朝日新聞朝刊 1971年9月27日
金日成首相「友好」を語る −後藤本社編集局長と会見−
朝鮮統一の悲願果たす 自民使節団も歓迎 対日交流は促進
【平壌二十六日=後藤基夫東京本社編集局長】朝鮮民主主義人民共和国の指導者、金日成首相は私(後藤東京本社編集局長)と二十五日朝から昼食をふくめて約五時間半会見した。この会見は黄海北道の沙里院近くの場所で、金仲麟朝鮮労働党中央委員会政治委員会委員、鄭準基朝鮮記者同盟中央委員会委員長と本社の波多野、宮田両特派員が同席し、現地指導中の首相が、とくに土曜日をさいて行われたものだ。
軍事同盟、相互に廃棄を
金日成首相は「日本人の記者諸君とこうして会見をするのは、はじめてだ」とわれわれを玄関口に迎え、いわゆる記者会見ではなく、友人として話合うことを強調した。
これはざっくばらんにわれわれと話合う会見内容のすべてを必ずしも公表するわけではないということである。首相は、昼食のときも私の質問に答え、話題は国際問題全般、ニクソン訪中をめぐるアジアの情勢、首相の外交方針、国連の動向、中ソ対立問題など多岐にわたった。
むろん、首相が熱をこめて語ったのは、南北朝鮮の自主的平和統一問題だが、これと関連して日朝関係の当面の問題と将来の見通しにも及んだ。さらに国内の重工業に重点をおく建設の展望から婦人、青年問題までに触れ、「よど号」事件の裏話まで付加えられた。
会談で明らかにされた国際問題に関する首相の考え方は原則を貫きつつ、情勢の変化には柔軟に対応するというもので、時間はかかるが、南北朝鮮の統一は必ず実現するという信念を語った。
首相は会見で、これまで発表された公式的な表現をほとんど使わなかった。国際関係は現在流動的であり、ニクソン訪中で米中関係なども一時的には緊張緩和の方向をとるかもしれない。しかし、こうした米中関係は、それぞれの国内的要因が動機となっており、首相の外交方針は、それには影響されずに自主的に決定していく、具体的な措置は「同志たち」と相談していく、と述べた。
また、国連のこれからの変化にも注目し、国連の態度が変れば朝鮮問題の討議に参加する用意があることを語った。
南北朝鮮の平和統一については米軍の撤退が前提であり、民族統一への悲願は必ず実現するし、これをはばむ勢力は孤立すると述べた。首相は南との話合いの道を開くため譲歩を重ねていることも強調した。
米軍撤退には「米韓軍事同盟」「日韓軍事同盟」(日本との間も軍事同盟とみる)の廃棄が必要であるとし、平和統一のさまたげになるなら自分の国がソ連、中国と結んでいる軍事同盟を同時に廃棄してもよい、統一のために軍事同盟を廃棄することは、ソ連と同盟を結んだ時にも述べられたが、近く機会をみてこの問題を再び想起させる措置をとる方針を明らかにした。
首相は統一後の朝鮮がどこの国とも軍事同盟を結ばず、いわば「中立型」の国を志向する構想を述べたが、これは首相の「主体」(チュチェ)の思想に基づく自主性の帰結とも思われる。
首相は「帝国主義は緊張緩和と戦争政策の二面性をもつ」という。が、現在戦争の危機は一時遠のきつつあると判断、もし朝鮮に戦争が起るとすればもはや局地戦ではなく、全面戦争になることは必至である。それはだれも欲しないといい、中ソ対立も国家的衝突にはならない、米中間も緩和の方向にあり、その時機をとらえ国内建設を進めながら南北統一への素地を積極的に築くことを目標にしていると感じられた。
その点では首相が先の七カ年計画では、国際緊張の激化のもとで軍事費の重圧があったことにふれ、今年からの六カ年計画では、軍事負担もある程度減らして生活水準向上に重点がおかれたと述べたことにもあらわれている。
日朝関係では、首相はまず吉田内閣以来の閣僚の「敵視発言集」を読上げた。首相が文書を手にしたのはこのときだけだが、きわめてなごやかに、ユーモアをまじえて「こちらは門戸を開放しているのに、日本側がきびしい制限を課している」と述べ、在日朝鮮人問題にも深い関心を示した。朝鮮民主主義人民共和国ほど植民地時代の歴史の刻印と、南北分断の現状から「日本軍国主義復活の脅威」を切実に感じとっている国はないだろう。平壌で最も人気のあるオペラ「血の海」にしろ、演劇、映画、テレビなど、どれをみても抗日戦争が最も重要なテーマである。われわれを案内した新聞関係者はこれについて「過去の歴史の教育で、現状を表わしたものではない」とも説明する。首相は「日本の軍国主義が復活したかどうかを議論しても始らない。問題はこれからである」と語り、むしろ七0年代の日本は過去の日本にはならないだろうという。
