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軌跡 −国際保健協力フィールドワークフェローシップより−
河合 直子(順天堂大学医学部5年)
 国際保健で活躍する人々に憧れ、「いつか私も国際世界の大舞台で、多くの人の助けとなる仕事をしたい。」と強く思い、医学部を志望したのは高校1年のときである。本研修ではWHO、JICAでご活躍中の先生方に実際に仕事場でお会いし、話を聞く機会が与えられた。自分の中で将来の可能性に対し、更なるイメージを膨らませることができた。それだけではなく、いかによく生きていくか、人生の糧となる言葉をたくさん頂いた。また実際にフィールドに赴き、多くのものに触れ、五感で感じることができた。フェローシップを通して深まった、国際保健と自分の生き方についての思いに触れてみたいと思う。
 
−不公平性−
 なぜこの世界には不平等な現実に面することが多いのだろうか。この違和感が私を国際保健へと向わせた原点である。今この瞬間も日本では高齢者の延命治療に莫大なお金が注がれているが、ある国では数百円の予防接種を受けられない子供が死んでいくのである。
 フィリピンでは中央から地方へと段階的な保健医療の体制がしっかりと組まれており、低所得者も医療が受けられるようになっている。しかし、医者不足や薬品の在庫切れなど根本的なソフト、ハード面における欠落がみられた。また、私は診療費が無料であるということに驚いた。低所得層にも受診の機会を保障するという点では評価できるが、医療にはコストがつきものであるという認識を、人々に植えつけるごとができないことが大きな弱点だと思う。日本においても言えることだが、より良いサービスを提供する機関や、そこで働く人々が相応の報酬を受け取ることができなければ、個々の良心、責任感に頼る制度には限界があり、全体的なレベルの向上に繋がっていかないのではないだろうか。
 公平、不公平をきっちりと定義することは難しく、これを基準にすることが常にベストであるわけではないが、社会や時代に合わせ、どのような仕組みが最適であるのか、社会的コンセンサスを保つよう修正していける仕組みが望まれるのではないだろうか。
 
−あえて介入する意味−
 フィリピンではさまざまな問題が絡み合う中で、やはり私にとってインパクトが強かったのはゴミ山であった。そこで暮らす子供たちと歌を披露しあい、手をつなぐことによって、もう他人事だとは言えなくなってしまうのである。どぶ水が溢れ出している道、ハエが無数にたかっている屋台の食事、ゴミ集めを仕事にする大人たち。無邪気に歌う子供たちはいくら夢を語っていても、この中で夢を実現できる子は一体どのくらいいるのであろうか。医療を受ける権利は与えられても、この先、国の経済自体が急成長を遂げなければ、この子たちにとって全てがうまく回りだしていくことはないだろう。ゴミ山と人々を目の前にして、いかに今の私ができることが少ないかということに気付かされた。また私には、この国の子供たちは日本の子供にない輝きがあるのを感じた。困難なことがあっても家族や仲間と乗り越えていくたくましさがあり、とても不幸せそうには見えなかった。果たして私の生活を基準として考えて、ないものを与えていくことがこの子供たちを本当に幸せにすることなのだろうか。下手に援助をするより何もしない方が彼等にとってよいのではないのだろうか。これはメンバー各々が少なからず抱いた疑問である。今回の旅行中「あなたにとって幸せとは何か?」ということを語り合った。それぞれ回答は異なり、どれも個人の価値観がにじみでていた。日本で同世代として育ち、医療を学んでいる私たちでさえそうなのだから、まして世界中、幅広い年齢層の人々の幸せなど把握しようがない。
 国際保健協力は他国の人々と協力し、より幸せにすることが重要である。だがその幸せというのは実に難しい。やはり保健医療整備、社会の発展は構成員である住民人一人が求め、進めていくべきものであると思う。それは政治に限らず、井戸端会議から健康教育が生まれても立派な進展である。私は、そういう時にお手伝いが出来たら良いと思う。バルア先生が、住民が自分たちで社会を良くしたのだと最後に言うのが本当に良い援助の形であるという趣旨の詩を教えて下さった。
 私があえて国際保健といった形で他国に関わりたいと願うのは、様々な理由があると思う。多くの人の幸せにつながり、私にとってやりがいのある仕事であると思うこと。他国を見ることで、より広い視野から自国や世界をみることができること。また、その国の人にとって私は専門知識をもった良い人材となり、日本との架け橋になることができるとも考えている。
 
−日本人である私−
 国際保健や国際協力を考える際に、まずは相手国のことをよく知らなければならない。また、自分自身や日本についてもよく研究しておく必要があると気づいた。フィリピンの各施設を回る際、いつも頭では日本との比較をしていたように思う。人間の中にはそれまでの経験で培われた常識というものがあり、それを基準として新しいものを取り入れていくのであろう。また、日本は様々な問題こそあれ、貧富の格差が小さく、機会の平等性が大きいという点で理想的な国であると思う。だからこそ、私は日本よりも格差が大きく存在する場所へいけば疑問を感じるし、それを是正したいと感じるのである。
 人間は影響を及ぼしあうものである。今回の私たちの訪問は私たちにとって非常に勉強となったが、私たちがお会いした一人一人は何を考えただろう。自分のプロジェクトを誇りに思ったかもしれないし、わざわざ遠い国から若者が来るとは、なんてお金が余っている国なのだろうと思った村の人だっていたのではないだろうか。相手にとっての私はどういう存在であるのか考えることを忘れないでいたいと思う。また、過去の歴史を学んでおくことも重要であると考える。
 私たちの開いたレセプションにはWHO、DOH、フィリピン大学の方々など、多くの方々に集って頂き、対話に応じていただいた。様々な方が人生におけるアドバイスなど私たちのためを考えて語って下さった。私たちはこの上なく恵まれており、感謝を忘れてはならないと思う。この経験を活かすも殺すも私たち次第なのである。人生を85年とすると私はもうその四分の一を終えてしまった。限られた時間であるこれからの人生の中で、多くの人々から与えられ、育ててもらった私自身を使い、いかに人と社会の為に役立っていけるかその可能性を最大限に探って生きていきたいと思う。
 最後に、素晴らしい仲間たちと、この研修を支えて下さった全ての方々に言い尽くすことのできない感謝を申し上げたい。そして、この素晴らしいフェローシップが今後も多くの学生に経験や考える機会を与えてくれることを願っている。
 
