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3.1 はじめに
 盲導犬事業には大きな特徴がある。それは「犬」を抜いては成立しないことである。人と人の間に犬が介在するが故に、固有の問題があり、固有の価値があると思う。しかしながら、科学技術がいっそう発展するであろうこれからの社会において、その固有の価値をアピールし続けることができるだろうか。
 
3.2 盲導犬事業の特性に関する考寮
3.2.1 歴史的側面に関する一考察
 現在、国内には盲導犬訓練施設は10施設あるが、社会福祉法人日本盲人社会福祉施設協議会に加入しリハビリテーション部会に属していて、盲導犬事業はリハビリテーションの一分野という認識が一般的である。しかしながら、1982年まで、盲導犬訓練施設は用具部会に所属していたのである。盲導犬事業のアイデンティティが視覚障害福祉の専門分野においてさえ、まだ確立されていなかったことがうかがわれる。
 また、1986年、4回目の盲導犬に関する国際会議がイギリスで開催されたとき、議長を務めたイギリスの盲導犬協会の理事長、グルーム退役准将もまた、次のような感想を漏らしている。「過去において、盲導犬協会は社会サービスにかかわる団体から、懐疑的な眼差しで見られた時期がありました。私どもは彼らから敬遠されているように感じていたのです」。
 異なった国で異なったプロセスを経て始まった盲導犬事業であるにもかかわらず、ともに経験することになったこの奇妙な事態は一体何なのだろうか。それは、視覚障害者福祉における盲導犬事業が占めてきた位置を見れば明らかになるかも知れない。
 近代的な訓練理論と技術を持った専門訓練士の手によって盲導犬が誕生したにもかかわらず、盲導犬に対する盲教育家や福祉事業家の目は冷たいものだった。中世の絵画に描かれた古いイメージのまま、「盲人をひもで引っ張って歩くみすぼらしいのら犬」と決めつけ、その新しい盲導犬の誕生を正当に評価することはなかったのである。旧態然とした価値観しか持たなかった専門家たちは、「しなかった」というより、むしろ、「できなかった」というほうが正しいかも知れない。
 近代盲導犬事業の発展に大きな貢献をしたアメリカ人女性、ドロシー・ハリソン・ユースティスは、先入観念で固まった福祉専門家に対してではなく、もっと柔軟で寛容な心を持っていた市民に向かって、次のように宣言したのだった。
 「盲導犬は、失明者の未来を開きます。家族や友人や有料介護者の援助はもはや不要です。雑踏のわずらわしさは去り、失明前とほとんど変わらない行動をとりもどせるのです。はげしい交通の恐怖は消えて、気軽な安全歩行が彼のものになります。安全で自由な歩行、職業の確保につながり、自立を意昧し、生きがいのある人生を約束します。そればかりではありません。友人に何の責任も負担も負わせずに、愉快な時を過ごす喜びももどってきます」。
 「門を出てきた視障者の姿を、わたしは決して忘れないでしょう。彼の変わりようはまったく目を疑うばかりでした。杖に頼り、すり足で危なげに歩いていた彼が、ハーネスをしっかりと手ににぎり、低い自信に満ちた声で犬に命令をあたえながら、わたしたちのほうへ確かなしかもすばやい足取りで、やって来るではありませんか。その時、わたしの涙にぬれた目に、孤独な真暗やみのなかでひたすら助けを求めているあのあわれな盲人の姿が、対照的にくっきりとうかびました。たった一頭の犬が、一人の人間にこんなにも貢献するのです。よき友であるばかりでなく、目となり、剣となり、盾となるのです。いったいだれが、この犬と同じように完全な献身と忠誠とをもって、この役割を果たすことができるでしょうか」。
 (ピーター・パットナム著、戸井美智子訳「愛のきずな=盲導犬協会をささえた人と犬の記録=」より)
 このすばらしい一文は、視覚障害者が盲導犬に対して興昧を持つ契機となり、市民に大きな感動を与えたと言われた。しかし、同時に福祉事業家や専門家に、盲導犬とその普及を目論む人々に対する反感と警戒心を引き起こしたことも想像に難くない。
 一方、杖もまた、犬と同様に古い時代から、視覚障害者が歩行の手助けとして使用していたことも明らかになっている。しかしながら、この杖の合理的な使用法が確立されたのは、1940年代になってからであるというのは意外に感じるかも知れない。杖もまた、長い間経験的使用法の範囲にとどまっていたのであった。杖の合理的な使用法で、現在主流となっているのは、アメリカにおいて考案されたロング・ケーン・テクニックと呼ばれるものである。この技術を考案した医師の名を冠して、フーバー・テクニックとも呼ばれるが、盲導犬と同じように失明軍人のリハビリテーションの過程で生まれたのであった。
