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3. 緩和ケアにおける音楽療法の可能性を探る:欧米における調査研究を通して
St.Paul's Hospital・音楽療法士 近藤里美
 
はじめに
「音楽療法とは、専門的訓練を受けた音楽療法士により、音楽、または音楽の要素を用いて、人間の身体的、精神的、心理的、社会的、そしてスピリチュアル的な統合的健康を保つ目的のもとに行われるプロセスである。音楽療法のプロセスの中では、音楽の構造的、感情的、創造的、そして超言語的な特質が、クライアントとの人間関係の中で療法的に用いられ、クライアント自身の自己発見、自己表現、そして自己成長を促すことに用いられるものである。」
(カナダ音楽療法協会による音楽療法の定義より、訳責:近藤里美)
 
 現在、音楽療法は様々な臨床現場で、数え切れないほどの健康問題に対処するために用いられはじめている。その目標や方法論は、実践現場の設定やクライアントの抱える問題により異なり、また具体的なアプローチは、音楽療法士の理論的思考や哲学的背景によっても、それぞれ特色があるといえる。その中で特に、緩和ケアにおける音楽療法は、ひときわ重要な位置を占めるといえるのではないか。なぜなら、欧米を中心としてはじまった「障害や疾病による機能不全の訓練、回復」に重点を置き、クライアントを「正常な状態」に近づけようとする音楽療法初期の目的は、緩和ケアにおける音楽療法の発展により、徐々に、障害や疾病だけに重点をおくのではなく、クライアントを人間全体として捉え、クライアントが人間らしく生きるために援助するという方向へ、緩和ケアの音楽療法においてはさらに、「人間らしく死にゆくために援助する」という目的が加わるわけだが、音楽療法士とクライアントの人間相互の尊重、また個人の生命の尊厳を重視するQOL(Quality of Life:生命、人生の質)の向上へと、大きく変革したからである。
 今回の調査研究報告においては、第1章で、緩和ケアと音楽療法の接点、音楽療法士の役割を明らかにすると共に、緩和ケアにおける音楽療法の目的について述べる。第2章で、緩和ケア領域で働くカナダ音楽療法協会公認音楽療法士へのアンケート調査結果をもとに、音楽療法士と音楽療法の実態を統計的に紹介する。第3章では、カナダ、バンクーバーを中心にした緩和ケアで働く公認音楽療法士6名による、2日間にわたるフォーカスグループでの討論をもとに、緩和ケアにおけるスピリチュアリティーついて言及し、今後の課題を考察したいと考える。
 
第1章 緩和ケアと音楽療法
緩和ケアと音楽療法の接点
 緩和ケア医療の焦点は、患者その人自身であり、その人が病気と共存しながら、身体状態の変化や、死への過程に直面している状況の中で、いかにQOLを維持、向上させながら生きていくか、そして死を迎えていくかが重要なポイントとなる。それはまさしく、個々の患者の多面的なニーズを考慮し、患者の人間としての尊厳を重視した、全人的医療の実践を意味するものである。音楽療法はそのような緩和ケアにおける患者の多面的なニーズに向きあう全人的医療と響き合う性質を持つと考えられる。それは、音楽のもつ構造的であり、かつ創造的である多元性が、緩和ケア患者の刻々と変化してゆくニーズに柔軟に適応しながら介入し、さらには、音楽のもつ審美的なクオリティーを体験することにより、困難な状況の中においてさえも、患者やケアギバーへ、美や希望をもたらすことが可能であるからである。
 
音楽療法士の役割
 緩和ケアにおける音楽療法は、全人的医療の重要な要素のひとつとしてチーム医療の中に組みこまれている。音楽療法士は学際医療チームの一員として、その専門的知識と実践経験を最大限に生かし、患者とそのケアギバー(患者のケアにおいて重要な鍵となる人(例えば家族、あるいは友人など。)のニーズに対し、音楽療法のアセスメント、計画、実践、継続的な評価に関する責任を持つと共に、その過程においては他の医療チームメンバーとの相互的コミュニケーションに責任をもつ。また、音楽療法士は独自に行動するだけでなく、必要に応じて積極的に他の医療チームメンバーと共に、患者やケアギバーに関わり、療法の効果を促進させるよう働くことも大切なことである。
 学際医療チームメンバーの一員である共通点とともに、音楽という瞬間的な芸術媒体を療法に使うという点において、音楽療法士の存在は、近代医療領域では非常にユニークであると言える。音楽という言葉を越える芸術媒体を通して行われる音楽療法の中では、患者のニーズ、または音楽の効果などが、しばしば具体的な言葉を越え、象徴的に音楽の中に表出されることがある。それらを敏感に感じ取り療法的に用いることは、音楽療法士の重要な任務である。また、その経験の中で、患者は自身のニーズを発見したり、音楽の効果の意味というものを見つけるとき、身をもって経験するその体験そのものに、療法的な価値があるというのも音楽療法のもつユニークな面であるといえる。
 
音楽療法の目的
(1). 痛みの緩和、リラクゼーション
 緩和ケアの病気に関連する身体的症状には、疼痛、吐き気、息切れ、不眠などが挙げられる。特に痛みの症状は、必然的に精神的不安を生み、その不安が症状を悪化させるという悪循環をくりかえす可能性がある。音楽による痛みの緩和への効用に関しては、感情を刺激する音や音楽が脳内機能の痛みを感じるプロセスに多大な影響を与えることが、精神心理学や生物医学的リサーチで解明されはじめている(12)。また、音楽聴取による患者自身の痛み感覚の減少効果の報告も多くみられる(3456)。音楽療法による痛みの緩和効果が鎮痛剤の減少につながる研究も発表されている(78)。
 音楽療法は、痛みの緩和効果目的の鎮痛剤を併用しながら、音楽を通して安心したり、心地よくなったり、希望をもったりするという精神状態により、痛みと不安の悪循環を断ち切るため、患者に特に合わせて特に選ばれた音楽と、リラクゼーション技法、呼吸法、イメージ療法、マッサージなどを組み合わせながら用いられる(910)。
 
