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◆政治体制の強靭性
 しかし、対南侵攻や内部崩壊が現実のものになるためには、いくつかの前提条件が必要である。論理的に考えて、まず第一に、北朝鮮の食糧危機やエネルギー危機が政権の管理能力を破壊する段階にまで到達しなければならないし、第二に、それにもかかわらず、周辺諸国がそのような状態を放置し続けなければならないし、第三に、北朝鮮指導部も対外的な妥協の道を拒絶し続けなければならない。いいかえれば、単純に経済破綻だけに注目すれば、北朝鮮はすでに何年も前に崩壊していなければならないのである。
 率直にいって、北朝鮮国家を存続させている最大の要素は、その特異で強靭な政治体制である。いいかえれば、経済体制の破綻にもかかわらず、それを補うだけの政治的な強靭性が存在することこそが、北朝鮮国家が維持されてきた秘密にほかならない。事実、ソ連・東欧型の社会主義国であれば、北朝鮮はすでに消滅しているに違いない。そうではなく、首領・労働党・人民の三位一体が強調される閉鎖的な有機体国家(「社会政治的生命体」)であるがために、北朝鮮は存続してきたのである。
 金正日書記の政治基盤についていえば、それは一般に想像されている以上に強固である。それどころか、長期にわたって、苛酷な暴力装置、極端な情報統制、イデオロギー教化などが維持され、政治体制が人格化されてきた結果、現在の北朝鮮には、首領制に代わりうる政治体制が存在しない。金正日書記はいまだに正式に最高指導者に就任していないが、その後継者としての地位は公式に確認されたものであり、北朝鮮では、後継者もまた「首領」である。だからこそ、金正日の指導も「領導」と表現されているのである。「外部からの脅威」の誇張や儒教的な価値体系もまた、国民の間に運命共同体的な政治意識を植え付けるために巧みに利用されている。
 もちろん、そのような一元的な政治体制にも物理的な限界がないわけではない。しかし、食糧危機がさらに深刻化した場合、内部的に予想されるのは、労働者や農民の暴動であるよりも、むしろ「統制された飢餓」であるだろう。いいかえれば、住民に対する統制能力が維持されている限り、「個人的な逃亡」は増大しても、食糧危機が体制崩壊に直結することはないのである。むしろ、そのような非人道的な状態を座視できずに、また北朝鮮の体制崩壊を恐れて、外部世界が食糧援助に踏み切るだろう。しかし、外部から食糧やエネルギーが提供されれば、それによって救済されるのは住民だけではない。政治体制もまた救済されるのである。
 ただし、だからといって、北朝鮮指導部にとって、食糧危機は何の意味もないということではない。それどころか、金正日書記の最高指導者への正式就任が遅れているのは、それが主たる原因だろう。金正日自身が「満三年葬」を主張したとされる以上、本年一〇月頃までの間に、労働党総書記なり、国家主席への就任が実行に移されるとみるべきである。また、韓国で一二月に大統領選挙が実施されることも、それ以前の正式就任が必要とされる大きな理由になる。それに失敗したとき、金正日書記の政治指導への不信を媒介として、経済体制危機が政治体制危機に転換し始めるのである。
 
 
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