思わぬ収穫
馬場 幸子(大阪大学医学部5年)
 私は計画を立てるのが好きだ。
 私は社会医学に関心を寄せていて、今年の目標は社会医学に関わろうとする時、どのような角度からどのように切り込んでいけるのかを考えることだった。そんなわけで、今回このフェローシップに応募した。
 海外研修の参加が決定すると様々な恵まれた経験・機会を無駄にしないために以下のような目標を立てた。
1. 母子保健に対しての実際の取り組みを知る
2. 国際保健にたずさわる医師の人となりを知る
3. 10日間の団体行動を楽しむ
 一つ目に関して。私は4年生の時に基礎配属で、日本、そして世界の人工妊娠中絶をテーマに選んで以来、母子保健に興味を持っていた。その時考えたことは、衛生状態・文化・宗教、そして、法律や政治など多くの要素が異なるために、中絶という同じ問題に関しても国によって大きく異なるということである。しかしながら、不衛生な環境での出産や違法中絶により敗血症で亡くなる母体は非常に多いのか現実である。こういったことに対する問題意識から私は母子保健に強く興味を抱いているのである。
 フィリピンでは中絶は主に宗教上の理由により受け入れられていない。しかし、多産が大きな問題となっているのも事実である。母子が共に健康に暮らせるようにするためにこの状況下で行えることは、女性に避妊や家族計画、そして、子どもへの栄養を教育することである。JICAのプロジェクトではこれらのことに重点を置いていた。避妊と家族計画に関しては教育がいきわたりつつあるように思った。紙芝居や実際の道具を使っての説明、そして、身近でありながら専門的立場にある女性からの指導は受け入れやすく、訪れたhealth centerではその効果が数字として現れていた。栄養に関しては指導や給食が行われるものの、経験にのみ基づいており改善点が浮き彫りになっていた。そうはいえ全体としては具体的な効果的な自助援助をJICAが支援していることを実感することができ非常に勉強になった。
 二つ目に関して。国際機関で働く医師が必要とされる能力や適性を知りたかった。そのために積極的に質問をした。プレゼンやプロジェクトの内容に関しても勿論であるが、それよりはむしろプレゼンの筋道に対してや戦略のたてかたなど、各先生方のものの考え方を垣間見られるような質問を考え投げかけるよう心がけた。質問にあたっては同じ質問を自分自身にも投げかけ、自分ならどのように答えるか考えたりもした。どの先生方も論理が明確であり説得力のある回答が多かった。これは国際組織の中で働き他国にむけて何か支援をする場合に特に必要な能力であると感じた。また、自分のアイディアや計画を組織の中で認めてもらいそれを実行に移すためにも必要な能力である。また、立てた戦略に対して住民をfacilitateするにあたって何よりも重要なのは住民の理解であり、彼らの理解を促すためにも必要な能力であると思う。つまり他文化地域に対して働くには説得力、そして、説得するためには論理が必要なのである。
 三つ目に関して。自分のポジションと役割をつくる。自分を早く知ってもらうために意見を人に話しアピールする。11日間というわずかな期間を充実したものにするために、また、興味を満足するために自分をどこかに位置づける必要を感じた。自分のポジションを作ろうとすると自ずと他の人の性格もみえてくる。どのメンバーも全く違った個性があり意見を持っていた。それでありながら協調性というものが常に保たれていたのは驚くべきことのように思う。敢えてこのような目標を掲げなくとも、今回のグループは自然と協調性を保ちながら得意分野は自ら積極的に動き、経験を皆で共有していくことのできるグループであった。私にとって非常に居心地のよいものであり、余計なことにあれこれ気を遣わなくとも日々十二分に満足しながら過ごすことができた。
 これら三つの目標はどれも達成された。しかしそれだけでは終わらなかった。
 「計画外の」予期せぬ収穫は、同じ一つのことに対してであってもその取り組み方、捉え方は人それぞれであるということを身をもって実感できたということである。答えは一つでないことも多いし方法はいろいろある。感じ方もいろいろある。人間はいろいろな人がいるから世の中面白いのだ。また、そんな世の中だからこそ協調性が必要になる。今回のメンバーと一緒に14日間を過ごさなければ、私はこれほどまでに協調性ということについて考えることもなかっただろう。協調性を保つには他者を聞き、他者の立場にたち、そして、他者を受け入れることが必要である。自分の意見を持つことは勿論重要であるが、人間一人で生きているわけではないのだからそれだけではうまくいかない。こんなことは本当ならば日常生活をしながら気づいてよさそうなものなのに、今回のような特別な経験をさせてもらってやっと実感できた。
 今回の経験、そして、メンバーがフェローシップの11日間だけでなく、今後どのような形で私の人生に影響を与え続けていくのかが楽しみだ。
 最後に今回私たちを支えてくださった全ての方に厚くお礼を申し上げます。







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