 ロング・ケーン・テクニックは、その名称からも分かるように、垂直に立てて胸元ほどの長さを持つ細い杖を使った歩行方法である。それまで視覚障害者に一般的に使われていた杖は、短い太いものであったが、フーバー・テクニックにおいて、杖が持つ意味は革命的と言ってよいほどに変わった。その使い方は、杖を利き手に持ち、肘を伸ばし、杖の先端を、身体の幅の範囲で、右足を踏み出す時は左側、左足を踏み出すは右側と、腕を降って地面上をスライドさせるのである。こうすることで、一歩先の情報を確実に得ることができるようになった。つまり、杖の先端は視覚障害者の指先であり、それは一歩先の地面上にあって危険を察知しているのである。
 視覚障害者が杖なしで歩行することが賞賛された時代にあっては、古風な盲教育者や福祉事業家から杖歩行に対する反感も生まれ、抵抗にも会った。しかしながら、その合理性と簡易性から、徐々に公的な機関が提供する視覚障害者に対するサービスの一部として取り入れられていくようになった。ロング・ケーン・テクニックは、視覚障害者の歩行のメイン・ストリームとなったのである。
 アメリカ合衆国において、盲導犬事業が杖歩行の技術が確立するよりも約20年も早く始まったにもかかわらず、メイン・ストリームに成り得なかったのは、盲導犬を使用することができるのは視覚障害者の一部であるという盲導犬訓練機関が自ら認める事実と、その育成の不安定さや指導員の養成の困難さがあったと言えるかも知れない。社会の公的なサービスとして視覚障害者の歩行訓練が提供されるとき、対象の規模やサービスの安定性は考慮すべき要素であろう。
 また、盲導犬運動の初期においては、盲導犬の優秀さを示すあまり、その能力について過度の説明がなされたことがあった。そのために、盲導犬は視覚障害者を目的地まで連れて行くことができるのだと思い込んだ人が少なからずいた(現代でもいるかも知れない)。意識的にではなかったにせよ、このような過度の表現は、もう一方の歩行方法である杖による歩行を貶めてしまう結果ともなったのであった。
 アメリカ合衆国のコロンビア大学ニューヨーク社会事業学校付属研究センターが、1960年に出版した調査研究報告書のなかで、興味深いことを指摘している。すなわち「盲導犬を使用するための訓練指導は、そのことのみか、あるいはそれが事業の大きな部分を占める機関からしか提供されなくなった」。「このように盲導犬訓練機関が極度に特化した結果、盲導犬訓練施設の職員とほかの盲人福祉機関の職員は、地理的にも専門知識的にも隔絶されてしまったのである」。
 このような経緯があって、冒頭に述べた様相を持つに至ったのだろうと思われる。ただ、前述のことに関して、盲導犬歩行の訓練に携わる人々と杖歩行の訓練に携わる人々との間に、特別な論争があったかどうか定かではないし、杖歩行に携わる人々がこのような問題意識を持っていたかどうかもわからない。ただ、今日に至るまで両者が緊密な協力関係になかったことは確かである。
 しかしながら、現在では、イギリスの盲導犬協会も、また他の盲導犬協会も、盲導犬だけでなく杖歩行についても知識や技術を持つ職員を配置するようになった。そのことによって、今まで盲導犬を使用することは無理とされてきた視覚障害者の一部、例えば視覚以外にも障害を持つ重複障害者、糖尿病などの合併症を持つ視覚障害者、身体的な条件を満たしがたい高齢の視覚障害者などについても、盲導犬の使用が可能になりつつある。
 世界的な傾向として、盲導犬歩行の指導員と杖歩行の指導員たちは、それぞれの立場を尊重しながら交流を深めるとともに、連携して視覚障害者の歩行を含めたクオリティ・オブ・ライフ(Quality of Life)を高めようとしている。
 
3.2.2 社会的側面に関する一考察
 「盲導犬事業の歴史」の章で触れたとおり、盲導犬事業は、第一次世界対戦後のドイツで、失明軍人のリハビリテーションの一事業として始められた。その主体は、国立の盲導犬学校も設置されはしたが、軍用犬協会など民間の団体だった。アメリカ合衆国において事業が展開されるようになった時も民間団体が担い手となった。イギリスでも、日本でも、その事情は変わらなかった。現在においても、スウェーデンでは行政当局が主体となって運営がなされているということだが、それを除いては、民間団体が主体である。このことは、民間によって始められたことであるから当然のことであると捕らえることもできるが、一方に盲導犬事業が視覚障害者福祉のメイン・ストリームたり得なかった理由があり、他方に、盲導犬事業の先駆者の中に、盲導犬事業は障害者福祉分野における市民の創造的な活動であるべきだという明確な認識があったと言えよう。
 このように、盲導犬事業が民間福祉として進められているが、行政の関与はどのようになっているのだろうか?国によって違いがあるが、概ね次のように区分できるだろうと思う。
