日本財団 図書館


アジアにおける海上交通網の安全と国際関係
序 文
 中東からマラッカ及びシンガポール海峡、そして東シナ海を経て北東アジアに至る通商路は、地域間、地域内の通商の要である。(図1及び2)日本にとっては、これら通商路の自由航海が石油の輸入および東南アジア及び西欧との貿易の根幹をなしている。そして米国にとっては, 第7艦隊の機動力と柔軟性に重要な意味を持ち、かくしてその同盟国、日本、韓国、フィリピン、及びタイ国との同盟にとっても重大なものである。さらに、航路の安全性と保安に新しい脅威が水平線に出現している。それらは、潜在的な国家間の衝突であり、忍び寄る統制力であり、環境に関わる規制であり、海賊行為である。これらの脅威は日本に困難な選択肢を提示している。冷戦時代経て今、地域間の、また、世界の状勢にもっと毅然とした役割をとりあえず探し求めている。そして合衆国はそうするべく自らを励ましている。しかしながら、第2次世界大戦での日本の行動に根ざした疑心暗鬼に手をこまねきながら、外国防衛の役割に対する国内の過敏な反応がその行動と選択の自由を抑制している。本論は問題となる背景を整え、主要プレイヤー個々の利害を概説し、航路に対する脅威を詳述し、さらにこれらの脅威を減じる際の進むべき道筋と同時に日本がそのように行動する際の役割を示すものである。
背 景
主要航路
 東南アジアは、太平洋とインド洋間、日本と北東アジアのその他の国々とインド洋の間、そして北東アジアとオーストラリア/ニュージーランドの間の通過航路として重要である。地域内の海運によって−−多くの場合相対的小型の船舶によるものだが−−これらルートのうちのいくつかにあっては交通量がかなり増大している。東南アジアには、約45の国際海峡があり、そのうち25が「主要な」海峡と考えられうるものである。利用または戦略的な重要性において、最も重要な意味を持つのがマラッカ/シンガポール、ルソン島(バシー海峡(Bashi)、バリンタン(Balintang)、およびバブヤン(Babuyan)の3つの水路から成る)、台湾、インドネシアのトレス、スンダ(Sunda)、ロンボク(Lombok)、およびObai-Wetar、さらにフィリピンのSan Bernardino、スリガオ(Surigao)、およびBalutである。
 
 北東アジアに約40の国際海峡があり、その多くは琉球諸島と千島列島チェーンを隔てている。なかでも最も重要なのが、南韓国を日本から隔てている2つの韓国の海峡、九州と琉球の最北端との間の大隅海峡、本州−北海道間の津軽海峡、そしてサハリン−北海道間の宗谷海峡である。代替ルートで問題がある唯一の海峡は朝鮮海峡である。(東と西)最も余地のある選択肢は津軽海峡である。他の選択肢は宗谷海峡および千島列島を通る航路のうちの1つである。
マラッカ/シンガポール海峡
 マラッカとシンガポール海峡と南シナ海を渡るヨーロッパ極東海運ルートは、世界中で最も繁忙なルートの一つである。日本の石油輸入の約90%は、この領域を通過してゆく、また韓国および台湾の石油輸入も殆ど同様である。このルートを通って中国に向かう石油も、また増大している。南シナ海を通りマラッカ/シンガポール海峡に沿って東に向かうタンカーは、通常中東の石油を積み東アジアに向かう。合衆国海軍は、その第7艦隊の機動力と柔軟性を強化する選択肢としてこれらの海峡を、フィリピンとインドネシアを通る島嶼間の航路とともにその有用性を評価している。合衆国は、中東からの原油をその西海岸に輸送するためにこれらの海峡を利用する選択肢も維持している。
 
