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◆「殺されることを覚悟した」全面的な証言
 それでは、本稿冒頭の安氏の言葉に戻ろう。当初は北朝鮮に住む肉親と自身の身の危険を考えて拉致の実態などについて公開の席で語ることに消極的だった安氏が、なぜ今回、拉致など北朝鮮工作機関の悪辣な犯罪行為の実情を具体的に暴露した『北朝鮮拉致工作員』という本を本名で、しかも写真入りで出し、かつその中身について取材を受けるためにわざわざ来日までしたのかということだ。
 その点について尋ねた筆者に安氏はこう答えた。
 「一九九七年三月、横田めぐみさんのご両親がテレビ局と一緒にソウルに来られた際にお会いしたのだが、そこで二十年間愛する娘と会うことができない父と母の悲しみがどれくらい大きいかを実感した。自分は直接拉致は行わなかったが、それにしても自分が所属していた北朝鮮の工作機関がいかにひどいことをしているのかを改めて心に刻まされた。
 北朝鮮にいたころは民族統一という大義名分のため、過去われわれを苦しめた日本人を犠牲にすることに何のためらいも覚えなかった。しかし、韓国で生活するうちに自分の心のなかでも少しずつ当り前の人間がもつ良心が回復してきた。
 なんとか一日でも早くめぐみさんが両親のもとに帰れることを願って、日本の警察関係者が調査に来たときは、知っていることを詳しく話して協力した。自分の証言を活用して日本政府が北朝鮮側に強く迫れば、めぐみさんらを取り戻すことができるかもしれないと期待してであった。
 ところが九七年十月末、韓国紙は日本外務省アジア局長が『拉致疑惑は北朝鮮の亡命者の証言以外に証拠がない』『亡命者は何をいうか分らない』と語り、私の証言を否定したというニュースを報じた。北朝鮮当局だけでなく、もはや日本政府までもが私の証言を否定して、日朝国交樹立と大規模な援助を実施するため日本人拉致問題を二の次にしようとしている。とんでもないことだ。自国民を犠牲にしながら、国際的謀略集団である北朝鮮と国交を結んでいったい何が得になるのか。
 日本政府が頼りにならないとするなら、日本をはじめとする国際世論の力で北朝鮮に圧力をかけるしかない。そのためには私が知っていることをみんな公開しなければならないと決心して、その日のうちに書きはじめ、約一ヶ月で原稿をまとめた」
 めぐみさんの両親が「一定のリスクを覚悟して」世論に積極的に訴えることを決断し、その結果、安明進氏と両親が対面することになり、その両親の訴えが安明進氏の良心に響いて、彼も「殺されることを覚悟した」全面的な証言に踏み切ったということだ。
 じつは筆者が安氏と話し合った際にはめぐみさんの両親も同席していた。両親は安氏に、危険を冒して本を書いてくれたことに感謝し、安氏と北に残るその家族の無事のためいつも祈っていると語っていた。安氏はしみじみと「『真実は時がたてば必ず明らかになる』という言葉があるが、それはほんとうだと、いま体験的に感じている」と話した。国家ぐるみの組織犯罪である日本人拉致についても、多くの関係者の勇気ある決断の積み重ねによって少しずつベールがはがされウソが暴かれてきたということだ。
 紙幅の関係で詳しくは述べられないが、安氏が亡命を決意した背景には金賢姫の証言があった。
 一九八〇年に金正日政治軍事大学(当時は別の名称)に召喚された金賢姫は何人かの同僚とともに、拉致された日本人を教官とする工作員日本人化コースの第一期生となり、その七年後の八七年十一月に偽造された日本旅券をもって日本人に偽装して大韓航空機爆破というテロを実行した。逃走中に逮捕されると準備していた毒薬入りのタバコをかんで自殺を企ったが、若くて体力があったため死に切れなかった。ソウルに移送され取り調べを受けるなかで、韓国が北朝鮮で学習したような「米帝国主義の植民地支配下で人民が塗炭の苦しみを味わっている」どころか、考えられないくらいに豊かで自由な国であることを知り、韓国に革命を起して北朝鮮の主導下に統一をするためには百十五名の乗客ら(ほとんどが韓国人出稼ぎ労働者)の犠牲は仕方ないと信じていた「洗脳」が解けた。そして、自分はとんでもない罪を犯してしまったという良心の痛みを感じる。
