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私はこう考える【北朝鮮について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


朝日新聞朝刊 1997年10月15日
海渡った日本人妻1800人 北朝鮮から初の里帰り、歴史を検証
 
 在日朝鮮人と結婚し、家族とともに朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に渡った日本人配偶者、十数人の初めての里帰りが、今月末にも実現しそうだ。一九五九年から八四年まで、六0年前後を中心に、約九万人の在日朝鮮人家族が新潟港をたった。そのうち日本人妻は約千八百人。夫はその十分の一といわれる。日本では結婚を家族に反対されたり、差別に悩んだ。日朝の国交は開かれないまま約四十年たち、その後の消息ははっきりしない。なぜ北朝鮮に「帰還」したのか。どう暮らしているのか。今回、里帰りが実現した背景は何か。第一陣の里帰りを前に検証した。
 「『朝鮮人』という劣等感を抱えて生きていたが、帰国事業で初めて、『自分には祖国がある』と感じることができた」
 在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の前・川崎支部長、張炳泰(チャン・ビョンテ)さん(五六)は振り返る。
 張さんは、大阪で生まれた。一九五九年十二月、最初の北朝鮮帰還船が新潟を出たときは、大阪市内の定時制高校四年生だった。同級生の一人は卒業を待たずに、次の船で家族と北朝鮮へ渡っていった。
 「あのころ、在日で日本の大学に入れるのはごく少数。大学を卒業したとて就職先は限られた」。パチンコや焼き肉などの家業を継ぐか親せきの工場で働く人がほとんどだった。「野球選手や芸能人など実力の世界に入ったり、やはり『実力の世界』であるヤクザになって死んだやつも多い。自殺した同級生もいた」
 生きがいが見いだせない若者たちは、「在日同胞たちを歓迎する」という北朝鮮のメッセージに胸を熱くしていた。
 
 金日成首相に帰国願う手紙
 
 帰還事業実施を求める運動は、五八年に、川崎市の中留地区(現在の同市川崎区桜本二丁目など)の若者たちが金日成首相(当時)に手紙を出したことから火がついた、と伝えられる。
 「祖国(北朝鮮)では、子どもに勉強させてくれるし、食べることで心配しなくていいという。だったら『帰国したい』と手紙を出そう、と話し合った」と、中留にいた林点時(リム・チョムシ)さん(七九)は話す。
 戦時中に多くの朝鮮人を動員した日本鋼管(現NKK)の工場が近くにあった中留地区には、百戸以上のバラックがくっつくようにたっていた。北朝鮮に渡った人は「同じ苦労をするのなら自分の国でしようと思ったんだよ」と、林さんは代弁する。
 川崎の在日朝鮮人も、ほとんどが朝鮮半島南部の出身だった。それでも北へ渡ったのは「いずれは南北が必ず統一すると思っていたから」と李允碩(リ・ユンソク)朝鮮総連川崎支部中留分会長(七二)はいう。
 「それに、社会主義にあこがれていた。だれも行ったことがなかったから、本当はどうなのかは分からなかった」
 
 「帰国運動」を国が本格支援
 
 敗戦時に、日本には約二百万人の朝鮮人がいた。この七割は翌年までに朝鮮半島に帰ったが、五0年に朝鮮戦争が起きると、日本に戻る人も出た。
 だが、朝鮮人差別は依然として厳しく、五五年末には在日朝鮮人の二四%が生活保護を受け、全国平均の二%を大きく上回った。翌五六年には、生活保護行政の転換でこの四分の一が生活保護を打ち切られ、一層困窮した。
 韓国、北朝鮮とも朝鮮戦争の焦土からの復興の途上にあった。李承晩大統領の強圧的な独裁政権が続く韓国に対し、北朝鮮は、中国やソ連(当時)の支援を得て復興が進んでいた。労働力が不足していた。
 朝鮮総連が五八年八月に「北朝鮮帰国運動」推進を決議。北朝鮮では、金日成首相らが「日本からの帰国者を歓迎し、仕事や住宅、教育を全面的に保障する」と表明した。
 鳩山一郎元首相らが超党派で「帰国協力会」を結成するなど政治家も動き、五九年二月の岸内閣の閣議了解で事業が動き出した。
 だが、韓国は、帰還事業を「北送」と呼び、「在日韓民族を国外追放して韓国の主権を侵害するものだ」と強く反発した。
 北朝鮮帰還船を「地上の楽園への人道の航路」とうたう朝鮮総連に対し、在日本大韓民国居留民団(韓国民団、現在の在日本大韓民国民団)は「共産地獄への奴隷船」だと訴えた。
 こうした激しい対立のなかで、日本赤十字社は「自由意思による帰還」を強調した。
 「みなさまは日本にお残りになることも 朝鮮の北または南へお帰りになることも あるいは先方があなたを受け入れる限りどこへ行かれることも、みなあなたの御自由です」
 こうした「お知らせ」などで、繰り返し帰還の意思を確認した。
 新潟へ向かう列車を阻止しようと韓国民団側の若者たちが線路に座り込むなど激しく抗議するなかで、五九年十二月、九百七十五人を乗せた最初の帰還船が、北朝鮮・清津(チョンジン)に向かった。
 
