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さよなら“宗谷”!
 昭和53年(1978)10月1日午後3時、東京の「船の科学館」の発するWELCOMEの国際信号旗に迎えられた“宗谷”は、静かに終焉(しゅうえん)の地竹芝桟橋に接岸しました。誕生から40年を経過して、解役されることになったのです。
 真っ青に晴れ渡った日本晴れの翌2日、“宗谷”は現役最後の満船飾(まんせんしょく)に身を包んで、解役式に臨みます。
 歴代の海上保安庁長官や船長が多数見守る中、国旗と海上保安庁の庁旗がマストから降ろされ、“宗谷”は船としての一生を終えたのです。
 苦難に立ち向かい懸命に走りつづけた“宗谷”の姿は、まさに日本人の昭和史そのものでした。
 “宗谷”の解役が決まったとき、“宗谷”をぜひ保存したいという声が各地に沸き起こり、全国で11の地方自治体などが名乗りを上げました。海上保安庁はこうした声に応えて、慎重に検討した結果、最終的に東京の「船の科学館」を保存先として指名しました。当時、「船の科学館」の館長を勤めていた笹川良一初代館長は、“宗谷”を「不可能を可能にした、奇跡の船」と絶賛して、未来ある青少年に“宗谷”を通じて勇気や情熱を学び取ってほしいと考えて保存・展示することにしたのです。
 “宗谷”は、昭和54年(1979)5月1日より「船の科学館」の前面水域で一般公開を開始、以来四半世紀が経過しました。
 “宗谷”の見学者数も平成14年(2002)9月には600万人を突破、“宗谷”は今日も見学に訪れる人々にその長い歴史を語りつづけているのです。
(おわり)
 
昭和53年10月、満船飾に身を包んだ解役式当日の“宗谷”
 
「船の科学館」の笹川良一初代館長
 
600万人目の見学者(右)と神山榮一館長(左)
 
昭和54年5月、「船の科学館」の前面水域で一般公開が開始された“宗谷”







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