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16. 一般総合病院緩和病棟への動物介在療法(Animal Assisted Therapy : AAT)の導入、実施における問題点と効用の検討
関西労災病院 外科第2部・部長 冨田尚裕
 
笹川医学医療研究財団平成14年度研究助成、研究報告書
研究課題:
 一般総合病院緩和病棟への動物介在療法(Animal Assisted Therapy : AAT)の導入、実施における問題点と効用の検討
 
研究代表者:関西労災病院、外科第二部長、冨田尚裕
 
共同研究者:
 
山?ア惠司(新千里病院、外科部長、 関西労災病院緩和ケア病床、非常勤顧問)
辻本 浩(関西労災病院、心療内科医員)
柏木雄次郎(関西労災病院、心療内科部長)
舩?アひさみ(関西労災病院、看護師長)
撫養真紀子(関西労災病院、看護師長)
藤澤桂子(関西労災病院北9階緩和ケア病床、看護師)
古家後智美(関西労災病院北9階緩和ケア病床、看護師)
梶山友香(関西労災病院北9階緩和ケア病床、看護師)
古野本依子(関西労災病院北9階緩和ケア病床、看護師)
渡辺博文(セントラル動物病院院長、兵庫医科大学病理学研究員、(社)日本動物病院福祉協会CAPP委員)
谷口桂子(ボランティアハンドラー、CAPP認定犬オーナー)
冨田眞弓(ボランティアコーディネーター)
 