 「人道」を強調、新聞も後押し
 
 国交がなくても帰りたい人を帰すのが人道、という見地から、日本の新聞は、帰還を支持していた。
 「北鮮(北朝鮮)への帰国を望む人たちに、切なる希望をかなえるのが当然」(朝日新聞、五九年二月二日付社説)
 「いつまでぐずぐずと日本にとめ、帰りたいところへ帰さないのは大きな人道問題」(読売新聞、同月一日「編集手帳」)
 「しかし、日本の植民地支配、その結果としての在日朝鮮人問題についての反省は、当時ほとんどなかった」と高柳俊男・明星大助教授はみる。「『やっかいな朝鮮人を追い払う』という意味で帰還に協力した日本人が相当いただろう」
 毎日新聞は、五九年一月十日の社説で「彼らに対する生活保護費の増加、貧困を主因とする犯罪の横行に手を焼いている。帰ってもらえば、それに越したことはない」と説いていた。帰還は日本の治安や財政にも好都合だ、という意識が、事業を後押ししたことは否めない。
 第一次帰還船とともに各社の記者が北朝鮮入りし、発展ぶりを好意的に報じた。だが、その後は帰還者急減とともに消息や暮らしを伝える記事は減り、九一年に国交正常化交渉が始まるころまで途絶えた。
 在日朝鮮人たちが描いた祖国統一の夢はかなわず、日朝間の国交もないまま、約四十年たった。北朝鮮公民は、国内外の移動の自由がない。日本人配偶者も同様で、行ったきり消息のわからない人もいる。
 朝鮮総連幹部は「帰国運動当時、日本人妻の里帰りが問題になるとは想像もしなかった」という。「日本人妻たちも『朝鮮人になりきるんだ』という思いで渡った。勘当同然だった人もいる。ところが、一部の団体が里帰りを反北朝鮮の宣伝に使ったため、政治問題になってしまった」と主張する。
 太田成美・元日赤外事部次長は「帰還者の安否を確認しようと、国際会議などのたびに北朝鮮側に問い合わせた。しかし答えはいつも『みんな幸せにやっています』。何回聞いても同じだった」と話した。
 