佐藤・二クソン共同声明のとき「朝鮮半島の危機」が盛んに日本で唱えられたが、そのとき日本からでも、南からでも来ればいつでも門をあけていたのに、だれも来なかった。訪問すれば「南侵」などは笑い話と気がつくはずだった、と語った。
これからの日朝関係は平等、内政不干渉、相互主義の原則の下に、どしどし経済、技術、文化、芸術の交流をすすめ、また記者交換も実現し、与党自民党からの使節団も歓迎すると述べた。
金日成首相は、少年時代から抗日パルチザン運動に投じ、その指導者としての地位につき、抗日−独立−朝鮮戦争と、共和国の運命を一身にになってきた。
来年六十歳の還暦を迎える首相は、パルチザン時代の若い、ハンサムなおもかげを残した、きわめて壮健な円熟した政治指導者である。力強いバリトンで語りかけ、終始、笑みをたやさず、ときにゼスチュアや機知もまじえ、熱意をもってどの問題にも答えていた。
また、社会主義国の首脳との会談にしても、首相の最も好む自分の国の大衆との対話も、同じように興味深げに語っていた。
中国の周恩来首相との会談で「日本軍国主義の復活」を“教訓”として金首相のほうから示したことをほのめかした。
いま、共和国はあらゆる問題で金日成首相の指導に従っているといってもいいすぎではない。朝鮮統一問題とアジアの将来にとって、また、社会主義国の路線の問題でも、金日成首相の言動は今後大きな役割を果すことになるだろう。
日本国民の変化評価
《解説》朝鮮民主主義人民共和国の金日成首相と後藤東京本社編集局長との会見は昼食をはさんで五時間半という長時間にわたり、同首相の西側記者とのインタビューとしては全く前例のないものとなった。
また金日成首相自ら「こうして日本人の記者と話すのははじめて」と述べたように、会見内容についても、日朝関係をきわめて重視した積極的な発言がきわ立って印象的で、流動的な国際情勢に対処するこの国の今後の姿勢をうかがううえで示唆に富む内容を盛っている。
会見は広範な問題にわたったが、金日成首相が重点をおいたものの一つは閉鎖状況にある日本との関係であろう。この会見で同首相の示した見解は、「国交正常化」に至るまでの両国の関係改善の道すじについて基本的な考え方を表明していると受けとれるものがある。
その第一が、この国に対する「敵視政策放棄」を求めた点である。日本のこれまでの南北朝鮮に対する態度の変化を求め、平等と内政不干渉、相互主義の原則で友好関係を結ぼうという提案がそれだ。具体的には貿易促進とならんで国交回復の前段階として文化交流や記者交換などを重要な方法だと明らかにした。
これまで日朝間では民間ベースで貿易もあり、きわめて“せまい門”ではあるが、在日朝鮮人(朝鮮総連系)の往来も“墓参”のかたちで実現していた。しかし、こうした往来やプラント輸出が韓国の反対で「最小限」の範囲にとどめられてきたのは周知の事実だ。こうした日朝の現状において、金日成首相は「日本政府の南朝鮮に対する態度を変えるべきだ」とはいっているが、日韓関係の解消など具体的な強い表現はしなかった点にふくみが読みとれる。
また、この国は革新陣営の政界人や進歩的知識人の招請をここ一、二年積極的に積みあげてきたが、この日の会見で金首相が、与党、自民党の代議士でも「友好訪問なら歓迎する」と踏切った積極的な姿勢にはなみなみならぬ意欲がひそんでいるとみてよさそうだ。これまで平壌を訪問した自民党議員は、宇都宮徳馬氏ら数人にすぎない。
第二に、「日本軍国主義の復活」を強く非難し、日本にきびしい警戒の目を投げてきたこの国だが、金首相は「日本人民は昔の日本人ではない。日本は米国の身代りをする役割を果すだろうか」という見方を示した。重ねて「日本軍国主義がたとえ復活しても、日本人民は昔の人民ではないので、戦争政策を阻止できないとはだれもいえまい」とくりかえし、日本の戦争政策の阻止を訴えているが、その表現にはかなり柔軟で現実的な姿勢が読みとれる。
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。