I. 研究の目的・方法
 緩和ケアにおいてその中心となるのは、患者個々人の苦痛の除去、軽減である。特に癌終末期患者の苦痛に関しては、癌の局所進展による単なる身体面での苦痛だけでなく、心理面、スピリチュアルな面、社会面などを合わせた全人的な痛み(total pain)としてとらえ、対処する必要があることが指摘されている。関西労災病院緩和ケア病床は平成12年3月の開設以来、順調に緩和医療の診療実績を積み重ね、緩和ケアチームのスタッフもその専門性についての研鑚を重ねてきた。疼痛コントロールに関しても独自の“一般病棟用疼痛コントロールマニュアル”(山?ア惠司先生、監修)を作成して体系だった疼痛管理を実践し、その結果アンケート調査によっても92.9%という非常に高い割合で患者の満足する疼痛コントロールが得られている状況である(山?ア惠司他、第62回日本臨床外科学会、2000年11月、発表)。しかしながら、この疼痛コントロールはあくまでもモルヒネ等の薬剤を用いた身体的苦痛の緩和が中心であり、前述の全人的な痛みの緩和を考えた場合、まだまだ十分とは言い難いのが現状である。心理的、精神的な面からの様々な苦痛、恐怖、不安、悩みなどに対する緩和ケアにおいてその中心となるのは患者の家族、友人などのサポートであるが、家族構成員数の減少、友人関係の希薄化などが大きくクローズアップされてきている現代社会において、これらの人的サポートのみに頼ることには自ずから限界があるとも考えられる。この点において、昨今、特に欧米社会において注目されているのが、動物介在療法(Animal Assisted Therapy : AAT)である。これは、動物、特に古くより人間との関わりが深い“犬”を用いて種々の人間に対する医療に役立てようとする試みで、人間と動物との相互関係によってもたらされる影響、すなわち動物に触れることによって心身の痛みやストレスを和らげる効果を利用するものである。欧米においては1960年代より研究が始まり多くのデータも出され、1970年代後半より活動を開始したアメリカのDelta Societyによって一般的にも広くまた深く知られるようになった。現在では集学的医療行為の選択肢の一つとして、医学上のコンセンサスも得られている。病院、リハビリテーション施設などの医療施設においてセラピー犬を中心とした動物が患者と接することにより、精神的および身体的にも大きな治療効果が期待できることが多くの報告、文献によっても示され、実際に多くの患者に多大な福音をもたらしている。歴史的に動物が人と共同生活をする場面が多かった欧米社会においては、公共施設、医療施設を含めて人の生活の場に動物がいること自体、比較的受け入れやすい土壌がある。しかしながら、元来農耕民族である日本人の社会においては、まだまだ動物が人の生活の場にそのまま共存することには違和感を感じる人も多く、動物介在療法に関してもまだ一部の施設で試験的に導入されているのが現状である。しかしながら、前述した如く、将来の緩和医療を考えた時に動物介在療法の持つ意味合いは大きく、我が国においても早急に医療施設での実施における感染対策等種々の問題点の検討、体制の整備、費用便益調査などを行う必要があり、そのためには地域基幹医療施設の緩和医療の現場における実地検証と臨床研究が必須であると考えられる。
 近年、我が国においても、犬や猫の老人ホーム訪問などの動物介在活動(Animal Assisted Activity:AAA)は諸所でみられるようになってきた。特に、日本動物病院福祉協会(JAHA)が1986年から行っているCAPP活動(Companion Animal Partnership Program:人と動物のふれあい運動)はめざましく、獣医師とボランティアを中心とした病院や施設訪問活動が既に数千件も実施されている。しかしながら、医療施設における治療の一助としての動物介在療法はまだまだ一般的ではなく、全国的にも国立がんセンター東病院、国立立川病院、高野病院(福岡)、都立松沢病院、信愛病院など一部の病院において試験的に導入されている段階であり、またその多くは厳密には動物介在活動の範疇を出ないものである。特に、今回我々が目的としている緩和病棟における動物介在療法を行っている施設は極めて少数である。その理由としては、対象が癌の終末期の患者であり、ある意味では心理的なサポートや動物との触れあいによる癒しを最も必要とするものではあるが、一方、全身状態の悪化、衰弱による免疫能の低下から極めて感染に対して脆弱であり、衛生面、感染対策の面などに周到な準備、配慮が必要となるからである。また老人ホームなどへの動物訪問と異なり、一般の総合病院においては動物が病院に到着してから目的とする患者の病室へ行くまでの経路は長く、その間に多くの外来患者、入院患者、見舞い客および院内の医療スタッフの目に触れたり、また身体に接触したりする可能性もある。したがって、それらの人たちの感情にも配慮する必要があり、単に衛生、感染対策などの問題だけではなく、いくつかの潜在的な問題が出てくることも考えられる。本研究においては、既に動物介在療法の導入に関してその基本案を施設の中枢の委員会に提出し、実施に向けての検討段階に入っている。今後、関連する種々の委員会(医事委員会、感染対策委員会、患者サービスと医療の質向上委員会など)に諮り、実際の導入、実施における細部にわたる問題点の検討、整備を行う予定である。これら導入段階における詳細な経過や検討事項の記録および、導入後の定期的な見直し、問題点の検討などは、今後の同様の試みに対して多くの有用な情報を提供することになると期待される。実際の動物介在療法に関しては、まず小型のセラピー犬を用いた個室訪問から開始する予定であるが、セラピー犬訪問前後のペインコントロールの状況比較をペインスケール、及び麻薬のレスキュー投与の回数などから判定すると共に、癌性疼痛以外の種々の愁訴(不安、いらいら、孤独感など)がどのように変化するかを直接面談やアンケートなどで調査する予定である。
 