 成否は北朝鮮次第 日本政府、対話促進に期待
 
 日本政府は朝鮮半島政策で安全保障問題を最も重視しており、国交のない北朝鮮と「里帰り問題」の対話を通じてパイプができれば、朝鮮半島の緊張緩和にも役立つとしている。
 里帰り問題が表面化したのは一九七0年代だった。日本政府は在日朝鮮人の北朝鮮への一時帰国を認める代わりに、日本人妻の一時帰国を北朝鮮に求めた。七五年から、日本赤十字社が朝鮮赤十字会に安否調査を依頼。九一年から翌年まで八回にわたった国交正常化交渉で、日本政府は里帰り実現を促し、安否調査を求める人のリストを示した。
 北朝鮮は当初「日本人妻は全員、幸せな生活を送っており、一時帰国希望者は一人もいない」と主張していた。が、八0年代に入って「里帰りを歓迎する」(故・金日成主席)との姿勢を示し、一部の家族が訪朝して再会が実現した。
 国交正常化交渉が中断して、里帰り問題も一度は立ち消えになった。北朝鮮の前向きな意向が改めて、日本の政党関係者を通じてもたらされたのは昨年秋ごろだ。今年五月の日朝外務省課長級の非公式協議でも、北朝鮮は意欲を示した。八月には実現の方向で一致、九月に両赤十字が合意文書を交わし、話が進んだ。
 前回の国交正常化交渉で北朝鮮が積極的な姿勢を示したのは、韓国がソ連(当時)や中国と国交を樹立したのをにらみ、国際的な孤立を避ける思惑があったとみられる。北朝鮮にとって、里帰りは「日本に対して切りやすい唯一のカード」(日本外務省幹部)でもある。今回は、(1)金正日書記の朝鮮労働党総書記への就任を機に、食糧事情の改善と経済再建を急いでいる(2)米国、中国、韓国、北朝鮮の四者会談の予備協議を通じて米朝関係に進展のきざしがある――などの背景があるようだ。
 このため今後の里帰り事業の成否は、北朝鮮の意向しだいの面が強い。九月の日朝の赤十字による連絡協議会の合意書の内容も、北朝鮮の主張を色濃く反映した。合意書は「北朝鮮側はすべての故郷訪問希望者に対する必要な調査を行う」としているが、日本人妻全員の里帰りの確約は取り付けられなかった。里帰りの事業期間も明記していないため、いつ中断してもおかしくないのが実情だ。赤十字の連絡協議会という対話の場は確保したものの、「いつ壊れるかわからないガラス細工」(協議会関係者)といえる。
 年末に大統領選を控えた韓国も日朝関係の行方に神経をとがらせている。さらに日朝間には、前回の日朝国交正常化交渉で対立した、戦争中の被害に対する補償の扱いなど難しい問題も残っている。こうした問題がこじれた場合は、「里帰り」は暗礁に乗り上げる危険性をはらんでいる。
 
 素顔の暮らしは 北朝鮮
 
 元山市では 優遇され倍の穀物配給
 
 北朝鮮の元山(ウォンサン)市で八月、二人の日本人妻の家を訪ね、この二人を含む八人から暮らしぶりを聞いた。夫が京都出身などの日本人妻たちとの面会を求めて訪朝したJAグループ京都農業交流団(中川泰宏団長)に同行した。
 元山市は東海岸の代表的な都市の一つで、二十三人の日本人妻がいるという。
 宮崎県出身の井手多喜子さん(七0)は、2K程度の集合住宅に、次女夫婦、孫と住んでいた。輸送事業所の指導員だった夫は昨年亡くなった。日本の一般家庭に比べると質素で狭い感じだが、「トミー」という毛づやのよい室内犬を飼っていた。
 北海道出身の皆川光子さん(五八)は、五階建て集合住宅の最上階にある3LDKに、学者の夫、長女、孫と住む。内装は家族で手がける。部屋は広めで、冷蔵庫や花柄のコーヒーカップは日本とあまり変わらない。
 家庭訪問の後、海岸のテラスに、八人の女性が集まってくれた。五十八歳から七十歳。皆こざっぱりした身なりで、ネックレスでおしゃれしている人もいた。
 彼女らは「親やきょうだいに会いたい」「墓参りをしたい」と、口々に里帰りの希望を述べた。
 八人は一九六0―六一年に、帰国する夫についてきた。「夫が好きだから」「職場で朝鮮人差別があったので、夫に思うように仕事をさせたかった」……。結婚を家族に反対され、駆け落ちした人もいる。北朝鮮での職業は、保母、洋裁店勤務、工場勤めなどさまざまで、今は全員が年金生活という。
 彼女らの話では、日本人妻は優遇されていて、配給の穀物は、北朝鮮の人の二倍。この数年は、年金のほかに「配慮金」も毎月支給されるという。
 平均以上の暮らしとみえる元山の日本人妻の取材には、常に北朝鮮側の数人が同席し、「記録用に」とビデオカメラを回した。
 