 もしマラッカ/シンガポール海峡が−完全にまたはある船舶に対して−閉鎖されたなら、インド洋と南太平洋を結ぶ主要な海路は、南シナ海へのスンダ海峡(Sunda Strait)またはスラウェシ海(Sulawesi Sea)へのロンボク海峡(Lombok)のいずれかである。例えば、マラッカ・シンガポール海峡を通るには喫水の深すぎる200,000-300,000GRTクラスのVLCCsおよび300,000GRT以上のULCCsにとっての代替ルートは、ロンボク・マカッサル海峡およびミンダナオ南方のスラウェシ海を通るか、スリガオ海峡およびフィリピンの東方海域を通るかになる。VLCCsは、マラッカ/シンガポール海峡を利用することで約1,000マイルまたは3日を節約でき、そして南アフリカ経由のULCCsは、200マイルを節約できる。しかし、代替ルートの現実的問題は、殆どの船舶がインドネシアまたはフィリピン群島水域およびこれらの国を通過することであり、最悪のシナリオでは、1ルートだけでなく一連の代替海峡を同時に閉じられることである。
海運量
 マラッカ・シンガポール海峡を通る全船種及び船型の総船舶運行量は1日あたり平均150隻になる。そのうち半分が5,000GRT以上の船舶であり、また3,000GRT越える船型の船舶が総量の10%強を補っている。
 
 1994年、1995年、および1996年には、One Fathcm Bank燈台を通過した船舶の数は、Kiang港に停泊した船舶と漁船を除き、それぞれ34,446、30,251、および31,672で、これらの35%は輸送船で、すなわち各年の隻数はそれぞれ11,069、8,915、および9,815であった。(表1)従って、1日あたり平均30.3、24.4、および26.9隻のタンカーが、1994年〜1996年に海峡を通過した。これらのうち60%以上のタンカーが、200,000GRTの船型を越えるものであった。シンガポール港を出入りする船舶量は特に多い。平均2分毎に1隻の船がシンガポールハーバーに入港するか、出港している。1996年にシンガポールに入った船舶数は117,723隻で、1月平均では9,000隻になった。港に入るか。出るためにシンガポール海峡を渡るのは、交通量の激しい交通信号の無い交差点を横切るのに似ている。
海峡の利用者
 1993年には、原油は、マラッカとシンガポールの海峡を通って流れ込む地域間の貨物トン数の58%であった。そのほとんどは中東からやってきて、日本へ向かったが、東南アジアは第2の供給源でありかつ2番目の仕向地として新工業経済国であった。自動車、機械、および消費物資を含む完成品は、本海峡を通過した貨物(の価値)の60%以上に相当した。1993年に海峡を通過した船腹の27.6%は日本の業者が所有するもので、他のどの国より4倍多いものであった。ギリシャは6.5%で二番目、合衆国は、船腹量6.2%を持つ3番目であった。船腹所有国のトップ10の残りは、イギリスまたは海運国ノルウェーおよびアジアの国々のシンガポールや大韓民国などで分け合った。大国、例えば日本、ギリシャそして合衆国の船主の多くは、便宜置国船籍船を利用している。マラッカ/シンガポール海峡の海運量の90%ほどが全くの他国籍船で、ノルウェー、台湾、およびマレーシアは例外となっている。
事故とその反応
 海運に関して、いたるところの沿岸海峡国現在共通の懸念は、いつも通りの航海で廃棄される油であり、そして事故による油の流出である。
 
 海難は油による汚染の最もドラマチックな原因であるけれども、おきまりのビルジの排出、バラストおよびオイルタンクの洗浄、そして漏洩もまた油による汚染の重大な原因である。1970年代のオイル流出事故は、15m以上の喫水を有する船舶については3.5mの船底下クリアランス[Under Keel Clearance(UKC)]協定を促し、海峡の3重要海域における海上交通分離計画[Traffic Separation Scheme(TSS)]となった。TSSは国際海事機構(IMO)−そのような問題において現在認められている調停機関−により採用され、そして、1980年5月に発効した。それは、オイル流出による海洋環境の汚染で生じる補償と損害の支払いのために日本によって供給された300万米ドルの回転資金により補われた。TSSは最初、海峡内の事故の削減では非常に効果的であった。
 
 しかし、1977年から1992年までの間に、マラッカ/シンガポール海峡で、72回の海難事故があったが、60%が1087年以降に起きている。衝突と座礁は、海上事故の中で最も一般的なものであった。(表2)
 
 一般貨物船事故は最も大きなパーセンテージを占めているが、タンカーの事故数(17%)には、沿岸国最大の懸念となっている。なぜなら、重大な汚染損害を環境に与える可能性があるからである。ere have been 54 such oil spill incidents in the Straits since 1975(Table 3).1975年以降、海峡において54回のそのようなオイル流出事故があった。(表3)大きなオイル流出事故となった主要な出来事は、UKCとTSSの賦課を促す事故となった昭和丸を含め、Diego Silang号、およびNagasaki Spirit号がある。これらの3つの事故をあわせた流出だけで、26,000トンを越えるものであった。
 
