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解剖学実習を終えて
 谷口 俊和
 十一月六日に始まり、四ヶ月間続いた解剖学実習。今こうやって振り返るとあっという間の四ヶ月間だったような気もするが、やはり一日一日が辛く厳しい修業の日々だった。
 実習初日、全身全霊を込めて取り組もうと決意して臨んだが、緑色のシーツを外し、白布をはずし御遺体と対面した瞬間、胸の鼓動が高まったのを覚えている。この解剖台の上に横たわっておられる方は一つの人生を歩み、そしてその人生を終え、御遺族の方々の御理解に支えられて、ここに至ったことを考えると、作業を始めることがためらわれた。しかし、自分が誠心誠意学ぼうとしない限り、この方の御遺志は遂げられないと思い直し、その日の実習を終えることが出来た。
 次の日からの実習も、神経、血管の見分けがつかず、見たいものになかなか到達できないということが続いた。また、一日の実習ですべき作業、観察項目、考察項目などはかなり多く、瞬時の情報処理能力が試されたと思う。作業が思うように進まず、多くの情報を処理、吸収できない自分に焦り、苛立ちを感じ、自分は医者になる資質がないのではないかと考えることすらあった。だが実習書や実習ノート、その他の資料をじっくり読み、手を動かすうちに、少しずつ物が見えるようになってきたと思う。このような課程をくり返すうちに、「教科書の絵ではなく、実物を見よ」という先生の言葉の意味、重みがわかるようになった。他の班の所見などを見ると、同じ名前のつく神経や血管であっても、個人個人の容姿、性格などがそれぞれ異なるように、あまりにも多様であったからだ。僕の班では数々の所見が出、その中で肝臓の動脈についての所見発表を行ったが、発表までの過程で、まず標準といわれる形を学び、そして自分の班の例と比較し、友人とその由来について発生段階まで遡って考えるということを行った。この過程で実物を見るということの重要性を強く感じた。
 実習の最後の方で、腰神経叢をテーマに実習調査を行ったが、この大きなテーマの中でどこに焦点をしぼって調査するかということにかなり時間を費やした。高校までの勉強とは違い、答えなどなく、持てる知識を総動員して、妥当な仮説をたて、調査結果について考察を行うという、手探りの繰り返しだった。なかなか、調査班の議論で意見が出せず、普段いかに頭を使っていなかったかということを思い知らされた。それと同時に、「考える」という医者になるものとしてあるべき姿を再認識出来たと思う。
 二月二十三日、実習を終えて最後の黙を捧げた。この日に至るまで苦悩・挫折の連続だったが、ここまで自分を支えてきたのは何だろうか、それは、献体された方の御遺志に答えたいという思い、そして学びたい知りたいという思いだろう。そしてこの四ヶ月間、自分が見てきたもの、それは目の前の「物言わぬ師」である御遺体、一緒に実習を行った班員、そして紛れもなく自分自身だった。実習中の自分の言動、行動について、常に頭のどこかで考えていたように思う。その中で長所、短所も含め、自分自身について知ることが出来た。
 この四ヶ月の間で様々なことを学ばせて頂いた。ここまで指導して下さった先生方、献体して下さった方々と、その御遺族の方々に対する感謝の気持ちを忘れることなく、ここで学んだことを生かしてさらに努力を続けていきたいと思った。








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