 姉の手紙 「まずお金」と毎月手紙
 
 山梨県富士吉田市に住む渡辺徳治さん(六五)は、北朝鮮に渡った姉・喜世子さん(七0)からの手紙の束をとってある。一九八0年代半ばから九一年ごろまで、毎月三通ほど届いた。
 いつも「私の苦しい立場をお察し下さいませ」と、金や物をねだってきた。
 「その日ぐらしのやうにくらしていますので、まったく人様の前へはづかしくて出てゆかれません。みんな帰国者家々は毎月のやうにお金や品物が送られていますので、どんなに鼻が高いかわかりません。(中略)私もこの人達のやうに一緒にかたをならべてくらしたいと思っています」
 喜世子さんは六0年に北朝鮮へ渡った。まもなく夫は死亡、女手ひとつで五人の子を育てたらしい。徳治さんの妻・二美代さん(六一)は、手紙をもらうと衣類やせっけん、調味料などをみかん箱に詰めて送った。
 それでも喜世子さんは、食用と販売用にスズメを捕る網を送ってほしい、娘のところまで歩いて三時間もかかるので、自転車を二、三台送ってほしいなどと要望を寄せてきた。
 「先ず先に立つものはお金です。お金さえあれば何の苦しみもありませんが、なさけない事に私のいえは外の家にくらべて一番下のくらしをしています。(中略)こちらでも外貨商店があり、日本のお金があればこの店でいくらでもかふ事ができます」
 九0年ごろからは「体の調子が悪い」という内容が増え、その後、手紙が途絶えた。心配が募る。
 「北朝鮮に渡るときは、『日本よりずっといい生活ができる。差別もなくていい』と言っていたのに。消息だけでも知りたい」
 日本人妻の里帰り問題が現実味を帯びてきた八月末には、「早く会いたい」と記した手紙を姉へ送った。
 
 識者の見方 監視下で多数は生活苦
 
 食糧や金を求める手紙が来る。一方で、「通常の二倍の配給を受けている」と話す人もいる。この落差を、「赤旗」記者時代に平壌特派員を務めた萩原遼さんは、「どちらの言葉も偽りのない真実だ」と語る。
 萩原さんによると、平壌などの都市部に住み、特権的な待遇を受けている日本人妻がごく一部にはいる。だが大多数は、農村や炭鉱に配置された。気候の厳しさもあり、日本の家族からの援助なしには生きられない苦しい生活を送っているのだ、という。
 「日本人への差別感情も彼女たちを苦しめている」と萩原さんはみる。植民地時代の恨みと資本主義社会への敵対心。「ほとんどの日本人妻が朝鮮名にしている。日本人であることを隠そうとした表れでないか」
 北朝鮮が国民を出身階層別に分類した成分分類で、日本からの帰国者は「監視対象」である「動揺階層」に位置づけられている。北朝鮮には、韓国からのスパイを摘発する目的で、密告制度が張り巡らされている。「外国人」である日本人妻にも監視の目が注がれた。「日本に帰りたい」などと言ったため、収容所に送られた人も多いという。
 「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」代表で東京大学教授の小川晴久さんも「六0年代後半から金日成氏の主体思想が徹底され、外国の思想を排斥した。よそ者である日本からの帰国者の立場は、一層悪くなった」と分析する。
 今年七月、朝鮮中央放送は「日本人妻は国家と社会のあらゆる物質・文化的恩恵を受けつつ張り合いに満ちた幸福な生活を享受している」との北朝鮮の朝鮮アジア太平洋平和委員会の談話を伝えた。小川さんは「これが北朝鮮の定めた日本人妻の定義だ。里帰りする人は、この枠から外れたことを言えるはずがない」と話す。
 萩原さんも「まず里帰りするのは北朝鮮にとって模範的な女性だろう。その人たちが『何不自由ない生活』と言うのは、その人としては間違いないかも知れない。だが、残りの大多数の人が、今どういう生活を送っているのかが問題だ」と指摘している。
 