 1992年末、2件の主要な事故が海峡の北の入口で発生し、非常に現実的な危険に対して海峡国に再度注意を促した。反応は一連の行動となった。それは1993年11月11日のマラッカ海峡に関するマレーシアの国民会議の召集であり、そして1994年の6月14日から15日同じ議題に関する国際会議であった。そして、1997年10月半ばに、海峡は今まで最大のオイル流出事故、約28,500トンの舶用重質燃料油の流出に苦しんだ。東へ向かうタンカーEvoikos号に積まれたもので、同タンカーは西へ向かう空荷のタンカーOrapin Global号と衝突した。この流出はAmoco Cadizからそれとおよそ同じ規模であった。長さ20.5マイルのテラテラした油がマレーシアおよびインドネシアの水域にまで漂った。約16社のエージェンシー、60隻の船舶、そして日本のエキスパートチームが流出オイルとの戦いに昼夜休みなく従事した。
 
 事件発生時、視界は8kmと良好で、航路は混雑せず、ポートのナビゲーション装置は完全に作動していた。船舶交通システムは、西行きの空荷タンカーOrapin Global号が誤った航路にあることを警告し、そして両船が衝突進路にあるとそれらに3回警告した。タイ船籍のOrapin Global号のマネジャー等は東行きのEvoikosが西行き航路を、TSSによって要求されるような直角であるよりむしろ、鋭角に横切ったと主張した。2隻のタンカーの船長はシンガポール当局に逮捕されて、無謀な航海と人命を危険に曝したかどで告訴された。(衝突を避ける適切な行動の不履行、および重大な損害を防止するため減速の不履行)そして、Orapin Global号は、その水域に違法に停泊したことが知れたときマレーシア当局によって拘束された。しかし、長たらしい災害の話は続く。2000年の10月初め、シンガポール南東約8kmのインドネシアの12水域で、タンカーNatuna Sea号が座礁して、少なくとも7,000トンのオイルを流出した。
問題
 マレーシアおよびインドネシアが荷を積んだタンカーのためにロンボクやマカッサル海峡経由のバリやボルネオの東側の代替ルートを支持しているが、進言に従うのは、あるにしても少ない。実際には、殆どのスーパータンカーは、アラビア湾から北東アジアに向かう主要な石油ルートにあっては、マラッカ・シンガポール海峡を利用する。なぜなら、最短のルートであり、必要なら、シンガポール港の施設を利用できる。そこは重要かつ補給や運用面で利点がある。160,000DWTから250,000DWTの範囲内のより大型の船舶は、満載時に、「公的に」推奨される18.5mの喫水制限を限定的に試している。本地域に見られる250,000DWT以上の最大船型のほとんどタンカーは、満載時にはいかなる公式のガイドラインを十分越えて運行している。しかし、より大型のタンカーの多くは、軽荷で、すなわち同海峡を通過する際に船の喫水を浅くするために最大能力を下回る積み荷にしている。船舶オペレータの多くの大方は喫水制限についてのclose judgment callに直面している。足が深すぎれば事故への懸念があり、また、あまりにも軽荷であれば利益を損じる。その結果はコストと安全性の二律背反正(兼ね合い)にある。超大型タンカーは停止するのに10マイル程度が必要とされており、さらに、非常に遅いスピードでは舵効速度の損失によりコントロールが効かない。当直航海士は、チャンネル内での衝突のリスクと水路を離れて座礁のリスクの選択を強いられることになる。
 
 1992年以来のマラッカとシンガポール海峡の海難のドラマチックな増加は、マレーシアとインドネシアの重要な政治的有力者等の怒りのステートメントを促した。特に、すでに現在のシステムは適正でなく、改訂されるか少なくとも再精査される必要があると提案された。海峡を通過する船舶に使用料を課すか、または最狭隘部を通過する船舶に水先案内義務を設けるかのいずれがなされるようにも提案していた。
 
