朝日新聞朝刊 2001年12月24日
洋上取引?漂うナゾ 不審船沈没(時時刻刻)
海上保安庁の巡視船と銃撃戦になり沈没した不審船は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の船との見方が強まっている。そんな船が、そこでこの時期、いったい何をしていたのか。海保の射撃は法律上、妥当だったのか。政府の対応は。(1面参照)
○過去に密輸・密航
「99年3月に能登半島沖で確認された不審船舶と同様である可能性が高いと判断した」
中谷元・防衛庁長官は22日午後6時の記者会見で防衛官僚が準備した書面を読み上げた。今回の不審船が北朝鮮の船の可能性を示唆した。判断の根拠として事前の無線傍受を示唆する防衛庁幹部もいる。
だとすると、何をしていたのか。
鹿児島南部から沖縄諸島にかけての東シナ海は、中国や台湾、朝鮮半島に近い。密輸や密入国の取引の舞台となるなど「海上犯罪の多発地域」として知られる。
中国の海洋事情に詳しい平松茂雄・杏林大教授は「90年代前半には中国・台湾と日本を結ぶ覚せい剤や銃器密売。その後も犯罪組織による密航者受け渡しの現場となってきた」という。
ただ、冬の東シナ海は厳しい荒海となる。「時期を考えると特別な事情があったに違いない」と平松教授は話す。
推測に過ぎないが、防衛庁や警察庁の担当者は「工作員の交代や覚せい剤の密輸などが考えられる」という。
宮崎沖では85年、不審船が巡視船の追跡を振り切ったことがある。98年には日本の暴力団が、東シナ海の公海上で、北朝鮮の工作船とみられる船から約300キロの覚せい剤を受け取っていた。
北朝鮮問題専門家の玉城素(もとい)・現代コリア研究所理事長は「北朝鮮の工作員には毎年末、党に越冬資金を納める習慣があり、覚せい剤などの洋上取引に来たとも考えられる」という。
○荒海で逃げ切れず
99年3月、能登半島沖で北朝鮮のものとみられる不審船2隻が領海を侵犯。海保と海上自衛隊の艦艇が追跡したが、北北西、朝鮮半島の方向へ逃げた。2隻とも100トンほどの大きさで、今回と特徴が似ている。
だが、99年の不審船と比べての相違もある。
海自の哨戒機P3Cが今回の不審船を見つけたとき、中国の経済水域に向けて西に進んでいた。なぜ、中国側へ向かおうとしたのか。
防衛庁と公安関係者の分析はこうだ。
日本で目的を終えた不審船が、偽装のために中国側に入り、そこから北上して朝鮮半島へ向かおうとしたのではないか。
今回の不審船はP3Cに発見されてから12時間余りで90キロしか移動していない。約4ノット(時速約7キロ)の計算だ。巡視船から逃げようとした時も最高で約15ノット(約28キロ)だった。
99年時の不審船は30ノットを超える高速で艦艇を振り切った。
22日正午。現場海域は北西約17メートルの風、うねり4メートルと報告された。「不審船は右前方から強い風と波を受け、しけの中を走った」と海事専門家は言う。いくら高速を出そうとしても、スクリューが空回りする状況だった。「高性能のエンジンを積んでも、逆風の中ではこれが精いっぱいだ」と、海自幹部もみる。
○海保「今回は取り逃がせない」 船体への射撃、妥当性問う声
海保の巡視船は、不審船の船体への射撃を計4回実施した。1回目は22日午後4時16分。その後、4回目の午後10時9分まで、数十分〜数時間おきに発射した。4回目の発射は相手の攻撃に伴う応戦で、「正当防衛だった」と海保は主張する。だが、それまでの3回の船体発射について、法に照らして過剰ではないかと問う声がある。
海保の説明によると、最初の3回と、4回目の発射は、同じ法律に基づいている。海上保安庁法の20条1項で、警察官職務執行法7条に準じることを定めた部分だ。犯人の逃走防止、正当防衛、緊急避難などの場合に射撃が可能とされる。
4回目は正当防衛にあたり、警職法では「相手に危害を与えても刑事責任を問われない」ケース。しかし最初の3回は攻撃に対する反撃ではない。逃走防止だけの場合は免責規定がなく、万一この攻撃で船員を死傷させていたら、刑事責任を問われるケースだった。
坂本茂宏・警備救難部管理課長は「人がいないところを狙った」と強調。危害を加えるおそれはなかった、という。
撃ったのは、船尾のスクリューなどと機関(エンジン)室。赤外線監視装置でエンジンの場所を特定。照準を固定できる機関砲で撃った、と言う。
不審船への威嚇射撃がしやすいよう、11月、海上保安庁法が改正され、相手に危害を加えても領海内なら免責される規定が設けられた。今回の場合は4回とも中国の排他的経済水域内。「逃走防止」と「領海外」の2点において、船体発射が妥当だったか、検証されることになりそうだ。