 北朝鮮の今 苦しい「台所事情」背景に
 
 金正日氏が北朝鮮の権力の最高ポストである労働党総書記に就任し、父の故金日成主席からの権力継承が名実ともに達成された。しかし、極めて深刻な経済危機に直面している状況に変わりはない。昨年まで七年連続のマイナス成長(韓国側推定)。エネルギー不足や工場稼働率の低迷に加え、一九九五年から水害などで食糧難に見舞われ続けている。この夏は大規模な干ばつも発生し、食糧不足がさらに悪化すると予想される。経済の困窮は体制崩壊にもつながりかねない。
 金正日体制にとって、日朝関係正常化は外交面の優先課題だ。金氏は、八月に発表した対日政策の基本方針となる論文で、日本に植民地時代の謝罪と敵視政策の中止を求め、「そうするなら正常でない朝日関係も改善される」と述べた。
 関係改善が進めば日本からの食糧支援や投資拡大も望めるうえ、何よりも日本から巨額の「償い金」も期待できるからだ。日本人妻の里帰りに動き出した背景には、こうした北朝鮮の苦しい「台所事情」がある。
 一方で、金正日時代に入ってから、北朝鮮を脱出する人々が増えている。政府で北朝鮮政策を統括している韓国統一院の資料によると、九0年以降、故金日成主席の存命中は、韓国に亡命してきたのは毎年十人以下だったが、死亡した九四年以降は年四、五十人に増えてきた。今年は八月末現在ですでに六十人に達した。北朝鮮は「わが国に政治犯はいない」と主張するが、統一院は「全国に十カ所の政治犯収容所があり、政治犯の数は二十万人に達する」と発表している。
 
 拉致疑惑
 
 警察の見方 可能性ある7件、解明は前途多難
 
 北朝鮮と日本との間には、解明しなければならない事件がいくつかある。とりわけ日本人拉致問題の前途は多難だ。拉致問題をたぐっていくと、一九八七年の大韓航空機爆破事件に行き着く。北朝鮮が「国家テロ」を認めるはずもなく、このことが、拉致問題の前にも立ちはだかる。日本側が「行方不明者の所在確認」と言いかえても、北朝鮮が不明者の存在を認めることは考えられない、と日本の捜査機関はみる。
 大韓機事件の犯人として韓国で死刑判決を受けて恩赦された金賢姫・元工作員が、日本から拉致されたという日本人教育係「李恩恵(リ・ウネ)」の存在を明らかにしたことで、拉致問題が注目を集めるようになった。九一年になって、埼玉県警の調べで、この女性が実在し、七八年から翌年の間に行方不明になったことが確認された。
 七七年から八0年にかけて、日本の海岸から男女らが消える事件が相次ぎ、警察庁はこうした行方不明事件の七件十人について、北朝鮮工作員に拉致された疑いがあるとしている。このほかにも、北朝鮮の工作員が介在して北朝鮮に入ったまま戻れなくなっている日本人が、少なくとも数人いることが確認されている。
 一方、北朝鮮には、覚せい剤や偽札を国家として製造し、密輸出している疑惑ももたれている。今年四月に宮崎県日向市の港に入港した北朝鮮船籍の貨物船から、覚せい剤五十八キロ余が押収された。北朝鮮は覚せい剤の密輸について、政府の関与を否定しながら、今後こうした事件が起きないように善処すると、日朝予備会談の席で日本側に伝えたとされる。
 覚せい剤は、成分分析によって製造地域がある程度わかるという。日本の捜査当局は、密輸の過程に北朝鮮がかかわったかどうかは別として、今回押収された覚せい剤は北朝鮮内で製造されたものではない、との見方を固めている。北朝鮮側が、この問題についてはやや柔軟な態度をみせた裏には、こうした事情があると推測される。
 
 家族の思い 良い動きを期待、一方いらだちも
 
 北朝鮮に拉致されたとみられる人たちの家族は、複雑な思いで「日本人妻の里帰り」を見つめている。
 今年三月、行方不明者八人の家族が「被害者家族連絡会」を結成した。一九七七年に新潟市内で消息を絶った横田めぐみさん(当時一三)の父滋さん(六四)らが中心になって始めた署名集めは、五カ月間で五十万人を超えた。八月末に橋本首相に提出し、「里帰りは喜ばしいが、拉致も人道問題だ。うやむやにされては困る」と訴えた。
 横田さんらの家族は、日本赤十字社とアムネスティ日本支部にも出向いた。しかし、日赤にもアムネスティにも、北朝鮮を直接訪れて家族の安否を調べる権限はないという。「調査には相手国の受け入れが必要」(アムネスティ日本支部)で、北朝鮮が拉致を認めない以上、調査はできない。
 今年に入り、里帰り問題とともに、拉致問題がクローズアップされた。食糧支援も絡み、日朝関係は大きく動いた。横田さんは「この動きが続けば、今後の日朝交渉の中で良い動きが出てくるはずだ」と期待する。
 事件から二十年近くたって、家族の高齢化も進んでいる。「拉致問題を日朝交渉の最初にすえるべきだ」と政府を批判する家族もいて、いらだちがにじむ。
 