−トーニング: あるピッチの母音を長く伸ばすように発声することで、呼吸状態を改善したり、精神を集中させるように働きかける。
−チャンティング: 簡単な、繰り返しのメロディーに、患者にとって意味ある言葉をのせて発声することで、精神を集中させたり、自己肯定的(self−affirmation)なイメージを抱くように働きかける。
−音楽を聴く: 患者がリラックスできるイメージに合わせた音楽を聴くことにより音楽のほうへ精神を集中させる。
−音楽で表現する: 患者が希望すれば、音楽で痛みを表す活動を通して、精神を集中させるように働きかけ、痛みから生じる様々な感情発散の機会を設ける。
 
 なお、音楽療法士がアセスメントをする場合には、患者の病歴からみた身体的痛みだけでなく、社会的、文化的、民族的な視点から見た患者自身の「痛み」の意味を把握することが重要である。その上で、痛みが身体や心のどこに感じているか、程度はどのくらいか、痛みが現在の患者自身のQOLにどのような影響を与えているのか、そして音楽と痛みの同質の原理をさぐるべく、痛みを言葉、イメージ、色や音で表すとどうか、などを含めたアセスメントがなされる。具体例としては、アンケート調査に協力されたある音楽療法士から、スケール表を使ったり、The Rogers' Happy/Sad Faces Assessment Tool(11)を痛みのアセスメントに利用しているという報告もある(参考資料1参照)。
 
(2). 自己表現、創造的活動の援助
 音楽療法は、深い感情の経験や表現を促す。音楽療法のプロセスにおいては、音楽の要素であるリズム、テンポ、メロディー、ハーモニーが巧みに用いられ、即興的な音楽創造活動を通して、微妙な患者の表現が表出することがある(1213)。その創造的表現活動は象徴的なものであったり(例えば即興、イメージ、曲の選択を通して)、あるいは具体的なものであったり(たとえば音楽にまつわる思いでの分かち合いを通して)するが、それらを通じて患者自らの人生を内省したり、人生の意味を見出すといったことが起ることがある。さらには、創造的表現活動の産物が大切な患者やケアギバー自身の気持ちを表すものであったり、大切な人へ伝えたい、あるいは残したいメッセージであったりする場合に、それをオーディオやビデオテープにまとめるなどの創造的表現につながっていくこともある。
 それゆえ音楽療法士は、音楽の要素を巧みに使う知識と技術はもちろんのこと、積極的傾聴(Active Listening)や心理療法的プロセスを充分理解する必要があるだろう。また、音楽が人間の複雑な感情の奥深く触れるという可能性を理解し、患者がこういった感情を経験することを言語的にも、音楽的にも援助できる技術を磨くことが大切であり、同時に療法士自身の感情的反応にも気づいているという自己理解を深める必要があるといえる(14)。
 
(3). コミュニケーションの援助
 緩和ケアの音楽療法には患者と1対1のセッションはもちろんのこと、患者とケアギバーとのグループワークという形も多々起る。ここで音楽療法は、音楽経験や思い出を分かち合うことにより、人間関係の緊張を和らげたり、ポジティブな関係を強化していったりする。また、直接言葉では言いにくい、まは言葉では言いたくないことを、音楽という象徴的な媒体を通して、その大切なメッセージを伝えるという活動を可能にする。患者が異文化の出身である場合などは、彼らの文化に根ざす音楽を演奏したり、鑑賞したりすることにより、文化的アイデンティティーとの橋渡しをし、心の慰めの機会を援助することもできる(151617)。
 
(4). スピリチュアルな側面への援助
 音楽はリラクゼーションを促進させたり、大切な記憶をよみがえらせたり、我々の感情表現を促すことに加え、日常的な現実を越える力をも備えている。我々が喪失や死へ直面している非常に苦しい状況の中でも、音楽は瞬間的に美、希望、愛、そして意味を経験させてくれる可能性をもっている(1819)。患者やケアギバー、音楽、そして音楽療法士の関係が、人間的なつながりをもつ関係であること、さらには音楽療法士が、患者やケアギバーの深く複雑な経験を支えるような環境を備えることが要求される。そのために音楽療法士は、患者の呼吸のリズムや、発声する音声の音程、さらには非言語的表現(たとえば身体の動き、顔の表情、ため息など)を繊細に音楽に反映できるよう、音の存在する空間のみならず、沈黙の時間の中で患者と「ともにいる」ことや、療法士自身の深い直感に導かれる集中力が必要となる(20)。その点において近年におけるトランスパーソナル心理学の発展や、アメリカのInstitute of Noetic Sciences(21)の総合科学的リサーチによる瞑想や、意識的に「いる」という存在(Intentional Being)自体が我々の意識のより深い、スピリチュアルな面に及ぼす影響を明らかにしつつあること、Guided Imagery & Music(GIM)(21)のリサーチ研究と実践において、音楽を通じて我々が日常を越える体験を可能にすることが理解され始めていることは注目すべきことである。







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