長野)で農村の“母子保健”を研修
 本協会は、国連人口基金(UNFPA)・国際家族計画連盟(IPPF)の支援により、毎年アジアの国会議員による日本の視察(受入事業)と日本の国会議員によるアジアの視察(派遣事業)を実施している。今年の受入事業は、ラオス国の国会議員団(トンパン・チャンタラーノン団長ほか三名の国会議員)が七月八目(月)〜七月十二日(金)の日程で日本の人口・開発事情視察のため来日した。
 ラオス国の人口は約五百万人、その八割以上が農村に住んでいる。現時点でのラオスの人口増加率(約二・五)から将来的な食糧不足も懸念されている。今回の視察では日本の人口・公衆衛生問題の克服と経済発展に着目し、特に戦後の日本における母子保健活動や農村医学の普及について学んだ。
 
阿藤・国立社会保障・人口問題所長(右)の講義をうける訪日ラオス国会議員団
 
7月8日(月)
7:30 成田空港着
 
14:00  
国立社会保障・人口問題研究所を訪問。阿藤誠所長が「日本の人口転換と経済発展」について講演。
 阿藤所長は、「一般的に近代化を達成すると、死亡率が低下し人口転換が起こる。人口転換の開始と共に人口は増加する。そして女性の高学歴化・晩婚化など様々な影響を受け出生率は低下し、人口転換の終わりと共に人口減少(少子・高齢化)時代となる」と、多産多死、多産少死、少産少死という人口転換の過程と経済発展の関係について、様々な統計を基に説明した。阿藤所長は、日本、米国、ヨーロッパ諸国などの人口構造・政策の違いについても述べ、どの国の政策が正しいというわけでなく、それぞれの国がその国に合った政策を策定することが重要であると説明した。また、日本の経済発展と人口転換の歴史を踏まえて、今後のラオス国の人口政策を考えて欲しいと述べた。
 
18:30 国際人口問題議員懇談会(JPFP)主催の歓迎タ食会
 鹿野道彦・JPFP会長代行、清水嘉与子・JPFP事務総長、谷津義男・JPFP幹事長が出席し、国際人口問題議員懇談会主催の歓迎夕食会が開催され、ラオス訪日議員団との交流を深めた。トンパン・チャンタラーノンラオス訪日議員団長は、今年九月に召集される国会で、人口問題に関するラオス国内委員会を設置する予定であると報告し、ラオス国が人口と開発に関するアジア議員フォーラム(AFPPD)の正式メンバーになる強い意志があると述べた。
 
ラオス訪日議員団メンバー
(議員四名、事務局一名)
トンパン・チャンタラーノン・社会文化委員長
ソンブーン・ソンティクマーン・法務委員
ソンオック・キンサダダー・社会文化委員
オーライ・コーンブアカム・社会文化委員
ペットッラー・タンタヴォンサー氏
 
7月9日(火)
9:30 狩野安・厚生労働副大臣表敬
 狩野厚生労働副大臣は「人口問題はアジアにおける最大の問題である」と述べ、日本のこれまでの知識・経験をラオスの人口問題解決に役立てて欲しい、とラオス訪日議員団を歓迎した。これを受けて、公衆衛生副大臣の経験もあるトンパン・チャンタラーノン団長は、今後ラオス国に合った人口政策を策定・実施したいと述べた。
 
狩野安・厚生労働副大臣(左から3人目)を表敬する一行
 
10:30 家族計画国際協力財団(ジョイセフ)を訪問
 近泰男ジョイセフ常任理事が、日本の家族計画活動の歴史・現状およびラオス国におけるジョイセフの活動について講演し、「戦後、一九四八年の優生保護法制定による中絶合法化以降、日本では出生率を抑制するために中絶件数が激増した。ヤミ中絶の流行とそれに伴う妊婦死亡率の上昇を受け、一九五二年日本政府は本格的な家族計画政策に乗り出す。家族計画指導員などの活躍により、登録外のものを含め年間三百万件以上実施されていた人工中絶は今日では約百三十万件にまで減少した。しかし、近年の日本では十代の未婚女性の中絶件数が急増する傾向にあり、若者を対象とした家族計画についての適切な教育の必要性が増している」と述べた。ジョイセフの活動は人間中心をモツトーとし、ラオス国でも情報コミュニケーション分野において家族計画を推進している。ラオス訪日議員団はジョイセフがUNFPAと協力して製作したビデオを鑑賞し、ジョイセフのラオス国での活動について学んだ。
 
