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生命教育を使命に
ライフセービング協会 理事長 小峯 力(こみね つとむ)
 
 2001年、日本ライフセービング協会(以下、日本協会)は、内閣府法人認証(特定非営利活動)を受けました。
 公の組織として、国際ライフセービング連盟(131カ国加盟)における日本代表機関としての責任と、我が日本協会に求められた安全教育による社会貢献と、誠に身が引き締まる思いで、紙面の許される限りその一端を謹んで筆を執らせていただきます。
 さて、ライフセービングとは文字通り人命救助と訳すのが適当ですが、広義には人命救助を本旨とした社会的活動を意味し、一般的には水辺の事故防止のための実践活動を言います。
 既に、諸外国においてそのライフセービング活動が極めて自然な形で国民の生活に溶け込んでいることを目のあたりにすると、その背景には深い歴史とスピリットのあることがうなずけます。
 そして、わが国のその活動は、「救助」「教育」「環境」「福祉」、そして「スポーツ」によって「生命尊厳」の思想および実践をかさね、それが地域社会への貢献につながるよう、学校・地域それぞれのクラブ化によって展開されています。
 はじめに、そのなかでも「スポーツ」による展開を取り上げ、そこからライフセービングの背骨、いわゆる普遍なる理念を垣間見ることにいたします。
 「ライフセービングのように、スポーツに人道主義の目的が備わったとき、そのスポーツこそ奨励するに値する。」(The Sydney Morning Herald 1908)
 この新聞記事は、日本における明治41年のことでありました。
 誤解を恐れないように、日本協会ではライフセービングをスポーツとは捉えず、ライフセービング競技はスポーツであるとしています。つまり体操、あるいは陸上のように、体操競技、あるいは陸上競技となれば、それがスポーツとしての要素が強くなるのと同様の理解をしています。しかし他の競技と異なるのは「競い合う」意味にあります。以下に、そのことを意味する表現として、本競技で優勝したオーストラリア選手(ライフセーバー)のコメントを紹介します。
 「競技に勝つために一生懸命トレーニングし自分を鍛える。そして、その勝利を得たとき、その鍛えられた身体がはじめてレスキューを可能にする。自己のために鍛えた身体が、いつの間にか他者のために尽くすことに繋がっていることが素晴らしい。だから、私は一生懸命トレーニングをする。つまり競技のNo.1はレスキューのNo.1である。」
 つまり、ライフセービング競技は、競技力向上はあっても、勝利を最終目標とせず、それを超える「救助力向上」こそ求めるところとなります。すなわち救命こそ勝利であるとしています。
 
 
ライフセービング競技の教育的示唆
 本競技は、オーストラリアにて生まれました。その当時はイギリスの植民地であったことから、イギリス流の「スポーツによる人間形成」、Malim,F.B.1917の論文よりその主要点を要約し示すなかに、教育的示唆をみつけることができます。
(1) ライフセービング競技種目は、実際の救助に要求される要素をベースにつくられています。よって、その実践は厳しい状況下においても救助に立ち向かうという姿勢・勇気が問われ、さらにどのような状況においても的確に判断のできる精神力、それに対応でき得る肉体が要求されることになります。
(2) そこで、その要求に応える自己を形成するためには、その練習過程において遭遇する苦しさを歓迎できる精神力と体力を身につけることにあり、その過程をかさねることで、溺れている者は、今の自分よりもはるかに苦しいと感じられる感性をもつことができます。つまり、その気持ちが生まれるようになると、溺れている者の苦痛を軽減しなければならないという「救う・守る」という使命感を有することになります。
(3) その使命感は、他者のために尽くすことの素晴らしさを感じ、また当然であると思える気持ちが強くなります。さらにそれらは溺者に安心感を与えるという包容力をもち、この段階に達すると、ライフセービング競技においての勝利は、あくまでも手段に過ぎないことを知り、勝利を超えた究極の目的は、人命尊重を第一優先とする自己確立が期待されるのです。
 
ライフセービング競技の科学的視点
 本競技は、救助能力を問う種目であることは確認しました。
 救助能力を問うに最も優先される要素は持久力、すなわちスタミナといわれます。
 筆者らは、「Ironman Race」という、あらゆる要素を複合した種目における競技中の心拍数を記録し、その救助に立ち向かう救助者自身の身体負荷強度について検討しました。つまり、他者を救うことより、まず自身を守ることこそが優先されるなか、その実際を把握することにより二重事故を防ぐことにつながるデーターを紹介します。
 