(1)盲導犬育成団体には税制上の優遇が与えられるが、行政からの財政援助はないし、法的な規制もない国々。アメリカ合衆国やイギリスなど。但し、アメリカ合衆国カリフォルニア州には、訓練施設および訓練士の認定に関する規制法律がある。
(2)盲導犬に関する特別な法的規定はないが、盲導犬訓練施設、または視覚障害者が盲導犬を取得する場合に、行政の補助がある国々フランス、ドイツやノルウェーなど。
(3)盲導犬を規定する法律があり、視覚障害者が盲導犬を取得する場合、または、盲導犬訓練施設に行政が補助を行っている国
 日本
(4)行政による運営がなされている国
 スウェーデン
 これらを見ると、簡単に盲導犬事業として一括りできないほどに、行政との多様な関係が浮かび上がってくる。盲導犬事業は、あたかも、民間福祉事業に対する各国行政のリトマス試験紙であるような感じさえする。
 1969年に、東京都が日本盲導犬協会に委託する形で盲導犬育成事業を始めたのを皮切りに、いくつか地方自治体が同じように盲導犬育成事業を実施するようになった。1974年には、厚生省も年間60頭の盲導犬を育成委託する予算を財政当局に要求している。この時は「慎重論」が出て、結局実現しなかったと言われている。しかしながら、1979年に障害者社会参加促進事業、いわゆるメニュー事業の一つとして盛り込まれ、実現することになったのだった。メニュー事業とは、障害者の社会参加を促進するための事業として国が指定したいくつかの事業のうち、実施主体である各都道府県および政令指定都市が、その実情に合わせ実施できる事業を選択できるというものである。現在では、ほとんどの都道府県および政令指定都市で盲導犬育成事業を実施していると思われる。
 盲導犬事業における行政の役割について、十分でないという評価をされる場合があるが、以上見てきたとおり、必ずしもそうではなく、メニュー事業の実施など、盲導犬の育成委託を通じた公的資金の提供によって、脆弱な財政基盤しか持たない盲導犬訓練施設の経営安定に大きな力を果たしてきたと言えよう。特に、地方自治体レベルでの取り組みは、盲導犬育成が組織的に開始されて間もない早い時期に開始されている。
 我が国を含め世界の各国で、盲導犬事業を行っている組織と行政は、概ね良好な関係にあるように思われるが、過去には、行政の手によって事業の在り方が一変してしまった例がある。それは、アメリカ合衆国カリフォルニア州でのことである。
 カリフォルニア州で盲導犬事業が開始されたのは、1943年にガイドドッグ・フォー・ザ・ブラインドがサンフランシスコの近くにその訓練所を開設したことに始まる。それからまもなくして、カリフォルニア州内には19施設もの盲導犬訓練所が乱立し、提供される盲導犬の中には、盲導犬として十分な訓練がなされていなかったり、募金が適正に行われなかった場合もあり、視覚障害者の信頼を失い社会の批判を浴びる状況が生まれたと言われている。そして、それらの事態を是正するために、盲導犬事業を指導監督する「カリフォルニア州盲導犬委員会」の設置法が成立し、また、盲導犬訓練士の免許制度および訓練施設の設置基準が設けられたのだった。この法律の施行によって、基準に満たない盲導犬訓練施設は一気に淘汰され、現在では、ガイドドッグ・フォー・ザ・ブラインドを含む3機関のみが、カリフォルニア州内で活動している状況である。連邦法やカリフォルニア州以外の州には、盲導犬事業を行う機関の基準や訓練士の免許制度に関する規定はない。
 カリフォルニア州における盲導犬事業に対する政策を抑圧と考えるか、公共の利益のため止むを得ない措置と考えるか意見が分かれるところだろう。いずれにしても、また、盲導犬事業に限らずさまざまな事業分野において、組織のリーダーや事業に携わる者に高い倫理感が望まれることは当然のことと思われる。
 次のことばは、英国盲導犬協会の指導者の一人であった人の発言である。「協会の職員は、大衆から正しく見られ、行動しなければならいないことを良く理解しており、そして、このことはパピーウォーカー、繁殖家、盲導犬使用者にも当然のこととして受け入れられています。」このような認識がなければ、社会がいかに福祉に関心があり支援の気持ちを持っていたとしても、成功はあり得ないことは明らかである。イギリスの盲導犬協会が、行政の援助に頼ることがないのは、このような倫理感に基づく活動に対して、イギリス国民が全幅の信頼を置いていること、そして大きな財政的支援を行っているからに他ならないだろう。
 その活動はまた、次のような確固たるポリシーによってなされていると言えよう。すなわち、「盲導犬の育成普及は、市民の自発的な奉仕活動によってなされるべきこと。公的な資金援助を受けないことによってこそ、より良い活動を展開できるのであるから。」「公的な資金援助によって得られる利益が、そのことによって生じるかも知れないさまざまな事態、盲導犬事業の政治的利用や行政的な論理による活動の制約より、大きいという保障はない。」というものである。
