朝日新聞朝刊 1985年06月01日
'85春・北朝鮮から:15
革命の跡継ぎ
園児から思想教育 指導者への尊敬支える
おもちゃのカメラを首からさげた幼稚園児の前に、2人の園児がちょこんとイスに腰かけている。「笑って。はい、出来上がり」。次々に園児が座っては、“写真”を撮る。「金正日書記がよい服を贈ってくれました。記念写真を撮りましょう」という「写真屋さんごっこ」だった。平壌の中心部にあるキョンサン幼稚園では、この国の新しい指導者を尊敬する教育が始まっていた。
思想科目、週10時間
平壌の新しい高層住宅街にある陵羅高等中学校で、1年生(日本の小学5年にあたる)のA君の成績表を見せてもらった(表)。科目の中で最も重視されるのは、政治思想教育。1週間の授業時間32時間のうち、10時間が思想理論科目にあてられると、校長先生はいった。
最も難関とされる金日成総合大学の入試科目は(1)金日成主席の革命活動の歴史と著作(2)数学(3)物理(4)化学(5)外国語(6)朝鮮語。思想と理数の成績が良くなければ合格は難しい。最近、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)では進学競争が激しくなり、陵羅高等中学では、昨年8月の入試で、金日成総合大学に4人推薦し、合格したのは3人だった。
北朝鮮の教育は、幼稚園から早くも義務教育だ。そして4年制の小学校、6年制の高等中学まで幼稚園の1年を合わせて11年間が義務教育。さらに推薦と入試を経て大学へ進む。入試で不合格になった生徒の浪人は許されない。いったん社会に出て働き、工場や軍隊の推薦を受けて再び受験する。推薦にあたって思想が重視されることはいうまでもない。
技術と語学も重視
もう1つの教育の柱は、科学技術と語学教育だろう。経済発展に必要な人材養成が、この国ではますます必要となってきている。高等中学ではラジオの組み立て、テレビの修理、自動車の運転が、課外授業に取り入れられていた。かつては8対2ぐらいの比率だったロシア語と英語の選択は、最近では英語の方が多くなった、という。
日曜日の昼下がり、平壌市内のバス停のベンチで、トロリーバスを待っていた軽工業大学の学生、B君(21)と知り合った。B君は、ヘルスセンターのサウナぶろから自宅に帰る途中だった。大学では紡績技術を専攻、近く、北京の紡績大学に留学する予定というエリートだった。
しばらく雑談したあと、「ところで君は、金正日書記をどんな人と思っているの」と尋ねてみた。一瞬、B君は口ごもった。が、ややあってB君は「芸術、建設、軍事などあらゆる分野を指導できる万能の人です」と、一息に言い切った。胸にはもちろん、この国の人々が例外なく着けている金日成主席のバッジが光っていた。
金主席の誕生日の前夜、午後11時を回った平壌の暗い街角で、小学生らしい姉妹に出会った。「こんな夜ふけに。おかあさんは心配しないの」と聞くと、姉はかぶりを振った。「妹を連れて万寿台に花束をささげに行って来たのです」
夜も銅像参りの列
万寿台には、高さ20メートルを超す金主席の銅像が建っている。日本の初もうでのように、万寿台へ向かう人の流れは夜通し続き、朝までに銅像のまわりは数十万の花束で埋まった。
日本人の目から見れば、異常ともみえる金日成主席と金正日書記に対する崇拝の念。人々は本当にそれを信じているのだろうか。その答えを出すには、私たちの接した人々は限られていた。しかし、滞在中、「強制されている」と思えるようなケースは、なかった。小さいころからの徹底した教育が、これを支えていることだけは確かだ。
(田中 良和記者)
A君の成績表 (1学期=9−12月)
科目 評価
金主席の革命活動と革命歴史 10
金書記の革命活動と革命歴史
現行党政策
国語 文学 10
漢 文
外 国 語 10
歴 史
地 理 10
数 学 10
物 理
…………………………
体 育 9
音 楽 10
美 術 9
実 習 10
品 行 模範
総 評 最優等
(評価欄の空白は2年生以後に学習)
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