 しかし、問題のより綿密な調査では、多くの海難がTSSの欠点またはその退化に起因するものではないことが明らかになった。海峡に関わる3国が提供する統計で事故の90%以上が座礁ではなく衝突により起こされることが明らかになった。従って、海難の潜在的な理由は航海への危険ではなくレベルの低い操縦技術であった。明らかに、ほとんどの事故は、対向して通過する船の「通行権」などのように通行の基本的な規則の無知により起こっている。衝突あるものは、舵輪つく船員の英語の理解力がかけることによるものであった。これは、「便宜置籍国」船の船主が基準に満たない船員を雇っているからかも知れない。このコスト節約策がとられているのは、恒常的な世界的に低いレートおよび厳しい建造やIMOによって設けられる基準によって造られた輸送船隊の高い運用コストが理由となっている。
南シナ海の論争
 東南アジアと北東アジアでは、権利主張の無いままだった海洋域を殆ど残さずかつ多くの部分で権利主張が重なり合うまでに、すべての沿岸国は資源とそれに関連した活動への自国の海洋統制力を正式に拡大した。南シナ海においては、6カ国の政府が島々および海洋スペースについて対立主張を持っている:中国、台湾、マレーシア、フィリピン、ベトナム、およびブルネイである。南シナ海論争は、引き続き政策者(policymakers)を悩まし、解決を見ない。フィリピンが権利を主張するミスチーフリーフ(Mischief Reef)の1995年の中国による占拠、および1998年末のそこでの要塞風建物の建設はその地域の緊張を高めた。そして中国は、ベトナムのみに対立していたのだという神話を打ち砕いた。協議において、中国のなだめすかす言葉やフィリピンによる幾つかの試みにもかかわらず、中国は、フィリピンEEZ内にあって、法的にも大陸棚にある岩礁をまだ占拠し続けている。そして将来が不明確なまま占拠しつづける気配である。
 
 ASEAN役員等は、南中国に関する指導についてフィリピンが提案する修正コード草案に関する1999年11月28日の会議で同意したが、中国は、それを受け入れることを拒んだ。ある部分では、それが中国によって占拠されているが、ベトナムによって権利を主張されているパラセル諸島を含めているからである。中国はコードがスプラトリー諸島(Spratlys)とスカボロー浅瀬(Scarborough Shoal)だけを対象にする事を望んだ。マレーシアはまた、コードがスプラトリー諸島だけをカバーする事を欲した。しかしASEANとしては、コードからパラセル諸島を除くことがASEAN対中国の対立を切り取ることになったであろう。
 
 中国は自らの行為コードを提案した。その最もはっきりした特徴は、それが正しい権利の要求者ではなく、すべての南シナ海沿岸国にあてはまることである。そして、それは「隔たり」としてのみの論争に付している。さらにそれは軍事訓練や哨戒同時に紛争区域内の漁船の逮捕やボートの押収を禁じようというものだった。特に、中国の草案が言うところは、「すべての南シナ海沿岸国は、南沙諸島(スプラトリー諸島)やその近隣の水域での他国に対して向けられるいかなる軍事訓練も控える」べきだとするもので、−−特に共同演習−−で、おそらく最近の合衆国とフィリピンの共同演習、さらにそのほかの合衆国と東南アジアの演習を指している。「また、軍事目的の危険な接近偵察も控える」べきだとしている。フィリピン、ベトナム、およびマレーシアは、規定に反対している。それは紛争区域でのパトロールの他漁船やボートの「拿捕、拘置、または逮捕」も禁じようとするものであって、規定ははっきりフィリピンを標的にしていて、マレーシアによって反対された。さらにコードは法的な拘束力を持たないと主張している。
 
 さらに、スプラトリー諸島での新たな占有や構造物の建造を禁じるためのASEANの提案に関しては、中国はより一般的な明確な表現を欲しており、それは権利主張者が「状況を複雑にするだろういかなる行動も慎む」ための義務を負うというものであり、その1文は1997年のASEAN−中国の共同声明にもられている。さらに、中国は、生物または非生物資源の協同管理を扱ういかなる規定も拒絶している。そして、たとえ「突破口」があったにしても、南シナ海に関するASEANの宣言およびインドネシアのワークショップのバンドン声明−−ともに本区域における緊張を高めるだろう一方的な行動を封じている−−そのような同意の支持についての権利主張者の採録は、それが承認されてもそのようなコードを彼らが遵守するであろう信頼をしみこませることにはならない。実に、中国とフィリピン、およびベトナムとフィリピン間の既存の二国間行為コードは、その紛糾区域で、中国がミスチーフリーフ上でその構造物を拡大するのを防げなかったし、フィリピンが中国の漁船を銃撃ないしは逮捕することを防げず、ベトナムがフィリピンの航空機に発砲するのを止めさせられなかった。中国の支持無しに、行為についての多国間コードは相対的に無意味である。
 
