朝日新聞朝刊 1988年01月16日
航空テロの裏にひそむもの(社説)
韓国捜査当局が大韓航空機事件の有力容疑者とみている「蜂谷真由美」は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の秘密工作員、金賢姫だと発表された。彼女は北朝鮮外交官の娘であり、自殺した同行の男性もベテラン工作員だったという。
内外記者団の前に出た金賢姫なる女性は、爆発物をどのように大韓機に仕掛けたかなどを詳細に説明した。記者会見は「自由な雰囲気の中で」進められたと伝えられ、その様子はテレビ中継で世界に流された。
身柄を当局に拘束されている点を考慮しても、彼女の発言は、内容からみて、信頼性がかなり高いと思われる。同時に公表された彼女の供述調書の中身も、「犯行」の全般にわたるものだ。肝心の機体そのものが見つかっていないなど、自白以外の証拠はまだ十分ではないが、彼女と事件との結びつきは、きわめて強く濃厚になったといえる。
捜査当局の発表では、彼女は「ソウル五輪の韓国単独開催と参加申請妨害のため」大韓機爆破を指令されたという。事実とすれば、国際社会の常識を拒絶する、排他的で極度に独善的な発想といわねばならない。そのために、出稼ぎ先の中東から故国へ帰る途中の労働者ら、何の関係もない115人が犠牲になった。人のいのちの重さを何とも思わない、憎んでも余りあるテロ行為だ。
83年、ビルマのラングーンにあるアウンサン廟(びょう)で、訪問中の全斗煥・韓国大統領一行に爆弾が仕掛けられ、閣僚を含む多数の死傷者が出た。このラングーン事件は、ビルマ当局の捜査で北朝鮮の工作員による犯行であることがわかった。結果としてこの事件は、国際社会における北朝鮮の信頼度を大きく低下させ、外交的孤立を深めた。
韓国当局のこれまでの捜査結果は、今回の大韓機事件に北朝鮮と関係のある組織の関与があったことを示唆している。もしこれが、韓国の威信低下やソウル五輪妨害を目的とする工作だったとすれば、それは逆効果となったと言わざるを得ない。事件は韓国大統領選に影響を及ぼし、北の非難する盧泰愚氏の当選の助けになってしまった。
中ソなどが相次いで五輪参加を表明する中で、北朝鮮の主張する南北共催案は影が薄くなり、北朝鮮は現状での五輪では参加できないと表明する事態となった。北にとって、なんのプラスも生まれていないのである。
テロによって、平和と友情の祭典である五輪をつぶそうなどという考えがあるなら、それは世界の人々の怒りを買うだけだ。
北朝鮮側は事件発生直後から、韓国当局によるデッチあげであり、北朝鮮は一切関与していないと主張し続けてきた。しかし、金賢姫が内外に犯行を認める会見をした事態となったいまは、それだけでは済まない。世界の人びとを納得させるにたる説明を、北朝鮮はするべきときに来ていると思う。
同時に、こうした事件の背景には、米ソ冷戦が生んだ朝鮮半島の分断と対立の歴史があり、それによって不信と憎しみが増幅されてきたことを忘れてはなるまい。
この事件の展開によって、南北の対立が激化し、ソウル五輪への南北双方の参加の望みをもはばむ作用をすることが心配される。南北対立は、双方の利益に反し、アジアと世界の平和をそこなう。
犠牲者の家族の悲しみや韓国側の怒りはよく理解できる。だが、対立をこれ以上深めないための努力は、まず南北両当事者に求められる。わが国を含む関係国も、そのための協力を惜しんではならない。
金賢姫らの移動には日本の偽造旅券が使われ、それにはにせの出国スタンプまであった。この事件が組織によるテロと結びつく疑いが強まった現在、偽造ルートの解明は主権国としてゆるがせにできない問題になっている。わが国の捜査当局は韓国側と協力しつつ、解明に努力してもらいたい。
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