希望太鼓(鳥取県)
─プロフィール─
希望の家は鳥取県中部の城下町、倉吉市のシンボル打吹山(うつぶきやま)の麓にある成人施設です。打吹山は羽衣伝説の残る山で、天女の子どもたちが母を求めて山頂で太鼓を打ち、笛を吹いたと伝えられています。その伝説の地で、私たちは太鼓を作り、叩いています。
今から13年前の昭和61年(1986年)秋、当時、原木から製品まで一貫して作り上げる職人としては、中国地方でただ一人の太鼓司・沢田光男氏より、「希望の家でも、太鼓を作ってみないか!」とのお話を頂き、太鼓作りなど全く経験のない利用者・職員が沢田氏の厳しい指導の下、昭和62年春に5つの和太鼓を完成させました。そして、この5つの太鼓を元に太鼓連「希望太鼓」を結成、演奏活動もスタートしました。そして、地道な演奏活動、地域との交流の中で、利用者も次第に積極的になり、現在では地域の祭りや各種イベント、施設行事等、年間約20回の演奏を自信を持ってこなしています。
また、太鼓作りの方も自分たちで叩くものばかりにとどまらず、平成7年(1995年)より本格的な生産・販売へ乗り出し、現在までに約30個、施設・学校・公民館・地域の太鼓連・神社・仏閣等様々な方面へ販売いたしました。販売先も県内から中国地方にまで拡がり、今後更なる拡大も目指しています。
これからも、一層、太鼓作りと、演奏の腕に磨きをかけ、地域との交流を深めて行きたいと思っています。
演奏曲
希望太鼓
出演者
岡田 光雄 |
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岩木 智 |
中田 康寛 |
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露木 治郎 |
山中 照明 |
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南場千代子 |
前田 明子 |
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田栗さつき |
中村 弘善 |
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田中 政則 |
小倉阿佑美 |
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遠藤 利彦 |
─実践報告─
希望の家は、鳥取県中部の城下町・倉吉市のシンボル、打吹山の麓に位置する、成人で知的障害を持つ方々の利用する、入所施設です。
打吹山は羽衣伝説の残る山で、天女の子どもたちが、母を求めて山頂で太鼓を叩き、笛を吹いたと伝えられています。その伝説の地で、私たちは太鼓を作り、叩いています。
昭和62年の冬に、5つの和太鼓を完成させました。そして、それらの太鼓を元に、太鼓連も結成、「希望太鼓」と名付けて、和太鼓の演奏活動も開始しました。
当時は、地元にもあまり太鼓連は無く、まして施設が、「自分たちで作った太鼓を叩くという例は、全国的にもほとんど見られないのではないか?」ということから、外部からも注目されましたが、何よりも施設利用者自身が、そのことによって、自信を得、太鼓演奏だけでなく、あらゆる生活場面において積極的になっていきました。
他の施設のように他県や海外にまで出かけて行って演奏活動をすることは今までに無く今回が初めての県外遠征となりますが、地元では、春から秋を中心に、祭りや施設行事、各種イベント等で演奏し、出演依頼も年々増え、現在では、年間約20回の演奏依頼をいただくようになりました。
現在、利用者は、太鼓演奏の技術向上はもちろんですが、太鼓を通じ、地域の人々と積極的に関われる自分自身への発見に、喜びと誇りを見いだしています。そして、太鼓連結成当時は10名だったメンバーも年々希望者や叩ける人も増え、正規の太鼓連の他にも希望者による「太鼓クラブ」もでき、利用者・職員が一緒になって新しい曲を創造しようという流れも、芽生え始めています。また、今までは太鼓が施設の顔となり、要覧、作品販売用のナイロン袋、機関紙、職員の名刺等にまで、太鼓演奏の写真やイラストが使われるようになっています。
こうした利用者、施設の姿を見て、倉吉市老人クラブの会長さんが、「丸太棒から自分たちが太鼓を作り、それを叩く。この真剣に取り組んでいるひたむきな姿を見て、私は、20年ほど出たことのない涙が流れて止まらなかった。頑張っているんだなあと思ってね。」と言ってくださいました。
このように、和太鼓の生産、演奏は、希望の家の利用者、職員に大きな力と和を与えるだけでなく、地域の人達との交流の和も広げてくれました。これからも、太鼓作りと演奏の腕を上げ、地域社会に生き、より一層進出、貢献していきたいと思っている希望太鼓です。