II. 研究の内容・実施経過
1.コンパニオン・アニマルの病室訪問に関するアンケート調査
 平成13年10月から当院緩和ケア病床入院中の患者および家族の方を対象に任意でのアンケート調査(表1)を実施した。その途中集計の結果は後述する計画書(平成13年12月提出)にも記載した。アンケートの最終結果を表2にまとめた。
2.動物介在療法導入に関しての病院、各種委員会での審議の過程に関する検討
 平成13年12月28日に、「動物介在療法(Animal Assisted Therapy : AAT)の緩和ケア病床への導入について(案)」(表3)を病院に提出し、その後、院内の各種委員会での審議が行われた。初回提出の計画書については最終許可が得られず、その後ミーティング・勉強会などを通じて計画案の見直しも行い、再度、平成14年12月に「緩和ケア病床における犬の訪問活動 計画書」(表4)として提出した。その経過については院内各種委員会での審議経過として表5に、初回計画書の各種委員会での審議事項については表6にまとめた。また最終的に実施の許可が出なかったことの理由等についての検討、考察を行った。
3.緩和ケア病棟における動物介在療法(活動)実施施設の訪問、見学
 神戸アドベンチスト病院、特別養護老人ホーム「きしろ荘」、国立がんセンター東病院緩和ケア病棟などを訪問し、実際に行われている動物介在療法(活動)を見学し、関係者からの情報収集を行うと共に、いろいろなアドバイスをいただいた。その訪問・見学の日時などは、他の研究項目とともにAAT導入に関する研究経過として表7にまとめた。またその内容、聴取した情報などについては、その都度、報告書としてまとめ、ミーティングの際にメンバーに配布し検討を行った。そこから得られた情報をもとに、当初の計画案から修正すべき点などについての検討を行い、表8にまとめた。
4.動物介在療法に関するセミナー、講演会への参加
 日本動物病院福祉協会(JAHA)などの主催する各種のセミナー、講演会に出来るだけ参加し、最新の知識の取得、情報収集に努めた。
5.動物介在療法に関するミーティング、勉強会の開催
 表3の計画書に記載のある通り、AATに関するチームを結成し、ミーティング、勉強会を定期的に開催し、実際の導入に関する問題点の整理、検討などを行った。また、前述した他施設の訪問見学やセミナー・講演会への参加などによって得た情報についてはミーティングの席で簡単な報告書と共に説明を行い、チーム内での知識・情報の共有化を図った。
6.動物介在療法に関する講演会の開催
平成14年12月11日午後6時〜8時、関西労災病院看護学校講堂において「第2回阪神地区緩和医療勉強会」を開催し、特別講演として山崎恵子先生(デルタ協会マスターインストラクター、医療法人雄心会山崎病院嘱託AATコーディネーター)に「動物介在療法の定義及び現状」と題して約2時間の講演をいただいた。当日の参加者は、阪神地区の緩和医療従事者および一般の方、約62名余であった。
 
