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おわりに
 現在の米国造船業界において、中心的な技術開発プロジェクトであるNSRP ASEを中心に、米国における造船技術開発に対する公的支援制度をとりまとめた。
 
 報告書本文にもある通り、米国造船業界の研究開発は、ほとんど海軍に依存しているといって良い。造船業界のR&D経費の出所を調べると、実に40%強が連邦政府(ほとんどの場合、NAVSEA、ONR等の海軍組織)からの助成であることが判るが、政府の助成は、通常、コストの50%止まりである。このことは、米国造船業界では、造船会社自らが実施している研究開発プロジェクトがほとんど無いことを示している。
 
 ブッシュ大統領は軍事費を拡大する傾向にあり、特に同時多発テロ以降、顕著である。しかし、軍事予算には好意的なブッシュ政権においても、海軍艦艇建造予算は冷遇されており、新造艦艇の発注ペースはクリントン政権時代とほとんど変わらない。象徴的であったのは、海軍が次期主力駆逐艦として研究開発を進めてきたDD−21級ステルス駆逐艦が、ラムスフェルド国防長官が打ち出した「21世紀に向けた新しい米軍戦力構想」から外されてしまったことがある。これは、軍事技術的に有効性が低い、と判断されたことが最大の理由とは思われるが、建造コストが非常に高くなると予測されたことも無縁ではないと思われる。国防総省がDD−21級プロジェクトの替わりとしたのは、より小型で汎用性の高いDDX級の研究開発である。DDX級は、小型(1,000排水トン程度、といわれている)である上、かなりの数の調達が予想されることから、当然その建造コストが圧縮されることが期待されている。
 
政権も議会も、一部の造船関係議員を除き艦艇建造予算には冷淡である。これには艦艇の建造コストが極めて高く、コスト・パフォーマンスが悪いという見方があることが無関係ではあるまい。海軍も高い艦艇建造コストには危機感を抱いており、NSRP ASEでは「艦艇の建造コストを削減すること」を第一の目標に掲げている。艦艇の建造コスト削減は、当然、商船建造コストの削減にも有効であり、海軍としては商船建造需要(といってもジョーンズ・アクトにより保護されている内航船)を喚起できれば米国造船業界の安定にも寄与すると考えているのであろう。このことは、NSRPASE以外の海軍の技術開発助成プロジェクト、例えばMANTECH等でも同様の傾向が見られる。ある造船技術関係の会合で、海軍のNAVSEAの責任者は、米国造船業界は出来高払いでコストが確実にカバーされる海軍艦艇建造に依存しすぎており、契約べースで仕事を請け負うという造船業の基本を忘れてしまっている、として「米国造船業界はカルチャーを変えなければならない」と強調していた。現在、海軍の助成により進められている各研究開発プロジェクトが、実際に艦艇建造コストの削減に繋がるか、極めて興味深いところであり、今後ともモニターする必要があろう。現在の新造艦艇発注ペースが続けば、大手6社体制(ノースロップ・グラマンのニューポート・ニューズ、アボンデール、インガルスとゼネラル・ダイナミクスのエレクトリック・ボート、バース・アイアン・ワークス、NASSCO)は、維持できないと見られており、大手造船所の閉鎖という事態にでもなれば政治問題化することも予想される。
 
 一方で米国造船業界は、大手も含めて経営環境が厳しさを増しており、自前でR&D経費を捻出することも困難になりつつある(海軍をはじめとする連邦政府への依存は上記のとおり)。さらに多くの技術者が造船業界から離れており、人的にも技術開発能力が低下している。これには、フリード・ゴールドマン・ハルターの経営破綻やノースロップ・グラマンによるインガルスとアボンデールの設計部門統合に代表される企業リストラの影響もあろうが、やはり厳しくなる経営環境と技術者自身が造船業界への展望を持てないことが大きいと思われる。筆者と親交のあった造船技術者の内、この一年で3人が造船業界から離れたが、やはり造船業界の将来に展望が持てないことが転職の大きな理由だとしていた。
 
