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2.2 盲導犬の歴史
 キーワード:視覚障害のある人と盲導犬の歩行、盲導犬の繁殖・育成、学ぶ心
2.2.1 海外の歴史
 古くはイタリア南部、ベスビオス火山南麓に紀元前6世紀から発達した古代都市ポンペイの壁画に視覚障害のある人と思われる男性が犬と共に市場を歩く場面が描かれています。79年のベスビオス火山噴火で埋没した後の発掘によって発見されました。6世紀にフランス北部で視覚障害のある宣教師が白い小型犬に導かれて布教して歩いたとも伝えられています。13世紀の中国の絵巻物に、町の中を犬を連れて歩いている視覚障害者らしき人が見られ、15世紀から18世紀のヨーロッパの絵画にW.Bigg作の「失明した水兵」1804年、J.Parry作「犬と一緒にいるトーマース・サグデン」・(ロンドン出版)に犬を連れた視覚障害者の姿を描いたものが残されています。
 これらの絵は、いずれも視覚障害のある人達は、たわみ易い革ひもやロープを伝達のたずなとして使い、犬に案内させて歩いています。その点から言えば、これらは盲導犬の始まりと言えるでしょう。しかし、これらは視覚障害のある人が受動的に犬に引かれて歩く、というものであり、それらの犬に視覚障害のある人をガイドするための何らかの訓練がなされていたと考え難い様で、16世紀のN.Clock作「聖書からの寓話にさし絵を入れたもの」によると、視覚障害のある人が橋から落ちるところを、犬が橋からただ見ている様子が描かれていることからも、安全性にも欠けていたと考えられます。
 視覚障害のある人のガイドとして犬を訓練した、との記述が初めて見られるのは18世紀以降となります。1819年にオーストリア・ウィーンでもっとも初期の視覚障害の研究家であり、ドイツのベンナ盲学校を創立したヨハン・ウィルヘルム・クラインが「Textbook for Teaching the Blind」を書いています。この内容は後の盲導犬事業に画期的な影響を与える事になります。それは、視覚障害のある人によって犬を盲導犬として働かせると言う考えが述べられている事、そして「堅い引具(ハーネス)」を使用することによって、たわみやすい革ひもやロープより、より正確に視覚障害者が犬の動きを知る事が出来る様にしたと述べている点です(図3)。盲導犬としての実際の訓練については、ウィーンの視覚障害者、ジョセフ・レイシンガーが、彼が高齢となり盲導犬を必要としなくなるまでの間に訓練した3頭の盲導犬との歩行体験を通じて得たことを丹念にまとめています。(Whitstock, 1980)
 
