朝日新聞朝刊 2002年9月22日
大局を見失うまい 日朝交渉(社説)
小泉純一郎首相の訪朝結果をどう見るか、世論にはなお戸惑いがある。
悲惨な拉致の国家犯罪が分かれば、普通なら「国交断絶」になりかねないのに、今回は国交正常化に向けて乗り出すという。引っかかりがあっても無理はない。
だが、普通でないのは、事件が国交のない異常な国家関係の中で起きたからに外ならない。では、どう考えたらよいのか、冷静に頭を整理しておきたい。
かつて日本の植民地だった朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は、日本と国交のない唯一の国だ。国交正常化は長きにわたる課題なのだが、首相の訪朝目的はその交渉に入るかどうかの見極めにあった。
焦点は大きく分けて四つあった。
(1)植民地支配の清算に向けて道筋をつけられるか。
(2)北朝鮮の核やミサイル開発に有効な歯止めをかけられるか。
(3)北朝鮮に拉致された日本人の問題を大きく進展させうるか。
(4)総合的に、大きな変化にかける北朝鮮の意思を確認できるか。
そうした観点から金正日総書記との首脳会談を評価すると、どうだろう。
まず(1)は、小泉首相のおわびを受けて北朝鮮が従来の賠償要求を取り下げ、日韓条約と同じ経済協力方式で妥協した。金額などはこれからだ。ほぼ満点である。
(2)は特に米国が注目していたが、核査察受け入れ表明に近い回答を得た。ミサイル発射実験の凍結延長や日朝安保協議の合意を含め、世界が高得点を与えている。米朝協議の再開につながる可能性も高い。
問題は(3)である。8人が死亡という結果は極めて衝撃的だったし、日本側の対応にも大きな手抜かりがあった。あらかじめあらゆるケースを想定して対応を練っておけば、死亡時期のリストが出てきたときも、機敏に事実究明や共同宣言の文言変更を迫れたはずである。家族への伝達や国民への発表も的確にやれただろう。
だが一方で、総書記が世界に恥をかいてまで「拉致だった」と認め、はっきり謝罪した大転換も驚きだった。そうした意味では、(3)も含めて(4)はほぼ満たされた。
以上を総合すると、正常化交渉の再開を決めたことは間違っていなかった。悲憤に堪えない拉致事件への感情は当然として、北朝鮮が異常な国であることは、とうに国際常識でもあった。だからこそ、安心できる国になるよう一層の変化を促していくことが、いま日本にとっても大切なのだ。
難しい要素が絡み合う日朝交渉は綱渡りにも似ている。だが、閉ざされた国の窓を大きくこじ開けた首相訪朝の歴史的意味を前向きに生かさない手はない。
拉致事件の究明や対策にいっそう神経を使うべきことは言うまでもない。同時に大局を見失ってもならない。ためらわず、正常化交渉を再開させることである。
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