 このように、政府援助から独立していることを誇りとし、ポリシーとしているのは、アメリカ合衆国の盲導犬訓練施設も同じである。ただ、盲導犬事業の出発は、アメリカやイギリスにおいても、また日本、カナダなどの国々においても、常にガレージか倉庫だった。はじめから、「社会福祉施設」ではなかったのである。その盲導犬事業が、さまざまな社会的困難を乗り越えて、今こうしてあるのは、視覚障害者の自由に歩くことに対する熱望があり、誠実な犬たちがいて、訓練機関の創設者や理事、訓練士、職員たちの勤勉があり、そして、何よりも事業を支持する多くの人々の存在がある。そのことを決して忘れてはならないであろう。そして、それらの人々が支援を惜しまないのは、視覚障害者福祉増進のためや盲導犬の働きに強い感動を覚えるとともに、盲導犬事業が「民間の福祉」として取り組まれていることに賛同しているからだと思う。
 
3.3 我が国の盲導犬事集の現状
3.3.1 法的位置付け
 1978(昭和53)年の道路交通法の改正を機に、盲導犬に関する規定が盛り込まれた。車両の一時停止や徐行の義務により、道路通行上の保護も受けている。また、2000(平成12)年の通常国会において、社会福祉事業法が改正され、盲導犬事業は第2種社会福祉事業と規定された(施行は2001年4月1日から)。さらに、2002年5月28日、「身体障害者補助犬法案」が可決成立され、盲導犬、介助犬、聴導犬使用者の公共施設、公共交通機関、そして不特定多数が利用する施設の円滑な利用(施行は2003年10月1日から)が可能となる。
 
3.3.2 日本財団調査報告書に見る盲導犬と使用者
 我が国で国産の盲導犬が育成されたのは1957年のことである。以来45年余りが経とうとしている。日本盲人社会福祉施設協議会盲導犬委員会の調べによれば、2002年3月31日現在、国内で実働する盲導犬の数は895頭。2001年度一年間に、8ヶ所の盲導犬訓練施設が育成した盲導犬は130頭に上っている。
 ところで、日本財団(財団法人日本船舶振興会)は、我が国の盲導犬事業に関する基礎的な資料を得るために、1997年7月に「盲導犬に関する調査委員会」を発足させた。調査委員会は、
(1)盲導犬訓練施設に対する調査
(2)盲導犬訓練士に対する調査
(3)盲導犬使用者に対する調査
(4)元盲導犬使用者に対する調査
(5)盲導犬使用希望者に対する調査
(6)一般視覚障害者に対する調査
 を行うこととした。1998年11月に質問紙法によるアンケート調査を実施し、1999年3月その調査結果をまとめて公表した。その概要を見てみることにしたい。なお、調査ごとの回答数と回答率(回答者数÷調査票配布数)は以下のとおりである。
(1)8施設 100%
(2)41人 65.1%
(3)510人 60.9%
(4)122人 51.0%
(5)88人 58.3%
(6)1,797人 61.5%
 この調査で興味深いことは以下の点が挙げられよう。
(1)盲導犬の需要に関して、初めての統計的推計がなされたこと
(2)盲導犬使用者は、盲導犬使用について高い満足度を示していること
(3)盲導犬の継続使用をためらう理由として、自分自身の高齢・病気に次いで、盲導犬との離別や死別がその理由となっていること
 まず、盲導犬の需要について、報告書は、4,700〜7,800人と推計している。今までにも、いくつかの数字が挙げられてきたが、多くは合理的な根拠がない数字であったのに対し、この調査結果に基づく統計的推計値であることに大きな意義があろう。一方で、この潜在需要数に合理的根拠があるとすれば、現実の盲導犬実働数と大きな隔たりがあることについて、その原因を解明する必要があろう。
 次に、元盲導犬使用者を含め、盲導犬使用者の多くは、盲導犬を希望した目的が実現したと考えており(元使用者79.5%、使用者91.6%)、盲導犬との生活についても90.8%が満足していると答えている。盲導犬を使用するうえでの問題点として、入店拒否などで活動範囲が制限される(50.0%)、医療費などの経済的負担が大きい(37.3%)、世話に手間がかかる(30.0%)、隣近所や周囲の人々に気を遣う(20.8%)などとしている。
 盲導犬使用者の62.9%は継続的な盲導犬使用を考えているが、一方、盲導犬との離別や死別がつらいという理由が、盲導犬の継続的な使用を希望しない理由の第2位(元使用者では第1位)となっており、問題解決のために新たな取り組みが必要なことを明らかにした。







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