 1999年6月ASEANおよび1999年7月のASEAN地域フォーラム(ARF)ミーティングの少し前に、マレーシアは、エリカ(Erica)とインベスティゲータリーフ(Investigator Reefs)上に二階建てのコンクリートの建物とヘリポートを建設した。これらは、フィリピン、中国、及び台湾によってクレームをつけられている。ASEAN設立メンバーによるこの驚くべき一方的行動にはいくつかの意味がある。第一に、それは、この問題に関して中国に対向するASEANの団結を明らかに分割することである。<幾人かの外交官は、マレーシアはASEANの費用で中国との取り引きを減じたとさえ疑う。(Some diplomats even suspect that Malaysia has cut a side deal with China at the expense of ASEAN.)>そして、東南アジアの権利主張者間のそのような論争は、その地域での中国の存在を強化するように中国を勇気づけるだけである。第二に、それは南シナ海に関するASEAN宣言とバンドン声明を蹂躙し、おそらくは致命的に徐々に蝕まれることになる。第三に、それは別の権利主張者、特にフィリピンによる新しい占拠の波を感じさせるかもしれない。
 
 合衆国は、シンガポールの1999年のARFで、基本的には「十分に十分である」と言ってその問題について推し量っていた。合衆国は、これらの論争が「危機へと流され」うるものと恐れており、緊張を和らげるための具体的な提案をASEANが考えることを欲している。国務長官マデリーンオルブライトはこう警告した。
 
 賭け金は高すぎるので、個々の出来事が潜在的により大きい危機およびより重要な結果によって別のものに導くいずれにあっても、サイクルが出現すること(堂々巡り)を許すことができない−−。私達はサイドラインにただ座り、傍観する事はできません」べつの合衆国高官は、平和的解決のために時間が無駄にされているとを気に病んで、こう言う。「何か悪いことが起こるを待つような温和な無視の方針を単に持つ必要はないが、むしろ問題について話し合うべきだ」合衆国およびまだ別の問題に関わる中国をしっかりと対置させ、そして「部外者は立ち去れ」という中国の主張にもかかわらず、これらの声明となった。従って、米国/中国関係の進路は南シナ海プロセスに影響するかもしれない。そして、大統領当選者ジョージW.ブッシュは中国に対抗する強硬路線を計画、特に台湾に関しては、これはその関係にとって良い前兆にならないことはない。
 
 行為コードの必要性は、中国とフィリピン、マレーシアとフィリピン、およびベトナムとフィリピン間の間近の衝突によって強調された。東アジア・太平洋情勢の米国国務次官補、スタンレーロスは、東アジアにおけるネガティブな傾向の一つとして南シナ海をみており、彼はどの行為コードも同意されていない事実を嘆いた。おそらく一致をみない、そして中国の悔しさの多くには、合衆国がマニラの軍事力の近代化を助け、共同演習続開に同意していることがある。中国が南シナ海でのさらに挑発的な行為をフィリピンに警告した際に、フィリピン上院総長Blas Opleは、米国/フィリピン1951相互防御条約への言及して、合衆国は中国との戦争の場合条約を支持すると明言した。
 
 2000年1月28日に、合衆国とフィリピンは、双方の国から5,000人の軍隊を参加させた共同演習を行ってVisiting Forces Agreementを再実施した。演習の1部として、米国誘導ミサイル軍艦は、スプラトリー諸島に最も近いフィリピン港のパラワンを訪問した。2月21日に始まった第2段階は、合衆国とフィリピンのこれまでで最規模の戦争ゲームであった。演習は海軍の戦闘と航空戦のシナリオおよび陸上部隊工作であった。演習は、「Balikatan」と呼ばれた。これはタガログ語で「荷を一緒に担いで」の意味である。2000年6月14日に、米国・フィリピン海軍の共同演習が始まった。ねらいは、両国間の防衛協力を強化し、「東南アジアの皆の顔を向けて、挑戦の戦略的理解を深める」であった。
 
