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解剖学実習を終えて
 西 雄佐
 とうとうあなたはいってしまうのですか……?あらゆることを私たちに教えて……。
 四ヶ月前、あなたとはじめての対面。その崇高な意思に報いることができるよう心に誓ったその日から、連日厳しい実習がつづく。なかなかイメージ通りに進まない。敗北感に打ちひしがれた日々。自戒の念が渦巻く。うまくいった日、実習を終えて帰路に就くときの充実感。さまざまな思いが今また蘇る。
 日を重ねるにつれて、人体の構造についてのイメージが徐々にではあるが、しかし着実に構築されていく。自分の知らなかった知識がしっかりと積み上げられていく。
 グループのみんなもたくましさを増していく。
 一歩後退、そして二歩前進。
 日に日に脂にまみれていく実習書が誇らしい。このよごれが勲章。そして、これが最高のお守り。これからの自分を、あなたが見守ってくれる。
 実習中は、実習書にしたがってあなたの体を正確に剖出し、その隅々の構造を学習すること。それ以上でもそれ以下でもない。
 細心の注意を払って美しい剖出を心がける。きれいに、そして正確に剖出すること、これがなかなか難しい。実習が進むにつれ、原型をとどめなくなっていくあなたの外観。その姿が痛々しい。「自分の体を、医学生の教育に、ひいては病気に苦しむ患者さんのために。」というあなたのその思いがいとおしい。
 あなたの体が崩れていくのと引き替えに、私たちがこの手でつかみ取った、何ものにも代えることのできない大きな財産。
 このささやかな達成感と小さな自信は、これからの私たちを支えてくれるでしょう。
 あなたのその崇高な思いは決して無駄にはしない。
 その思いに報えるだけの信頼厚い医師となれるよう……
 心から深い感謝の意を込めて……。
 そして今、あなたはいってしまう。
 私たちに、大きな力を与えて……。








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