朝日新聞夕刊 1971年11月18日
チュチェの国 北朝鮮:2
豊かさの基準
家賃は月収の0.5% ゴミ類を徹底的に再利用
ソ連製の乗用車「ボルガ」に乗って、子どもたちとすれ違うと、そのたびに真面目くさった敬礼をされた。登下校時などに当ろうものなら、答礼に疲れてしまった。乗用車はVIP(要人)の印らしい。市民の足はもっぱらバスかトロリーバス(通訳氏は電車といったが)。そして、平壌市内の停留所はいつも長い列で、二台つなぎのバスでも、車内はかなり混んでいた。トラックの荷台に人が乗っているのも、農村部だけでなく、都市でもよく見かけた。荷台に五列ほどベンチを並べたりして。
教育・医療費タダ
そのボルガに乗って、市民の生活ぶりを見に平壌の新しい住宅街「千里馬通り」に行った。アパートの一階の魚屋から出てきた婦人に、家の中を見せてほしい、と頼んでみた。ソジャン洞第二十人民班の班長リ・グムリョルさん(四五)だった。人民班は日本の団地自治会のような組織で、一班が約二十世帯。班長は選挙で選ばれるときいた。リ班長は、大同江でとれたというマスを一匹ぶらさげたまま、こころよく招いてくれた。
十階建アパートの三階。八畳、六畳ぐらいのオンドルのきいた二間に、台所、ふろ、便所、小納戸。居間の壁に額にはいった金日成首相、本ダナには金日成選集が並んでいた。十五歳を頭に、二男一女の五人家族。夫のパク・テースンさん(五0)=朝鮮では結婚しても妻は旧姓を使う=は市の建設機械同盟の職場長で、リさんはアパートの裏にある輸出用ワイシャツエ場で一日四時間働いている。夫婦合わせての月収は、平均百五十ウォンときいた。
家賃はいくらか、ときくと「家賃って何ですか」と逆に問い返された。水道、温湯(じゃ口をひねると温湯も出る)、電気、冬の温水オンドル代を加えて、支払うのは月に八ウォン五十チョンぐらい。「“家賃”はこの中にはいっているのかしら?」。
教育費は無料で、中学校までは季節ごとに学生服が支給される。医療費も無料。物価も政府の「価格制定委員会」が一切を管理し、ゼイタク品は高いが、大衆消費物資は安く、しかも全国一律に決められている。
高いゼイタク品
たとえば、平壌のデパートで見た商品の値段は、テレビニ百五十ウォン、婦人のチョゴリ・チマ冬物一着三十六ウォン、ハミガキ一個一ウォン四十チョン、マツタケ一キロ四ウォン、人参酒一本八ウォン。米も一キロ六十二から六十四チョンの買入れ価格に対し、消費者価格は八チョン。八分の一だった。
価格制定委にきいたところ、家賃もないわけではないが、月収のO・五%。リ班長の家の場合、七十五チョンで、高級タバコ一個分だった。だから、リさんは月に三十ウォンは貯金している、といった。「上の娘を嫁にやった時、大分かかったし、ミシンを持たせてやったので新しいのがほしいし…。それに、電気ガマや洗たく機、冷蔵庫もほしいでしょ」。
リ班長の家では、お茶の代りにミネラル・ウォーターが出た。朝鮮には、もともとお茶を飲む習慣はなかった。解放後、茶の栽培をはじめたが、寒冷な気候と伝統の浅さで、まだ上等とはいえない。代りにサイダーやソーダ水が豊富。また、ホテルで飲む紅茶に、レモンはつかなかった。なくてすむものは、輸入しないのだろう。衣料面でもそうだった。気候的に綿の栽培は困難。そのため、豊富な石炭と石灰石から自力で作り出したビナロンと、アシからとった繊維との混紡を多く使っていた。
すみずみに「節約」
リ班長の家からの帰りがけ、アパートの一室に「教養室」と書いてあるのをみた。人民班の重要な活動の一つが、金日成首相の革命思想を定期的に学習すること。そして、もう一つはゴミの回収。炊事の余りはブタの飼料に、紙クズ、空ビン、空カンもそれぞれ分けて、再利用へ回す。残るのは、集中暖房がまだ行きわたっていない家庭の、無煙炭の灰ぐらい。これも集めて水田の肥料にする。
生活のすみずみに、自国の経済は自国の資源で、の“チュチェ”姿勢があった。そして、節約は美徳だった。
今年の十月三日は中秋の名月だった。朝鮮では「秋タ」という。この日の平壌市内は、いつもより色彩が豊かだった。よそ行きに着飾り、ダリアや百日草、野菊の花たばをかかえた家族連れが、墓参りに出かけていった。リ・グムリョルさんも、昨年亡くなったおばの墓参りに行ったはずだ。その墓石には南にいるニ人の息子の名と遺言が刻んであるという。
夜、平壌に浮んだ月は青白く、ウサギがよく見えた。ラジオできいた日本のニュースは、こう報じていた。「東京のデパートでは、月見ダンゴつきススキが一組千円から千五百円で飛ぶように売れていました」。
豊かな生活とは、なんだろうかと考えさせられた。
〈注〉一ウォンは百チョン。円との為替レートは一ウォン百四十円。(宮田前特派員)
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