 嵐の前触れの雲が集まってきている。確かに、米国・ベトナムの軍隊協力について、米国国防長官コーエンの2000年3月のハノイへの提案は、米国の中国「封じ込め」戦略を見る人々に警報を出した。そして、まるで中国の最悪脅威を確認するために、米国の太平洋地域総司令官、デニス・ブレア提督は、今年東南アジアで「チームチャレンジ」と呼ぶ、総合的な多国間の軍事演習を合衆国が主導することを発表した。これは、日本、韓国、ブルネイ、マレーシア、フィリピン、タイ、シンガポール、およびオーストラリアを含むものだが、その他の国にも開かれている。中国は、オブザーバーを派遣するよう招待されたが、その反応は、彼らが自らの利益のために集団的に行動することに対しておよび域外のパワーを伴うそのようなアレンジメントに対してASEANのメンバーに警告することとなった。新次元を難局に追加しながら、インドは、海軍の一連の演習を2000年の10月と11月の間に南シナ海でおこなった。これはベトナムとの二国間の演習と同時にをインド自体の一方的なトライアルも含んでいた。これは中国に対する直接的な挑戦を示し、その地域での海軍力の均衡を再確認することになった。
 
 一方、中国は、南シナ海の航路のコントロールと台湾との統一目指す障害として合衆国を見なしている。中国の軍事戦略は、合衆国が衝突で台湾を支持する場合には、少なくとも確信できるリスクを装うように思える。すでに、サンバーン巡航ミサイルを搭載したロシア建造艦「Sovrernenny-クラス」のデストロイヤー2隻のうち1番艦の引き渡しを受けている。これらは、中国海軍にあって最新鋭の洗練された艦船である。嫌がらせや封鎖から対潜水艦および対海上戦闘、海上否定、そして航空優位性まで「エスカレーション階段」のギャップを満たすのに役立てるのが目的である。中国はすでにロシアのkilo-class潜水艦を買い求め、ロシアと共同でSU-27戦闘機を生産している。Sovremennyデストロイヤーは空母船隊を脅かすかもしれず、SU-27は、台湾海峡上の米国航空優位性を脅かすかもしれない。2000年4月26日に、中国はジェット戦闘機への中間フライト燃料補給を首尾よく実行し、従って、南シナ海のパワーを展開するその能力を拡大した。これは、強大になった中国の存在と南シナ海の機能にかかわるものであり、中国は、その海軍力を明らかに増強している。
 
 いくつかの結論を並べよう。第一に、ASEANメンバー間のコードの暫定協定にもかかわらず、南シナ海問題に関するASEAN団結は脆く、亀裂が生じ始めている。実に、ASEANの権利主張者のあるもの達は、中国からよりよい取引を自ら引き出せるものと明らかに今なお感じている、ないしは中国と彼らの関係がこの問題に関するASEANの団結よりもいっそう大事だと思っている。もしもそして彼らが二国間で交渉する場合には、中国の主張を暗にあるいはあからさまに認める必要があり、したがって、仲間のASEAN権利主張者の足下を崩すことになるであろう。
 
 第二に、合衆国が一連の成り行きに影響を与えないようにするには遅すぎる。まさに、合衆国とフィリピンとの新規軍隊の相互訪問協定(Visiting Forces Agreement)およびその地域内における合衆国のほかの正式とはいえない二国間の、または可能な多国間の軍事的なアレンジメントにより、合衆国は、すでに南シナ海に海軍の存在を示しており、航海の安全と自由において公に表明している保安に関心をもっている。その安全と自由は忍び寄る統制力あるいはスプラトリー諸島での衝突によっておびやかされているのである。中国の見方では、これは問題を「複雑にし」、地域の安定にとって有害でありうるとしている。
 
 第三は、現在の状況は険悪であり、不意の政治的または軍事的イベントによってあからさまな衝突へと悪化することもあり得る。たとえば、ベトナムと中国または台湾と中国関係の悪化はスプラトリー諸島における戦いを予示することになるかもしれない。事件は、また、一方的な行動が引き金になって起こることもありうる。たとえば、他のものによって権利を主張される特性のさらなる占拠、別の軍事力により進駐された島の略取、同地域における一方的な演習、紛争地域における漁民の拿捕または殺戮、あるいは大規模な攻撃的な海軍の行動である。掛け値無しに少なくとも、根本的な問題が未解決で残り、そして同地域は「化膿症の上の瘡蓋」ままで、(その瘡蓋は)政治の梃子の原理を待って摘み取られる。








日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION