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第I部 NSRP ASEの実施状況
 1992年11月に誕生したクリントン政権は、冷戦構造終結という世界情勢の激変に対処するための革新的科学技術政策を打ち出した。科学技術政策の樹立に当たり最も影響を与えたのは1986年にマサチューセッツ工科大学(MIT)が発表した報告書『メイド・イン・アメリカ――アメリカ再生のための日・米・欧産業比較』であった。MITは産業生産性調査委員会を編成し、2年間にわたって日・米・欧の8分野の製造業を詳細に比較したのである。この報告書は米国製造業に多大な影響を与え、1993年頃までには各産業界は自助努力により構造改革を達成しつつあった。クリントン大統領は今後ほとんどの技術が試される場は戦場ではなく民間市場であること、米国が優れた基礎技術を持っていながら商業的成功に結び付ける技術において日本やドイツに後れをとっていることを率直に認め、製造分野まで含めた技術開発促進計画の枠組み作りの必要を説き、軍事技術の民生転化のメカニズムとして下記の4つのプログラムを創設した。
 
・技術再投資プロジェクト(TRP:Technology Reinvestment Project)
・先端技術プログラム(ATP:Advanced Technology Program)
・MARITECHプログラム
・船舶輸出及び造船所近代化債務保証(Title XI拡大)
 
 上記プログラムの最初の2つは産・官・学が三位一体となって参加し、資金的には政府と民間が折半するコスト・シェアリング開発プロジェクトで、軍研究所が持つ膨大な設備と優秀な頭脳を民間技術へ転化することを狙ったものである。TRPでは5件の造船及び舶用機器関連のプロジェクトが実施され、そのうち3件は造船関係であったが、ATPでは造船関係プロジェクトは実施されていない。最後の2つは冷戦構造の終結の影響を最も受けると予想されていた造船業にクリントン政権が特別の配慮を加えたプログラムであり、MARITECHは対象を造船業及び舶用機械工業に絞ったコスト・シェアリング技術開発プログラム、船舶輸出及び造船所近代化債務保証は有利な債務保証を輸出船や造船所近代化の分野にまで拡大して与えようとする新タイトルXIである。
 米国産業界において、民間主導で世界市場における復権の原動力となった国家インフラストラクチャーとしては、半導体製造技術コンソーシアム(SEMATECH)が有名である。SEMARTECHの官側のまとめ役となった国防先端技術計画局(DARPA:Defense Advanced Research Project Agency)の力量はクリントン大統領から高く評価されていた。クリントン大統領はMARITECHについても、SEMATECHと同じように民間主導で産・官・学を網羅した国家インフラストラクチャーを構築して進めるよう指示したが、1993年当時の米国造船業はそれを許さないほどに問題が山積していた。1980年代に艦艇建造にのみ注力してきた米国造船業は、世界市場で競争し得る船舶の設計・建造能力を有せず、国際競争力をつけることが急務と判断された。
 DARPAは1994〜98年のMARITECHの期間を前期と後期に分け、前期の期近プロジェクトでは競争力ある船舶設計、マーケット戦略、近代的船舶建造方式に焦点を当て、後期でクリントン大統領の言うようなSEMATECHに似た造船業の国家インフラストラクチャーの構築を考え、より進歩した造船技術の開発と同時に、NSnet(National Shipbuilding Network)の構築を指向した(図1−2)。付録1に実際に実施されたMARITECHプロジェクトの題名と予算年度を示すが、新船型開発が圧倒的に多く、上記DARPAの考え方を反映している。
 
図1−2 MARITECH計画(1994−98)出典:DARPA
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 MARITECHではプロジェクトの選定、管理は表向きDARPAが中心であるが、商船建造知識の不足分を補うために、MarAdの支援を受けている。特にプロジェクト選定後の管理はむしろMarAdが中心となっている。MARITECHは1994〜98年の5年間で60件のプロジェクトが実施され、政府資金1億6,350万ドル、民間資金1億8,710万ドルが投入された。1998年度は新規プロジェクトは無く、在来プロジェクトの完了とMARITECH ASEの準備に費やされた。完了した60件のプロジェクトのうち40件はMarAdの管理、20件はDARPAの管理であった。いずれにせよMARITECHは官主導で管理された。
 DARPAがNSnetの構築を開始したのは95会計年度からであり、MARITECHの期間内にSEMATECHのレベルに達することは不可能との結論に達し、98会計年度のMARITECHの予算の一部を流用し、MARITECHが達成できなかった造船業の国家インフラストラクチャーの構築を目的としたMARITECH高度造船エンタープライズASE(Advanced Shipbuilding Enterprise)が99〜03会計年度の5ヶ年計画、連邦予算4億5,000万ドルのコスト・シェアリング・プロジェクトとして発足した。
 MARITECHではDARPAが作成した基本方針に基づいてプロジェクトが推進され、推進にあたって民間の主契約者の意志が尊重され、技術成果の使用権も民間側契約者に帰属することを建前としたが、MARITECH ASEでは、1970年以来造船業及び舶用工業分野で産・官・学共同の研究コンソーシアムとして活動を続けてきたNSRPがDARPA及びMarAdの協力を得て、基本方針となる基本投資戦略(SIP:Strategic Investment Plan)を作成した。
 MARITECHとMARITECH ASEの最大の相違点は、MARITECH ASEの開発成果をSIP作成の母体である全米造船エンタープライズの全構成メンバーが共有するしくみになっていることである。また、管理面ではMARITECHは国防総省(DOD:Department of Defense)直属のDARPAが予算を所掌し、プロジェクトの遂行管理をDARPAとMarAdが分担したのに対して、MARITECH ASEでは海軍のNAVSEAが予算を所掌し、プロジェクトの遂行管理は民間組織であるNSRPに任せている。
 SIPは造船業の戦略予測、事業計画、投資ポートフォリオ、研究開発ロードマップの混ざり合ったもので、MARITECHの基本方針よりもコスト効率の高い目標のはっきりした指針を与えている。
 今まで各方面で行われた研究はSIPにより再検討され、その弱点を再確認し、優先順位を定めて、てこ入れした上で大きなポートフォリオのなかに組み込み、造船業全体の戦略方向を産・官・学全ての機関の協力を得て首尾一貫した方針の下に築きあげている。SIPは上記事業戦略を達成するために、「造船生産工程管理」「ビジネス・プロセス技術」「システム技術」「製品設計・材料技術」「施設・設備」「横断的課題」の6つの主イニシアティブとそれに随伴する34の補助イニシアティブを定めた。各々のイニシアティブにはビジネス戦略全体の中の相対的重要度及び投資コストが示されている。
 MARITECH ASEの基本方針は民間主導、官監査である。1998年に数百人の造船所代表が招集され、コンセンサスを得て同年6月1日SIPが発効した。
 MARITECH ASEプログラムの遂行及び官側のMARITECH ASEプログラム事務局とのリエゾンの責任を持っているのは前出のECBである。MARITECH ASEプログラム事務局はプログラム全体のプロセスの監査はするが、個々のプロジェクトの遂行に口を出すことはない。
 2000年10月、ECBはMARITECHとMARITECH ASEの根本的相違を反映するため、MARITECH ASEをNSRP ASEに名称変更する事に決定した。確かに上記のように種々の相違があるMARITECHとMARITECH ASEが同じMARITECHの名を冠していることから生じる混乱は大きく、NSRP ASEへの名称変更は妥当と思われた。以後初期のMARITECH ASEプロジェクトも含めてNSRP ASEプロジェクトと呼ばれることになる。NSRP ASEは現在進行中であるが、1つのプロジェクトに複数の企業が参加しているのが特徴である。







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