 さらに、R&D費のスポンサーである連邦政府にしても、造船部門は振るっていない。MarAdは、ここ数年R&D費がゼロであり、技術部門も大幅に縮小されている。頼みの海軍でさえ、NAVSEAやONRの技術部門は人員削減を余儀なくされた。ブッシュ政権は軍事予算の拡大に積極的であるが、研究開発費はミサイル防衛構想を始めとする先進技術を取り入れた新分野に傾注する方針を示しており、艦艇の研究や建造技術の開発といった従来型の研究開発費が伸びるとは考えにくい。NSRP ASEは2003会計年度で終了することとなっているが、後継の技術開発支援プログラムが認められなかった場合、米国造船業界はR&D費の多くを失うことになる。R&D費の減少により、人的資源のさらなる流出を招くのは必至であり、米国造船業界の技術開発能力は一層低下するであろう。NSRP ASEの後継については、米国造船業界の今後を予測する上でキー・ポイントの一つであり、引き続き注目していきたい。
 
 ところで、NSRP ASEについては、その技術水準や有効性はさておき、研究開発体制は極めてユニークである。海軍が個々の研究開発プロジェクトを評価し、助成の是非を決定するのではなく、SNAME(Society of Naval Architecture and Marine Engineering)が主催するNSRPに制度の運用を任せており、NSRPが個々の研究開発プロジェクトを評価し、助成の是非を決め、研究開発の進捗状況を確認している。これにより、米国の造船所にとって真に必要かつ有効と思われる研究開発プロジェクトを選択できるとともに、研究開発プロジェクト相互間の波及効果についても評価できることになる。また、NSRP ASEは業界横断的な技術開発プログラムとされ、成果は参加している全造船会社で共有されることとなっている。実際に造船所間で技術移転が進み成果を発揮するか、逆に技術移転が進展しないとすればその隘路は何か、についてモニターすることは我が国造船業界や関係団体にとっても有益であろうと思われる。
 
 技術開発に関するNSRP ASE以外の公的支援制度についても、やはり海軍が主な部分を占めていた。NSRP ASEはNAVSEAに置かれているプログラムであるが、NAVSEAは海軍艦艇の修繕、艦艇用機器や兵器の研究開発に当たる海軍の外部組織である(NAVSEAは独立採算性をとっており、いわば独立行政法人に近い)。一方、ManTechを実施しているONRが海軍内部の組織であり、海軍に関係する技術情報の収集と分析が主な任務である。NSRP ASEとManTechについては、両者で調整が図られており、ManTechがNSRP ASEを補完するような形になっている。しかし、造船技術開発に関する海軍の助成をNAVSEAとONRの二部署が分担している理由は明確ではない。
 
 米国らしく中小企業に関する技術開発助成制度は、充実している。ただし、実際に米国の中小造船所がこの制度を活用できるかについては疑問がある。中小企業の範囲が「従業員500人未満の企業」とされており、これではNSRP ASEに参加している中手クラスの造船所には適用できない。このクラスの造船所であっても、従業員数は少なくとも約1,000名はあるからだ。米国では中手クラス以下の造船所は、ほとんど小型造船所であるが、この手の造船所はバージや小型船を建造しており、技術開発の必要性も開発能力も乏しいのが実際である。しかし、小さくとも「やる気」に満ちた造船所が出現した場合に利用可能な支援制度が整備されている、ということは心強い。
 
 以上、NSRP ASEの実態や進捗状況、米国における造船技術開発に対する公的支援制度等について調査してきたが、産業の盛衰と技術開発能力には密接な関係があるのは明らかである。現在、米国の造船業界は、大手が艦艇発注の低迷、中手がジョーンズ・アクト船に代表される商船需要の不振で経営環境はますます厳しさを増しており、今後とも一定水準の技術開発能力を維持できるかは米国造船業界の将来を占う上で極めて重要である。米国は「自国の安全保障に必要な造船能力を維持する」ことは国策として変更しておらず、造船業界の経営が悪化すれば政治問題化、あるいは国際摩擦を惹起する可能性が高い。この意味からも、米国造船業界の技術開発体制等については、今後とも注視する必要がある。







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