 せめてもの罪ほろぼしに北朝鮮のテロ犯罪の全貌を詳しく証言しようと考えるが、それをすると北に住む両親らがこの世の地獄ともいうべき政治犯収容所に送られてしまう恐れが大きい。彼女は悩みつづけた末、私を強く愛してくれたお母さんがいまの状況を知ったら罪の償いをせよといってくれるはずだという結論に到達して、翌八八年一月の記者会見に臨んだ。その席で李恩恵と呼ばれる拉致された日本人女性の存在も明らかにされたのだ。
 安氏の本によると、金正日は金賢姫の会見を知り激怒して、このような裏切者が出ないように工作員養成教育を見直せとの命令を下し、その結果、工作員らには韓国の実情をありのまま教えて韓国に捕まってもショックを受けないようにするとの新方針が出される。安氏はそのため「金正日政治軍事大学というスパイ養成所で六年あまり教育を受けながら、韓国が自由民主主義社会であること、経済的に豊かな社会であること、能力さえあれば良い暮らしができること、そして何より、私が持っている情報を提供すれば何とか生きていける社会であることを徐々に確信し」(同書一二頁)、九三年九月、初めての対南侵入作戦の際に韓国軍の歩哨所に逃げ込んで亡命したのだ。
 安氏の命がけの行動の背後には、金賢姫の良心の叫びともいうべき記者会見があったのだ。人権や主権は、ただ座っているだけでは守れない。それぞれがリスクを背負って戦うことによってしか守れないのだということを、めぐみさん拉致が明らかにされてきた以上のようなプロセスを確認しながら強く感じる。
 めぐみさんを拉致した教官によると、彼女は船で激しく泣き叫んだので、真っ暗闇の船倉のなかに四十時間以上閉じ込められた。船倉ではめぐみさんはずっと「お母さん、お母さん」と叫んでおり、出入口や壁などをあちこち引っかいたので、着いてみたら彼女の手は爪が剥がれそうになって血だらけだったという。(同書一四五頁)
 めぐみさんの母、早紀江さんは全国を回って、被拉致者全員の帰還のために日本政府が積極的に対応してくれるよう世論に訴えているなかで次のように語る。
 「めぐみはこの二十年間、お父さんお母さんはなぜ助けに来てくれないのか、とずっと思いつづけているはずです。そう考えると胸がはり裂けるようです」
 めぐみさんが船倉で呼んだ「お母さん」という助けを求める声を、われわれ日本人は「母国日本」と置き換える必要がある。二十年間、日本政府はめぐみさんらを見捨ててきたのだ。しかも、拉致されたということがまったく分らなかったためではなく、かなりの証拠をもっていながら何も手を打たなかったのだ。(詳しくは『現代コリア』九七年十一月号拙稿[本書第三部収録「めぐみさんらを見捨ててきた日本政府」])
 一九九七年三月、めぐみさんの両親に続いて被害者七人の家族が「いまを逃したらもう娘や息子を救うチャンスは来ない」と、「『北朝鮮による拉致』被害者家族連絡会」(代表横田滋)を結成して立ち上がり、続いて国会内に「北朝鮮拉致疑惑日本人救援議員連盟」ができた(会長中山正暉議員、百五十余名参加)。他方、北朝鮮に拉致された日本人を救出する組織が、新潟、関西、関東、北海道、福岡、熊本などに次々と結成された。
 被害者家族とこれらの組織は、総理大臣と外務大臣に拉致問題解決を求める署名を集め、九七年八月首相官邸に五十七万人分を届けたが、九八年四月十七日には署名が累計で百万を突破し、被害者八人の家族と運動代表が小渕外相に面会して再度早期解決への積極的対処を訴えた。もう一つ、米紙『ニューヨーク・タイムズ』の四月二日付に一頁の意見広告を出して訴えた。その費用の総額の約六百万円は全て全国からのカンパで賄うことができた。百万署名と六百万円カンパの背後に「主権侵害」と「人権蹂躙」は許さないという日本国民の怒りの声がある。めぐみさんの両親らの勇気ある叫びがここまで世論を盛り上げたのだ。
 
 
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