 日本人妻1831人、日本国籍離脱の人も
 
 在日朝鮮人の帰還船に、何人の「日本人」が乗っていたのか。
 「日本人」として乗船した人は、法務省などの調べでは約六千六百人で、その多くは子どもだった。十六歳以上だった日本人女性は約二千人、男性は約二百人。うち「日本人妻」は千八百三十一人。「日本人夫」は「妻」の十分の一程度とみられる。
 北朝鮮に渡った後の国籍については、一九八0年の衆院法務委員会で法務省入国管理局長が「日本国籍離脱の届けがない以上、日本国籍を保持している」と答弁している。一方、北朝鮮は「共和国公民(国民)である」と主張している。
 今回、里帰りの対象とされたのは、在日朝鮮人の配偶者だった「日本人」だけだが、北朝鮮に渡る前に日本国籍を離れた人もいる。当時、在日の男性と結婚した日本人女性は、韓国と日本の二重国籍となった。ここから日本国籍を離脱した人は、帰還の実現した五九年から急増した。「救え!北朝鮮の民衆・緊急行動ネットワーク(RENK)」の金英達(キム・ヨンダル)代表は「帰国者全員が自由往来できるようにすべきだ」と訴えている。
 
 
 <「日本人妻里帰り問題」の主な経緯>
 
 1959年 2月 日本政府が、在日朝鮮人の北朝鮮への帰還に関する
          閣議了解。「基本的人権に基づく居住地選択の自由」や、
          仲介を赤十字国際委員会に依頼することなどを確認。
       8月 日朝赤十字がインドのカルカッタで「在日朝鮮人の帰還に
          関する協定」調印。秋から帰還申請始まる。
      12月 第1次帰還船が新潟港を出発。帰還事業は断続的に84年
          まで続き、総数は9万3000人を超えた。
   81年10月 鈴木善幸首相が里帰り問題が進展しない状況に「遺憾の意
          」を表明。
   82年    朝鮮赤十字会が日本人妻9人分の消息を初めて日本赤十字
          社に回答したことがわかる。
   86年 7月 日本の一部の親族が北朝鮮で日本人妻に再会。
   91年 3月 第2回日朝国交正常化交渉で、北朝鮮が「正常化交渉がス
          ムーズに進めば、里帰りにケース・バイ・ケースで対応し
          たい」と表明。
      11月 第5回国交正常化交渉で、北朝鮮が日本人妻20人の里帰
          り希望リストについて「全員健在」と回答。
          12人の安否調査には「5人死亡」などと回答。
   92年 2月 第6回国交正常化交渉で、北朝鮮が日本人妻20人の安否
          調査に回答。
       5月 第7回国交正常化交渉で、日本が里帰りを求める21人と
          安否調査を求める11人のリストを提示。
   97年 5月 日朝外務省課長級の非公式協議で、北朝鮮が人道主義に基
          づき里帰りを認める意向を表明。
       7月 北朝鮮の朝鮮アジア太平洋平和委員会が里帰りについて「
          必要な対策を取る」との談話を発表。
       8月 日朝外務省審議官級の国交正常化交渉予備会談で、里帰り
          を実現することで一致。実務面は、日朝両赤十字にゆだね
          る。
       9月 日朝両赤十字の連絡協議会で、北朝鮮在住日本人配偶者の
          故郷訪問について、第1陣は可能な限り1カ月以内に、1
          0−15人を1週間程度、里帰りさせることで合意。
                 *
 この特集は、ソウル支局=植村隆、政治部=牧野愛博、社会部=江木慎吾、大久保真紀、北野隆一、宮内図南雄、河原理子、地域報道部=気賀沢祐介、阪神支局=八田智代、田園都市支局=朴琴順が担当しました。
 
 【写真説明】
 「マンセイ(万歳)!」の叫びに送られて、北朝鮮・清津に向かった第1次帰還船=1959年12月、新潟港で
 皆川光子さん(右から2人目)の自宅。リビングが広い。左端のビデオカメラと右端のマイクは、北朝鮮側の記録用という=8月27日、元山市内で。八田智代写す
 
 
 
 
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。








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