図3 クラインのイラスト
 
 福祉事業として取り組まれる様になったのは、第一次大戦後のドイツでのことです。戦争で負傷失明した多くの軍人を助けるため組織的に盲導犬が育成されるようになり、1916(大正5)年、ドイツ・オルテンブルクに盲導犬訓練学校が設立されました。
 1923(大正12)年、ポツダムにドイツ・シェパード協会が盲導犬学校を設立しました。又スイスのビベイにも盲導犬訓練所が設立されています。1927(昭和2)年、スイスに滞在中のアメリカ人ドロシー・ハリソン・ユースティス夫人が盲導犬の活躍について、サタデー・イブニング・ポストに紹介しました。1929(昭和4)年、スイス・フォーチュネートフィールドでユースティス夫人と視覚障害のあるモリス・フランク青年が訓練を受け帰米し、テネシー州ナッシュビルにドイツ以外の国で初めて盲導犬協会を法人として設立しました。その後、ニュージャージー州モリス・タウンに移転し、ドロシー・ユースティス夫人がサタデー・イブニング・ポストに書いた記事のタイトル「シーイング・アイ」にちなみシーイング・アイ盲導犬訓練学校としました。
 この盲導犬訓練学校は、視覚障害のある人のガイドとして働くことができるよう犬を特別に訓練するために設立されたのですが、同時に、視覚障害のある人が盲導犬を用いて歩くことが出来るようになるためには、環境認知のためのオリエンテーションについての集中的な訓練が不可欠であることを認識する最初の機会となりました。中途失明者のリハビリテーションに関する名著を書いたトーマス・キャロル神父もこのシーイング・アイ盲導犬学校について次のよう書いています。
 「失明者の諸感覚の訓練が、盲導犬使用訓練に先立って行われるべきであることは明白である。盲導犬センターが完全な失明者リハビリテーション・センターであるべきであるということは、とうてい期待することはできない。しかし、モリスタウンの有名なシーイング・アイ盲導犬学校が、失明者が犬と共同訓練を受けるため、学校に滞在する4週間のあいだ、環境認知のためのオリエンテーションの訓練をひと通り実施するよう運営されていることは注目に値する。他の盲導犬センターの多くは、このことをほとんど実施していない。これらは、失明者の訓練を無視して、犬の訓練士を中心に施設を運営するという、あやまちを犯しているのである。どんな場合でも、盲導犬を使用する資格があり、かつ、盲導犬を希望する失明者は、まず第一にリハビリテーションセンターの正規の訓練課程を修了しておくべきである。」この記述は、現在の考え方の原形がこの時代に確立されたと言えるものです。
 1930(昭和5)年になると、イギリス、フランス、オーストラリアなどで盲導犬事業が推進されています。1942(昭和17)年、第二次大戦で失明した軍人を助けるため、カリフォルニア・レターマン米陸軍病院女性グループが提唱して、サン・ラファエルに盲導犬協会が設立されました。1975(昭和50)年、サン・ラファエル盲導犬協会のC.J.パッフェンバーガーは社会行動学、心理学、生物行動学、遺伝学コンサルタント、コンピュータープログラマーなどの総力を結集し、6年間にわたる資料の収集・分析の集大成を「盲導犬の科学−選択・育成および訓練−」として発表しました。日本語訳は麻布大学コンパニオン・アニマル研究会によって行われ、富士記念財団の助成により1987(昭和62)年、有斐閣書店より非営利少数出版され、又1992(平成2)年、信山社より再販されました。
 
2.2.2 日本における歴史
 日本国内に於ける盲導犬の歴史は、1938(昭和13)年盲導犬オルティー号をつれた米国ゴードン青年が世界旅行の途中、日本に立ち寄り日比谷、上野で盲導犬の紹介をして、新聞に報道されています。陸軍第一病院で講演を聴いた三木良英院長は盲導犬育成に強い関心を持ち、翌年の1939(昭和14)年にドイツ・ポツダム盲導犬学校より訓練を受けた4頭(メス3頭、オス1頭)を導入しましたが敗戦と共に途絶えました。
 1957(昭和32)年、塩屋賢一氏が、失明した河相洌さんの愛犬チャンピーを訓練して、日本の盲導犬第一号の育成に成功しました。1967(昭和42)年には、財団法人日本盲導犬協会が厚生省の認可を得て発足し、盲導犬訓練学校並びに盲導犬訓練士養成所を設置しました。しかし、その後、これらの施設は日本盲導犬協会から離れ、その施設長であった塩屋賢一氏は、1971(昭和46)年に東京盲導犬協会(アイメイト協会の前身)を設立しました。また、東京畜犬株式会社は、1968(昭和43)年、講師としてイギリスから盲導犬訓練士を招き、盲導犬訓練士学校を立ち上げましたが、約1年後、会社の倒産と共に閉校となりました。この他、日本ライトハウスでは、職員をオーストラリアの盲導犬協会に1年間留学させ、盲導犬事業を開始しました。
 このように、盲導犬を育成する施設、訓練士の養成に関して、日本ではいくつかの流れに分かれて展開してきました。そして、2002(平成14)年現在、盲導犬を育成する施設は以下の9法人10施設になりました。
 