ジョイセフで近常任理事からわが国の“母子保健・家族計画”の歴史をスライド中心に研修
 
15:30 東京から長野へ移動
7月10日(水)
10:00 長野県須坂市永井順裕市長表敬
 永井須坂市長がラオス議員団一行を迎え、歓迎の挨拶を述べた。永江市長は大峡(おおば)元保健婦を日本の“マザー・テレサ”と呼び、彼女の五十年に渡る家族計画・保健活動からラオス訪日議員団が多くのものを学んでほしいと述べた。
 
“須坂のお母ちゃん”こと大峡元保健婦さんから戦後の農村保健活動の生々しい体験談をユーモアまじりに聞く
 
10:30 大峡美代志・元保健婦が戦後の家族計画・母子保健活動について講演
 大峡美代志・元保健婦は、二十二歳で保健婦の学校を修了して以来、須坂市で保健婦として活動してきた。「戦後間もない頃の須坂市は、飢えと貧困に悩まされていた。水道など基本的設備が整っておらず、赤痢・寄生虫が蔓延していた。どこの家庭でも子供が一ダースいるのが当たり前で、母親達は畑仕事に忙しく子供の世話をする暇もなかった。衛生状態が悪く、寝かせている子供の顔や手にはハエが真っ黒にたかっているありさま。当時は乳児死亡率も非常に高く、新生児八○に対し一〇児ほどが亡くなっていた。また、中絶率も高く、当時は出生率の三倍もの中絶が行なわれていた。そのため、『おしどり会』と呼ばれる家族計画に関する勉強会を設け、村の夫婦が参加しコンドームの使い方など学んだ。村の診療所には半身不随の医者が一名勤務しており、その医者の指示の下、昼夜を問わず保健活動に従事した。保健衛生状態の向上には住民の参加が不可欠であるから、寄生虫の駆除活動など、村中の人々を集め教育した。大きな釜に虫の駆除薬を入れて沸かし、茶碗で全員に飲ませたところ、回虫が出るわ出るわ、最も多い者は二百七十匹も出て驚いた思い出がある。手洗いも励行したり、素手で物を掴んで食べる習慣も止めた。その結果、同市では昭和三十三年に寄生虫の撲滅に成功した。また、保健婦の活動を支えるため、住民によるボランティアの保健補導員制度(任期二年)が設けられた。」と戦後の保健婦の活動について述べた。大峡美代志・元保健婦は、どの国においても人々が本当に現状を変えたいと思う強い意志が重要であり、リーダーから住民に至るまで全員にその意思があればラオスでも須坂市同様家族計画の普及、公衆衛生の向上が可能だと述べた。
7月11日(木)
佐久総合病院前でラオス国会訪日議員団と
 
9:30 長野県佐久市の佐久総合病院を視察
 清水茂文院長が一行を出迎え、国際保健医療科の出浦喜丈医師がスライドを使って同病院の組織・運営など全般にわたって説明した。その後、農村医学の先駆者である若月俊一医師の活動に関するビデオ「地域住民ともに五十年」を鑑賞し、“農夫症”と呼ばれる農民特有の病気の予防活動などについて学び、同病院内を見学。JA長野厚生連により運営される同病院は「予防は治療に勝る」「早期発見・早期治療」という理念の下、患者を第一に考えた医療制度を確立している。現在は海外からの視察者も多数訪れており、研修者は地域住民への保健教育の重要性などを学習している。ラオス訪日議員団メンバーで国会議員兼医師であるソムオック・キンサダー氏は、健康管理に重点を置く同病院の理念、運営について熱心にメモをとっていた。一行はビデオの英語版をプレゼントされ、帰国後各地で放映して普及・啓蒙したいと語っていた。短時日ではあったが、今回の受入は、一)ラオスの現状が戦後の日本とよく似ている。二)山の多い農村地帯である長野とラオスの農村地帯にあらゆる面で共通点が多い。三)佐久・須坂地域がわが国の農村保健活動、家族計画運動の先進地域であることなどから、同議員団に数多くの手応えと示唆を与え、有意義であった。
(望月純子)
出浦医師から農村医療の実践についてスライドを使って説明会をうける
 
病院内を見学する一行
 
14:30 長野県より東京へ移動
7月12日(金)
19:00 成田空港発ラオスヘ帰国







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