III. 研究の成果
1.コンパニオン・アニマルの病室訪問に関するアンケート調査
 結果を表2にまとめた。大半の回答者が犬の病床訪問に関して好意的な印象を持っていることが明らかとなった。しかし少数ではあるが、犬に対して、吠える、咬むなどの否定的なイメージから不安を持っている人もおられ、これらの人たちの感情にも十分留意し、体制を整えることが必要と考えられた。同時にセラピー犬として十分なトレーニングを受けた犬に関しては、衛生上の問題も含めて全く心配がないこと(これは欧米では常識的に理解されていることであるが)などの情報の普及、啓蒙も必要と考えられた。
2.動物介在療法導入に関しての病院、各種委員会での審議の過程に関する検討
 本計画案は平成13年12月に病院内の診療に関する決議機関である診療コア委員会に提出されたが、大方の委員からは好意的な意見が出され、基本的にはOKであるが、いくつかの実際的な問題点があり、それらについて下部の各種委員会で検討せよとの結果であった。そこで指定された4つの委員会、すなわち医事委員会、感染対策委員会、保険診療委員会、患者サービス向上委員会に諮られることとなり、いずれも1〜2回の審議にて承認となった。その経過、および審議事項に関しては、表5、6にまとめた。医事委員会、保険診療委員会、患者サービス向上委員会の3委員会においては大きな問題は指摘されず、感染対策委員会において感染対策上のいくつかの問題点が指摘され、いずれも当然予測される内容ではあったが、2回目の委員会において、担当者(冨田)が出席、詳細な説明を行い、委員の個々の質問に詳細に説明、回答することにより、感染対策上も問題のないことが理解され、承認となった。しかしながら、これら4つの下部委員会での承認の結果をもとに、再び、診療コア委員会に諮られた結果は、時期尚早で見送りとの回答であった。この時点で、たしかに計画立案、緩和チーム内での勉強会の開始などからまだ日が浅く、他施設の見学なども行えていなかったのが実状であり、しばらく勉強を重ねて準備を進めることとした。この間の経緯については、第7回日本緩和医療学会総会(平成14年6月28〜29日、松山市)において発表を行った。AATチームでのミーティング、勉強会に関してはほぼ月1回の割合で行い、同時にAATに関する各種セミナーや講演会での情報収集も行い、これらの情報をミーティングの席上で伝達することによりチーム内での知識や情報共有化に努めた。また、AAT、AAAを実施している施設として、神戸アドベンチスト病院緩和病棟、特別養護老人ホームきしろ荘、国立がんセンター東病院緩和ケア病棟などの訪問、見学を行った。その結果、当初の計画書(案)におけるいくつかの問題点も整理されてきた(表8)。我が国においては動物介在療法(活動)を実施している医療施設はまだまだ少なく、その中でも緩和ケアにおける動物介在療法(AAT)となると、殆ど例外的に行われているのみであるのが現状である。今回実際に見学を行った3施設においても医師、看護師等が関わる診療行為としてのAATというよりも実際上はAAAに近いものである。緩和ケアにおけるAATに関する学会等での研究発表も少なく、今回我々の発表した平成14年度の第7回日本緩和医療学会総会においても調べた限りでは本発表1件のみであった。また、表7にも記載した平成14年度の日本動物病院福祉協会(JAHA)年次大会においても動物介在療法に関する発表は数件のみであった。これらのセミナー出席や実際のAATの見学などから得られた情報をもとに検討を行い、初回の計画案にいくつかの修正を加えて「緩和ケア病床における犬の訪問活動 計画書」と題する2回目の企画案を提出したのが、初回提出後丁度1年に当たる平成14年12月である。前回の計画書提出時に各種委員会において実際的な問題点に関する審議はすべて終了しているので、今回の審議の焦点は病院として認めるのか認めないのかという点に絞られることとなり、その最終決定は診療問題を審議する診療コア委員会から経営会議に委任されたが、結果として承認されるには至らなかった。直接の理由としては、表5に記した通りであるが、当院の緩和ケア病床が現時点でまだ一般病棟の中の一区画に存在する緩和ユニットであるという事から発生し得るいくつかの潜在的なトラブルに関する不安が払拭できぬという事にあったようである。病院管理者サイドから見ると、病院経営上直接的な利益ももたらさず、また医学上また診療上の絶対的な必要性もない診療類似行為(活動)あるいは患者サービスに潜在的なリスクを負うことは避けたいと考えることはある意味では当然であるとも考えられる。現在の医療界全体が非常にきびしい状況におかれていることは周知の事実であるが、当院においても平成14年度にはオーダリングシステムの導入、外来統一カルテへの移行などの変革と共に、保険診療に関する中央からの医療監査、共同指導などの実施も重なり、また今後も病院機能評価受審への準備や平成16年度に迫った独立行政法人化や卒後臨床研修必修化に伴う研修医の受け入れ体制の整備など多くの優先課題を持って日々目まぐるしく動いているのが現状である。その中で、一般医療以上にゆとりを持って医療、看護サービスを提供していくことが求められる緩和ケアの推進をどのように両立させていくかは実際上かなり難しい問題である。
 今回の研究を通じて得た結論を「一般総合病院緩和病棟におけるAATあるいはAAAの導入、実施における問題点」として表9にまとめてみたが、実際上最も大きな問題は、ゆとりのない現在の医療情勢、医療体制にあるのではないかと考えられる。
 
IV. 今後の課題
 前述した如く、現時点で当院における動物介在療法(AAT)は尚、準備段階にある。昨今のきびしい医療情勢の中では、患者サイドから求められている真にゆとりのあるホスピス・緩和ケアを実践する事自体にかなりの困難が存在する。また本研究において取り上げた動物介在療法は、我が国においてまだまだ一般的・日常的に受容されているとは言い難い"動物"を医療特に緩和医療の現場に導入することであり、その潜在的なリスクに対する不安などが管理者サイドには大きな問題ともなっている。昨今増加しつつある医療訴訟の問題、あるいは近年特に声高に叫ばれてきたリスク(セーフティ)マネージメントの観点からも、患者サイドの心証、あるいは安全性そのものについての十二分の配慮、検討は当然のことではある。しかしながら、これらに偏重することは、逆に医療の自由度を奪い、硬直した医療看護サービスにもつながり、結果的に患者サイドにとっての不利益、不幸となることもまた自明の理である。これらに関する医療者側、特に病院中枢の管理者、経営者サイドの十分な理解が必要であるが、そのためには、実際に緩和ケアを担当している医療看護スタッフ自身の十分な勉強および周囲の病院スタッフを含めたすべての関係者への説明、理解取得への継続的な努力が必要不可欠である。今後も我々は動物介在療法の勉強会を重ねながら、粘り強く病院内での協議、調整を計って行きたいと考えている。







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