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(3) 水深300mへの潜水
 通常の潜水は、水面から潜って水面に浮上してきます。ところが水深300mのような深い場所に潜るためには、このような潜水をしていてはとても効率が悪く危険です。また、私たちが行っているスクーバ潜水は、圧縮空気を呼吸するために、深くなるとその中のガス密度が高まり、特に窒素分庄の上昇は、窒素酔い*4や呼吸抵抗の増加による換気不良などを引き起こします。さらに酸素分圧の上昇は、酸素中毒*5に罹る危険性を増加させます。そのため、圧縮空気を用いた潜水の安全な深度は、おおむね40〜50mであると言われています。従って、それ以上深く、長く潜ることを必要とする深海潜水では、特殊な方法で、しかも特殊なガスを呼吸して潜らなければなりません。
 そこで、開発されたのが「飽和潜水」という潜水法です。この潜水では、多くの場合、空気の代わりにヘリウム−酸素の呼吸ガスを使用します。
 
*4 呼吸ガス中の窒素分圧の増加が原因で起こるお酒に酔ったような症状です。個人差はあるものの、罹りやすい人は、水深30m頃から症状が出現するといわれます。初めはほろ酔い加減で気分が爽快となりますが、深度が増すにつれ酔いがひどくなり、思考力や判断力の低下が起こり、安全性に関して無関心となります。
 
*5 あまり聞き馴れない言葉ですが、高分圧の酸素を長時間にわたって吸い続けることにより起こります。これには、急性型と慢性型がありますが、潜水で起こるのは前者で、てんかん様の発作を起こします。飽和潜水では、この障害を防ぐため、常に決められた酸素分圧を維持しています。
 
 当センターでは、水深300mでの国内初の飽和潜水実験を行い、その安全性等を実証しました。
 
1)飽和潜水の手順
ダイバーは、DDC(deck decompression chamber:船上減圧室)と呼ばれる船上の圧力タンクに入り、ヘリウムと酸素の混合ガスにより、25〜30m/h程度のスピードで目標圧(水深300mの場合は、31気圧)まで加圧されます。タンクの中では、通常の生活ができますが、ヘリウムガスの影響で、声がドナルトダックのようになってしまうなど、さまざまな現象が起こります。
加圧終了後は、約1日かけて身体を圧力に馴らします。

実際の海底に行くには、DDCの横の設けられた準備室に移動して潜水の準備に取りかかります。準備ができたら、準備室の上部にドッキングさせたSDC(submersible decompres−sion chamber:水中エレベーター)に3名のダイバー(2名はダイバー、1名はテンダー)を移動させて、それを海底まで降ろします。
 
海底に到着したらSDCの扉(ハッチ)を開けて2名のダイバーが海中に出て作業をします。この間、テンダーはSDC内に留まり、ダイバーをサポートします。海底での作業が終わったダイバーは、SDCに戻り、ハッチを閉めて船上に引き上げられ、再びドッキングしたDDCに戻ります。[3]と[4]を繰り返すことにより、31気圧のままダイバーは、海中と船上とを行き来するので、減圧症に罹る危険はありません。

そして、一連の作業が終了したら、徐々にDDC内の圧力を下げ(減圧し)、約12日間かけて大気圧の状態に戻ります。
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2)飽和潜水で観察される身体の変化
 飽和潜水は、高圧のヘリウムガスを呼吸するばかりか、狭隘な閉鎖環境での長期間の生活を強いられるため、生体にはさまざまな変化が起こります。300mの飽和潜水実験では、被験者全員に不感蒸泄*1の減少、尿量の増加(利尿)、平衡感覚の異常、高圧神経症候群*2、換気能力の低下などが観察されます。また、一部の被験者には、下痢や肝機能障害の指標となる血清トランスアミナーゼ活性値*3の上昇などが観察されますが、この両者は、高圧やヘリウムガスの影響ではなく、むしろ閉鎖環境や被験者同士の対人関係が大きな原因となっていることが判明しました。
 
*1呼吸や皮膚から失われる目に見えない水分の損失量で、成人の大気圧状態における1日量は、約600〜1000mlです。
 
*2 おおむね150m以上に加圧されると出現する現象で、吐き気や眩暈(めまい)、振戦(手の震え)、異常脳波の出現などが主な症状です。この症状は、加圧速度を速めたり、加圧(潜水)深度が大きくなると、重くなりますが、その原因については未だはっきりしていません。なお、この現象は、加圧終了後、おそくとも2〜3日以内で消失し、その後は、出現しないのが特徴です。
 
*3 臨床では、肝機能障害を知るための血液の検査項目として、S−GPTやS−GOTの呼び名で知られています。通常、これらは、正常範囲内でS−GPT>S−GOTの関係を示しますが、飽和潜水実験では、一部の者に両者に異常高値が観察されることがあり、その時は、必ずS−GPT>S−GOTの関係を示します。度重なる研究により、この原因については、心理的ストレスであることが判明しました。
 
3)海底の様子
 海底近くの水温は、約8℃で、とても冷たいのですが、ダイバーには潜水服内に約40℃の温水が供給されているので寒くはありません。周囲は、真っ暗でライトが当る範囲だけが見える幻想的な世界です。また、300mの海底には多くの生物がいて、時々、ダイバーの足元をタカアシガニやツノザメなどが通過して行きます。最近では水族館などで深海の生物を観ることができますが、自然のままの状態で観ることができるのは、実際に潜ったダイバーだけです。
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