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日本水難救済会のルーツ
琴刀比羅宮
博物館学芸員 綾 美菜子(あや みなこ)
 
 大日本帝国水難救済会は、ロシアの水難救済会をモデルとして、明治22年に発足した日本における近代的水難救済制度です。
 この画期的制度を当時の日本に導入したのは、ひとえに金刀比羅宮(ことひらぐう)宮司琴陵宥常(ことおかひろつね)の功績といえるでしょう。
 琴陵宥常は、金刀比羅宮が江戸時代、金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)とよばれていたころの最後の別当です。その後、明治になり、神仏分離令によって、神社としての金刀比羅宮が発足した後、宮司になられています。
 琴陵宮司は「海の神様」としての信仰の篤い金刀比羅宮の宮司でありましたから、頻発する海難事故、また被害にあった人々を救助する制度を確立する必要性を常々考えておられました。
 当時の水難船は、明治14年から19年の5年間に及ぶ統計によると、破壊船2,300艘、損傷船885艘、漂流90艘。死者159人、負傷者114人、漂流者259人となっています。しかもこの統計では五十石以上の船舶に対する調査であり、五十石未満の船舶や漁船等は対象外となっているため、実際の被害数はさらに多大なものであったといえるでしょう。
 
 
 特に、水難船の中でも有名な事件が、明治19年におきています。
 この事件は、明治19年10月25日、英国貨物船ノルマントン号が紀州大島沖で難船、沈没したというものです。その際、同船の船長ならびに英国人水夫等は救助されたにもかかわらず、乗り合わせた日本人乗客23人は全員、同船に取り残され、水死しました。
 この事件後、裁判が行われましたが、幕末に締結した諸外国との不平等条約の関係もあり、同船船長に対する責任は、事件の規模から考えると非常に軽微であったと言わざるを得ません。そのため、日本国民の感情を大きく傷つけ、折から盛り上がってきていた条約改正論議に油をそそぐことになりました。外国人が日本人に対して犯罪を行った場合、日本側にはその裁判権がなかったからです。
 琴陵宥常宮司は、こういった事件の経緯および結果を見て、水難救済制度の必要性を痛感したといわれています。
 
琴陵宥常銅像の横にある資料室には昭和9年現在の救難所配置図がある
 
 また、同じころ、黒田清隆の欧州視察旅行記録「環遊日記」が、明治20年に発行されました。この中編に、ロシアの水難救済会の記事が紹介されていますが、これに目を通す機会のあった琴陵宮司は感動し、さっそく水難救済会の設立を目指し、行動を起こしました。
 琴陵宮司は「大日本帝国水難救済会大旨」を起草し、各界著名人等に送付して、この制度の必要性を説き、ひろく協力を求めました。
 また、この大旨において、琴陵宮司は水難救済会に対する経緯を次のように述べています。
 「〜宥常等身幸ニ海上危難ヲ保護スル所ノ主神ニ奉仕ス。豈ニ之レヲ措キテ顧ミサルヲ得ムヤ。況ンヤ我カ本宮ニハ崇敬講社員ノ之レカ本会ノ基礎タル可キ者有ルニ於テヲヤ。是ヲ以テ自ラ端ラス。率先シテ之レカ方法ヲ講シ。茲ニ大日本帝国水難救済会ヲ組織スル所以ナリ。〜」
 さらに、明治22年には、「環遊日記」の著者であり、当時の総理大臣黒田清隆本人ともお会いして、ロシアの水難救済会について直接尋ねています。
 こうして着々と陣容を整え、明治22年11月、金刀比羅宮において「大日本帝国水難救済会」の開会式を挙行することになりました。
 
琴刀比羅宮の御書院門の左側の柱には日本水難救済会琴平出張所の看板がある
 
 水難救済会設立当時、副総裁に鍋島直大、顧問に樺山資紀、芳川顕正、森岡昌純というそうそうたる顔ぶれを集め、翌明治23年4月には、有栖川宮威仁親王を総裁に推載しています。
 水難救済会発足後、全国各地に作られた下部組織は、短期間の間に比較的順調に整備されました。これはいわゆる金比羅講、すなわち金刀比羅宮の崇敬講社の組織を活用したことによります。金比羅講は当時約三百万といわれた実勢を持つ講社でありましたから、それも当然のことでした。
 また、本会の活動資金はすべて義捐金によるものでした。「大日本帝国水難救済会規則」にその資本元が明記されていますが、その第一項に「金刀比羅宮崇敬講余慶社ヨリ年々義捐スル年金」とあります。この事から、当初経済的にも金刀比羅宮崇敬講社に依存していることが読みとれます。
 明治26年には水難救済会員が金刀比羅宮に参拝したときの待遇を、名誉会員、正会員、賛助会員に分けて規定しています。最も優遇された名誉会員の参拝については、「昇殿拝ヲ許シ神酒ヲ贈フ社務所表書院並ニ奥書院ヲ縦覧ニ供ス」とありますから、金刀比羅宮自身で決めたこの規定は、いかにふかく水難救済事業に没頭しているか分かるかと思います。
 このように、水難救済会は当初から金刀比羅宮と表裏一体の密接な関係があったといえるでしょう。
 金刀比羅宮は昔から「海の神様」として知られています。それに加えて御祭神である大物主神並びに崇徳天皇のご神威は、農業、医薬、殖産、工業、航海等と、海上守護にとどまらない広い分野に及んでいます。
 明治時代以降、これら幅広い分野に及ぶご神徳の中で、殊に「海上守護の大神」としての金刀比羅宮が大きくクローズアップされていきました。一説によると、このように「海の神様」としてのご神徳が全国的に広がったのは、琴陵宮司による本会設立の功績が大きく関わっているともいわれています。瀬戸内海や近海の海洋を航海する船舶、漁船等が難破した折に、金刀比羅宮から贈られた旗を掲げた救難船に救われた人々が、さらに篤く信仰していったのでしょう。
 戦後、名称は(社)日本水難救済会とかわりましたが、創設者である琴陵宮司の意志、すなわち海難にあった人々を救助したいという思いは、同救済会だけでなく、海難事故ゼロを目指す人々すべてに共通するものだと思われます。今日でも、数多くの海難事故が発生していますが、事故の防止および救助にあたって、今後とも関係各位の一層のご活躍を願ってやまない次第でございます。
 
海上衝突事故防止のために
〜海難審判裁決例に学ぶ〜
岡村 静一
筆者の言葉
 船舶の衝突事故の実態を分かりやすい言葉で紹介、船舶の安全運航の願いを込めて書きました。
 衝突事故の実態に関する本が極めて少ないことを以前から痛感していましたので、海難審判の裁決例の中から、巨大船からプレジャーボートに至るまでの種々の衝突事故144件を選び、各航法毎に分類整理し、それぞれの裁決例を分かりやすく説明し、事故原因についてどちらの船舶の運航に原因があったのか、どのようにしたら衝突は防げたのか等、衝突事故の実態を明らかにし、事故の再発防止と、海事関係者が衝突事故の海難事件を処理するときの参考となることを願った本であります。
 衝突事故の最大の原因は見張りをおろそかにした結果であり、人の不注意が事故を招いています。船舶の安全運航の最も大切な基本は「見張り第一」ということです。
 本書により、大型船の人は小型船の、小型船の人は大型船の、特殊な事例としてのそれぞれの船橋当直の知られざる実態を知ってほしいと思います。
 
海文堂出版 Tel 03-3815-3292
定価 本体3,000円+消費税







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