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◆日本側の無定見と韓国側の傲慢
 少なくとも日韓関係のトラブルについていえば以上みた通りだ。歴代自民党政府のやってきたことは、長期の展望に立って本当の友好関係はいかにあるべきかなど誰も考えてこなかったのだ。第一、植民地支配の後仕末がついて、二十年近くたって、日本から韓国への経済協力は、合計で一兆円。その国の大統領が日本を訪問するに当って、植民地支配についての謝罪の仕方が不充分だったから謝り直せという。
 国家関係はヤクザの世界とは違う。日本政府は、その非常識さを指摘、相手が謝罪要求を撤回しなければ、訪日を断るべきだった。個人と個人の人間関係でも国家関係においても同じだが、長期の友好を築くために、短期的には摩擦が必要な場合もある。韓国や北朝鮮の言動を不問に付し、日本が謝罪すれば友好関係が作れるなどナンセンスな認識だ。
 しかし、いまの政界にそれを望んでも無理だ。マスメディアは、細川首相がボールペンで記者の発言を指名したことが斬新だと騒いでいるが、政治における斬新さとは、あのようなパフォーマンスではない。
 それは、いまみた自民党政権の無責任な外交をどう根源的に改め、小沢氏のいうアジア・太平洋諸国との友好関係を築くかにある筈だ。
 ところが、細川首相のやったことは、自民党政治よりも更に低次元のことだった。記者会見や所信表明演説で、戦争や植民地支配の非を認めた二週間後の国会答弁で、問題の発言は「私の認識を示したもので、いわゆる戦後補償問題を前提にしたものではない」。戦後処理を行なってきた「法律的立場の見直しを行うことは考えていない」と「認識」と「補償」は別問題との考えを表明した。
 すると一連の細川発言は、なんだったのだろう。たんなる心情の吐露、アジアに対するリップサービスであったということにならないのか。この人は、自分のいっていることの重大さがなにも分かっていないようだ。
 「謝罪」と「補償」は別問題など国際的にはいうまでもなく、国内的にも通用する話ではない。いずれ北朝鮮と植民地支配の後仕末をしなければならない。そのとき非を認め謝罪したのだから、「賠償」は当然といってくることは火をみるより明らかだ。観念論ほどこわいものはない。九月七日の毎日新聞によれば、細川首相の「深い反省とおわび」の表明によってアジア諸国からの戦後補償要求は十九兆三千億円だという。
 筆者は産経新聞(八月十一日)への寄稿文「謝罪乱発は国を誤る」のなかで「日本の勝手な思い込みで『反省』や『謝罪』を乱発するだけで何もしなければ韓国・北朝鮮をはじめ、アジア諸国はウソをついたと言って日本への不信をさらに募らせるだろう」としるしたが、不幸にしてそれが現実のものとなってきた。
 
 
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