財団法人 北海道盲導犬協会(北海道)
財団法人 日本盲導犬協会仙台訓練センター(宮城県)
財団法人 栃木盲導犬センター(栃木県)
財団法人 アイメイト協会(東京都)
財団法人 日本盲導犬協会横浜訓練センター(神奈川県)
財団法人 中部盲導犬協会(愛知県)
財団法人 関西盲導犬協会(京都府)
社会福祉法人 日本ライトハウス行動訓練所(大阪府)
社団法人 兵庫県盲導犬協会(兵庫県)
財団法人 福岡盲導犬協会(福岡県)
 
 これら9法人は、日本盲人社会福祉施設協議会に加盟しており、同協議会リハビリテーション部会盲導犬委員会の中で連携を取り合って盲導犬育成にあたっています。また、1994(平成6)年には、全国盲導犬施設連合会が発足し、財団法人アイメイト協会を除く8法人が加盟し、職員研修会や啓発活動などに取り組んでいます。
 一方、盲導犬使用者は、2002(平成14)年3月31日現在、915人となっています。1993(平成5)年に発足した全日本盲導犬使用者の会は、それぞれの出身施設の枠を超え、日本各地の盲導犬使用者や盲導犬希望者の全国的な組織として活発に活動しています。
 2000(平成12)年に社会福祉事業法等が改正され、2001(平成13)年4月1日より「社会福祉法」の中で盲導犬訓練施設を経営する事業が第二種社会福祉事業に認定、また「身体障害者福祉法」では、盲導犬訓練施設は身体障害者更生援護施設の一つとして明記されました。また、2002(平成14)年、第154回国会において全会一致で「身体障害者補助犬法案」及び「身体障害者補助犬の育成及びこれを使用する身体障害者の施設等の利用の円滑化のための障害者基本法等の一部改正する法案」が可決され、10月1日より施行されています。この法律の中では、盲導犬を含む身体障害補助犬を使用している身体障害者の権利を保障し、身体障害者補助犬の同伴を拒むことがないよう、に明記する一方、身体障害者補助犬を使用する身体障害者の義務、身体障害者補助犬を育成する施設の義務を明記したものとなっています。
 
2.2.3 日本における現状と課題
 先に述べた様に、1938(昭和13)年にアメリカよりゴードン青年と盲導犬オルティーが初めて日本人の前に姿を見せて以来、64年になるわけですが、推計によりますと、視覚障害のある人で盲導犬を希望する方は、7,787人(1996・平成8年の調査)と言われています。一方、我が国の盲導犬ユーザー数の推移は、1997年802人、1999年850人、2000年875人、2002年915人とおよそ実需要とはかけはなれた状態にあり、またその実働数も盲導犬事業が本格化して20年になろうとする現在、盲導犬が活躍できる年齢は、10才くらいが限度である事から、毎年作出される盲導犬の半数は代替え充足でいっぱいと言うのが現況です(図4)。
 盲導犬の数と質の安定的供給が望まれるのは当然の事ですが、小規模の協会が内外のブリーダーにその資源としての繁殖犬を求め歩く状況では、何年経っても、視覚障害のある人達への期待を満たす事は不可能であると思われます。盲導犬の質の向上と数の計画的生産という観点から、単独協会だけで盲導犬の繁殖を続けるのでなく、各協会が互いに繁殖担当者間の交流を深めて、繁殖犬や候補犬を共同で評価し、繁殖に取り組もうとの動きがあります。
 最近の動物行動学での学習プログラムについての見解は、新しい展開が見られます。それは、行動学の発達において、生まれたばかりの子どもが何も出来ないのに、大きくなるにつれていろいろな行動をするようになるのは何故か、ということについてです。それは遺伝によるものか、学習によるものかと長い間、問題になっていました。まず有名な「刷り込み」理論に見られる、ガンのように生まれたときから見たものを追いかけるようになるものがおり、一方、昆虫のようにほとんど学習しないで行動できるようなものもいます。
 多くの「経験剥離実験」が行われていくうちに、いまでは、遺伝かそれとも学習かというように二者択一といったものから、実は学習と言うものは遺伝的プログラムの一環なのだというふうに考えられる様になっています。おとなになったら特定の歌をさえずる様に遺伝的にプログラムされているのだが、それが具体化されるには学習が必要で、しかもそのときのお手本も遺伝的に指示されているのだと考えられています。
 およそ1万年のあいだ、犬は人間の行動や思考のパターンを正確に読みとり、ともに暮らしてきました。これからも、わたしたち人間の期待に応えてくれるに違いありません。しかし、真の共生関係を築くには、犬の行動や、社会心理について、わたしたちがどれだけ理解しているか、遺伝的プログラムをどう把握し、どうより良い方向に進めていけるか、課題は大きいと言ったところです。
 