図1 競技中の心拍数変動
 
 図1は、競技中における心拍数変動を示したものです。約9分間の競技中の心拍数は最高190/minに達しました。これら心拍数から身体負荷強度を推察すれば、170/min以上の高い心拍数を示す時間が、レース時間中の平均93.6%を占めていたことから、運動強度はかなり高いものであると考えられました。ただし、実際の救助時は、これに溺者を確保する条件と、その後の冷静かつ正確なCPR(心肺蘇生法)の実施がまだ残されているから、以下の研究はそれを明確に裏付けていることを忘れてはなりません。
 また、図2は溺者を実際に救助する際には、ライフセーバーの身体にはどの程度の運動負荷が掛かるのか、それぞれの救助法(自力で泳ぐ・レスキューチューブ・レスキューボード)の心拍数測定から、その身体負荷強度レベルを調査した結果です。
 考察から、どの方法であっても、救助に向かった直後から急激に心拍数は増加し、救助活動中は160〜180/minの常に高い値を記録しています。最も注目すべき点は、どの救助法ともに最も高い心拍数を示した時点は、溺者を海から引き上げ、溺者を搬送し始めてから、心肺蘇生法施行直前までの間であったということです。つまり、溺者救助にはライフセーバー自身の身体に多大な負荷が掛かるなかで、的確な症状把握と対応、そして適切なCPRが求められることが理解されました。
 
図2 溺者救助時における心拍数の変化
 
 さらに、その条件設定、つまり救助者自身の心拍数が170/min以上にも上昇した状態にあって、果たして有効なCPRが可能なのかをも検討しました。
 
図3 激運動後のCPR成功および失敗率の変化
 
 図3は、激運動時におけるCPR成功坊率・失敗率の変化を示したものです。安静時では平均79.7%であった成功率が、激運動時には65.8%と有意に低下しました。また、心臓マッサージも安静時では平均97.7%であった成功率が、激運動時には89.7%と有意に低下しました。また、激運動後のCPR失敗試行変化における有意な増加を認めたのは、吹き込み量の過多でした。心臓マッサージでは圧迫の過弱でした。さらに圧迫ペースについては、前半、後半ともに有意に早くなることが認められました。
 このように、救助者自身における身体負荷強度の増加は、明らかにCPR技術精度を低下させることが理解されました。結果、一般に実施されているCPR訓練は、救助者自身の安静時に実施されていることが多く、ほとんどの場合、実際の水難事故をはじめ、地上での事故においてもCPR実施者は駆けつけてきたり、精神的緊張など心拍数上昇は避けられません。
 よって、救助者のCPR技能精度低下を防ぐには、普段からそのような条件による実践的なCPR習熟、さらには心身強化が望まれることになります。
 以上のように、ライフセービング競技に参加する者のゴールは、競いの終わりでなく、生命を救うに必要な「一次救命の確かさ」を求めることこそが、真のゴールと理解されています。
 
ライフセービング活動の成果
 これまでは、スポーツ競技面からライフセービング活動の普遍なるスピリットを述べてきました。「備えあれば憂いなし」の言葉のごとく、これら日々の訓練は、万一の際にそれは限りなく正確に対応できるよう、その技術の練磨に休むことはありません。
 また、ライフセーバーは、溺水心肺停止事例における第一発見者であろうことは少なくないポジションに座し、しかも、心肺蘇生の成否決定に関して最重要因子であるBLS(一次救命)を担っています。さらに、対象となる溺水は、ある程度の低温状況が得られ、脳保護の点からも有利といえます。図4に、それら蘇生の結果を毎年、日本協会は発表していますが、社会復帰できた心肺蘇生症例は、日本の医療機関からの報告と比しても高い比率を示しています。ただし、ライフセーバーのBLSが最重要であることはあっても、BLSのみで完結終了するものではないことも自明の理であり、素早くかつ正確に心肺蘇生法導入は、高度で洗練されたALS(二次救命)に引き継がれることで、さらに意味を増し、患者の福利へと繋がったという認識は付け加えておかなければなりません。
 
図4 ライフセーバーによる心肺蘇生の結果
 
水における生命教育
 WHO報告によれば、世界における溺死は2分に1人、毎年25万人の人々が溺れているといわれます。わが国もその例外ではなく、先進国のなかでは極めて高い数値を示し四方を海に囲まれた日本の水辺教育は未だ不十分と言わざるを得ません。(図5)
 本年、文部科学省は新学習指導要領において、自然との関わりの深い活動として「水辺活動」を必修科目としました。学校完全週休2日制導入もそれに拍車をかけることとなり、その指導は地域や学校の実態に応じて積極的に実施することとなりました。
 
図5 不慮の溺死における死亡率の国際比較(人口10万人対)
 