一方、警察機関は国連海洋法条約により、自国の法令に違反した疑いの船に対しては、自国の領海を出て排他的経済水域に入っても、他国領海に入るまでは「追跡権」を持つ。したがって公海上での射撃には、国際法上の問題は生じない。
ある海保幹部は、99年の能登半島沖不審船事件の際、船体を撃てずに逃がしたことに触れた。
「あの後『不審船には厳正対処』が方針になった。『今回は取り逃がすわけにはいかない』という雰囲気があった」
<排他的経済水域(EEZ)> 国連海洋法条約に基づき、12カイリ(約22キロ)までの領海の外側に、200カイリ(約370キロ)を超えない範囲で設定できる。日本は96年7月に関係法を整備した。この水域では天然資源や漁業資源などについて、排他的に国の主権を行使できる。ただ日中間ではEEZが重なることもあり、操業条件などを決めて漁をする「暫定水域」や、両国が相手国の許可なく操業できる「中間水域」を設けた協定を結んでいる。EEZ内では許可を受けた漁船以外、漁をすることはできない。
●「判断、海保に任せる」 捕そく失敗で、対応決定の過程は
22日、東京都内の自宅で杉田和博内閣危機管理監から、海上保安庁の巡視船が威嚇射撃や船体射撃を行うことがありうるとの連絡を受けた福田康夫官房長官は、こう答えた。
背景には今回の事件は海保が一義的に対応すべき事件だとの判断があった。万一の場合に備えて海上自衛隊が「威嚇の目的」(首相周辺)でイージス護衛艦を現場に向かわせるなど、政府としての態勢は万全のはずだった。
しかも事態が進むなかで、首相官邸内では「北朝鮮の船ではない。中国の密航船の可能性が高い」(首相周辺)との見方が強まった。中国船なら最後は停船するはずとの読みもあった。危機管理センターに詰めていた安倍晋三官房副長官らは午後8時半ごろ、いったんセンターを離れた。
そうした楽観ムードは「沈没」の報に一変した。
22日午後10時半すぎ。内閣官房、外務、国土交通両省、防衛庁の幹部らが血相を変えて危機管理センターに飛び込んだ。
「法令に基づく正当な停船措置を講じていた巡視船に不審船が発砲。海上保安官が被弾、負傷したため、正当防衛の船体射撃を行った」
急きょまとめた見解を安倍副長官が緊張した面もちで記者団を前に読み上げた時には、23日午前0時を回っていた。
「できれば、捕そくできた方がよかった。対応に抜かりがなかったか、今後似たような状況に適切に対応するためにはどうすればいいか、よく調べる必要がある」。小泉首相は23日昼、神妙な表情で記者団に語った。
●連携、9時間後
「九州南西海域で1隻の不審な船舶が航行中」
防衛庁から海上保安庁に第1報が入ったのは22日午前1時10分。防衛庁が最初に不審船を確認してから、約9時間がたっていた。
海自第1航空群(鹿屋基地)所属の哨戒機が、不審船を発見したのは21日午後4時ごろ。発見機はいったん基地へ戻って写真を海上幕僚監部へ電送。99年の工作船と似ていると判断した海幕は、21日夜に再度哨戒機を飛ばし、不審船の場所を特定した。
正式な通報とは別に、防衛庁は21日夕、「99年の工作船に似た船がある」と首相官邸に報告した、としている。同庁幹部は「現場レベルでは、かなり早い段階で連絡を取り合っていたはずだ」と含みを持たせるが、海保関係者は「通報以前の連絡は一切なかった」と否定する。
99年3月の不審船事件を受けて両庁は同年末、不審船に関する「共同対処マニュアル」を策定した。このときは連絡の不備によって不審船を逃亡させたとの批判もあり、共通秘話無線を使って連携を密にすることや、定期的な共同訓練を実施することが盛りこまれた。
今回の事件で、マニュアルや訓練は生かされたのか、検証が必要になりそうだ。
●武器使用の緩和議論、再燃も
東シナ海の不審船事件を受け、政府・与党内では緊急事態における武器使用条件の緩和を求める議論が再燃しそうだ。政府が来年の通常国会で関連法案の成立をめざす有事法制のあり方にも影響を与えるとみられる。
防衛庁関係者からは早速、「事実上、けがをしないと応戦できない法体系は問題だ」との指摘が出始めた。不審船に「危害射撃」できるのは領海内に限られ、領海外の今回は、正当防衛と緊急避難以外で人に危害を加えられない制約があった。
このほか、危害射撃できるのは治安出動時、大勢が集合して暴行、脅迫行為をする恐れがある場合などに限られる。防衛庁には海外活動が対象の国連平和維持活動(PKO)協力法でも同様の武器使用ができるよう法改正を求める動きがある。
一方、「今回の不審船は軍事的な意味はあまり考えられない」(防衛庁関係者)との指摘もあり、事件が大規模な武力攻撃を想定する旧来の有事法制論議と直結するわけではない。ただ、政府内に緊急事態全般に対応する包括的な法整備をめざす動きがあり、論議が活発化しそうだ。
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。