図4 盲導犬実働数の推移
(拡大画面:68KB)
 
 「人間は万能ではありません。得意な分野もあれば、知らないことや、やったこともないことなどいくらでもあります。だから一つずつ勉強し、頭を打ち、苦労してこそ、その人の身につくのです。」
 この文章は、獣医師である松原哲舟が「犬猫の内分泌病学」の前文に書いているものですが、この講座で学習すれば終わりと言うことでなく、この言葉の様に、人は終生謙虚さを失わず、学ぶ心を持ち続けたいものです。
 
<参考図書>
1)光岡知足編(1990)「腸内細菌学」朝倉書店
2)井出利憲(2002)「分子生物学講義中継Part1」羊土社
3)加茂儀一(1973)「家畜文化史」法政大学出版局
4)猪熊 泰(2001)「イヌの動物学」東京大学出版会
5)Chapman Pinchaer(1991)「One dog and her man by Dido」中村凪子訳(1994)「犬のディドより人間の皆様へ」草思社
6)関西盲導犬協会(2001)「ハーネス通信」
7)植原和郎(2002)「ヒトと動物の関係学会第32回月例会京都シンポジウムテーマ 人が動物を意識したとき」京大会館
8)今泉吉典、大石勇、正田陽一、塩屋賢一(2001)「イヌをよく知る本」ニュートンプレス
9)H.E.Evans & G.C.Christensen(1979)「犬の解剖学」Philadelphia 望月公子監修(1985)学窓社
10)黒川哲朗(1987)「図説古代エジプトの動物」六興出版
11)Konrad Lorenz(1953)「人イヌにあう」小笠原秀雄訳 至誠堂
12)林良博監修(2000)「イラストで見る犬学」講談社
13)日高敏隆編著(2000)「動物の行動と社会」放送大学教育振興会
14)R.H.Whitstock(1980)「Foundation of Orientation and Mobility」American Foundation for the Blind
15)全国盲導犬施設連合会(1996)季刊誌「盲導犬情報」盲導犬情報室
16)村越芳男(1974)「失明者歩行訓練の発展と現状」国立東京視力障害者センター
17)C.J.Pfaffenberger.Etal.(1975)「盲導犬の科学」コンパニオン・アニマル研究会訳編(1987)信山社
18)日本財団公益福祉部(2000)「盲導犬に関する調査研究報告書」日本財団
19)日本盲人社会福祉施設協議会リハビリテーション部会盲導犬委員会編(2000)「盲導犬福祉ハンドブック」日本盲人社会福祉施設協議会
20)E.C.Feldman, R.W.Nelson(1987)「犬猫の内分泌病学」松原哲舟監(1991)LLLセミナー
 
★(P72.図2)犬5頭と人がイノシシ狩りをするところ今泉吉典、大石 勇、正田陽一、塩屋賢一(2001) 「イヌをよく知る本」
◎株式会社 ニュートンプレス







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