 既にそれに先駆け、ライフセービング・プログラムは東京都公立小学校・中学校をはじめ、私立中・高、そして専門学校・大学の授業にも導入されました。まさにその内容は、「水辺活動と安全」を専門領域として、その特徴は「安全はすべてに優先する」が第一項目です。つまり自然の中において実施される水辺活動は、危険はあるという前提に立ち、だからといって単に生命を水から遠ざける安全でなく、むしろ水と親しむことによって危険を回避する能力を導きだす。つまり「自分の命は自分で守る」SELF RESCUEです。
 そこで、その学習過程と内容の一端をご紹介します。
 ここ数年、各学校の指導実績における自己評価・自己点検は、自賛を許されれば、その教育効果に悲観はなく、むしろ確信を強くしています。なにより受講を終えた生徒・学生たちへのアンケート結果はそれをうらづけるものとして貴重です。例えば「自分、そして家族の生命を意識するようになった」が最も多く、「楽しかった」もそれ同様にあり、「人のため強くなる」がそれにつづきます。「海が好きになった」の感想をさらに多くしなければとの課題ができ、父兄、教職員とともに創りあげる喜びは、それを超える貴重な体験です。意外なことは父兄、教職員こそが最も海を楽しめたのではないかということ。今日までこのような教育体験をしてこなかった世代、まず先生や親の理解を得る手ごたえが最も大きかったことは有益でした。
 おわりになりますが、これら内容によって海を愛する方々にライフセービングの背骨が少しでも垣間見ていただけたなら幸いです。今日、この国が最も欠如していると言われて久しい「生きる力」「いのちの教育」に最も具体的で積極的な生命教育の使命をさらに充実して参りたいと思います。
 
体験学習に活用できるライフセービングから学ぶプログラム例
プログラムの内容 指導 目標
オリエンテーション ライフセービングについての概要説明 ライフセービングとは水辺の救助活動であり、溺れる人を助けることも重要だが、それ以上に一人一人が溺れないようにすることが大切であることを理解する。
レスキュー・デモンストレーション レスキューチューブとレスキューボードを使用して溺れている人を救助する方法と蘇生法を見る。
ビーチクリーン ーチクリーンの重要性 地球環境汚染のひとつとして海洋汚染があること認識し、汚染の進行が最柊的に人類に降りかかる重要な問題であることを理解する。また、海岸のゴミは人体に危険である場合も多いため、事故防止のためにもゴミを拾うことを知る。
ビーチクリーンの実施 実際にどんなゴミが落ちているのかを知る。またゴミ拾いの苦労を知り、ゴミを捨ててはいけないことを認識する。
安全確保 バディ・システム 海に入るときは一人では入らず、必ず誰かと一緒に入ることを守る。
ヒューマンチェーン 握手ではなく、お互いの手首と手首をつなぐことによって、波の中でも確実に相手を確保できるようになる。
サーフスキル ウエーディング 砂浜の海岸の浅瀬を、膝を水面から上げて走る。両腕を大きく振ると足が高く上がる。
ドルフィンスルー 沖に向って進むとき、波に対して海中に潜ることによって波をよける方法。しっかり海底を蹴ってイルカのように水面上にジャンプする。
ボディサーフィン 沖から岸の向うとき、崩れる波に合わせて、自分の身体を一枚のサーフボードのようにして波に乗る方法。腕を伸ばして頭を下げ、しっかりバタ足をして勢いをつける。
ヘッドアップスイム 顔を海面から上げて、目的地や周囲の状況を確認する方法。クロールでできるようになる。
サーフフィットネス ラン・スイム・ラン 砂浜を走って、そのまま海に入って泳ぎ、再び砂浜を走るトレーニング。正規の距離は200mスイム+200mラン+200mスイムだが、レベルに応じて挑戦する。
ニッパーボード レスキューボードのジュニア版に乗って、バランス感覚をつかむ。慣れてきたら、パドリングをしたり波に乗ってみる。
サーフサバイバル 浮き身 浮き具を持たず身体ひとつで浮く方法と身近なものとしてペットボトルで浮く方法をそれぞれ体験する。
エレメンタリーライフセービングバックストローク 背浮きの状態から上を向いたまま、平泳ぎの要領でゆっくりと疲れないように泳ぐ。
カレントからの脱出法 リップカレント(離岸流)にはまったら、あせらずに一度沖に流され、流れのない安全な場所から岸に戻る。
救助法 リーチ 二重事故を防ぐために、まず身近にある長いモノで相手を確保する。
スロー リーチで届かない場合、浮き具を投げて確保する。
スイム 浮き具を投げても届かない場合、最終手段で泳ぎ助けるが、必ずレスキューチューブなどの救助機材を持って行く。
メインイベント 続泳 中級・上級は海の状態、参加者の泳力に合わせて、集団で20分程度の続泳を行い、全員完泳を目指す。
ビーチフラッグス 初級は続泳の代わりに、ビーチフラッグスを行う。すばやく起きあがる、低い姿勢で走る、ダイブしてチューブを取ることを練習し、安全に速く目的地まで走れるようになる。







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