日本財団 図書館


◎青空宣伝社への入社◎
 プロの世界に入ってきたわけで、プロの人と知り合ううちにですね、私も就職とか段々無くなりまして、気が付いたらチンドン屋さんという仕事をやっておりました。親はですね中学しか出ていない、子供を大学までだしてそして跡を継がそうと思っていたらしいんですけれども、大体日本の学校は、中学高校、大学と行くと商売するのが馬鹿馬鹿しくなるんです。学校では商売、商いというものはね、教えないんですね。右のものを左にやって掠りをとるようなですね、(笑)いわゆる、流通業を物流の近代化を学校では習うと、うちの親父がやっているような零細金物問屋はですね、一番前近代的なものだということになります。親を説得してですね、将来親父を継ぐのは一旦止めておいて、商いの一番と言われた大阪で商売の勉強をするんだといって、兄貴は金物のメーカーに行きました。私は流通の最先端に行くんだといって、ではどこに行くんだ、と言われますとそこがチンドン屋の世界だったというわけです。それで大阪の飛田の遊郭の近所にあります、青空宣伝社というところを尋ねていったわけです。それまでですね、チンドン屋の世界に行くとなると、周りの人間みなから、そんなところに行って食っていけるのか、と言われるわけです。で、たった一人だけ、それはなかなか面白いアイデアだ頑張ったらいい、と言う人がいました。で、青空宣伝社に入ったわけですが、後で聞いたらまさか本当に行くとは思わなかった、と言われました。(笑)非常に無責任な友達でした。
 チンドン屋の仕事というものは、私ども真似事をやっておりましたが、大体無くなりつつあるんですね、で、今、ほとんどやっているとしても細々とやっているんだろうと、いずれ無くなるだろうと思って行ったわけです。ところが、正直言ってびっくりしたわけです。中に居る人は、仕事が減った暇だ、と言うんです。それまで、大阪のチンドン屋さんは大阪市内でも、日本で一番数の多い商店街と小売市場を抱えていて、それで食っていた。それが段々減ってきてというのは本当ですが、ところがまだまだ商店街や市場から仕事は来ます。それに加え、信じられないような商売の業種から仕事の依頼が来る。もうこんなんで仕事ができるか、と、チンドン屋というのは大体物を安売りということでやっているのに、三千万、四千万円するマンションの売り出しを宣伝するんです。チンドン屋がやったら余計にマンションの値打ちが下がるんじゃないか、(笑)ということですが、マンションのモデルルームに人が集まらないと話になりませんから。それから毛皮屋さんです。確か二百五十万円ぐらいの毛皮のコートを、八十万で売るというので、それで回った。チンドン屋が回ると、普段は入りにくい毛皮屋さんにも入りやすくなるという効果がある。まあ、売れたか売れてないか、というのは確認しておりませんけどね。(会場笑)
 あ、それから、僕がちょうど入った頃にね、統一地方選挙があったんです。選挙の候補者と大阪市内中を回ってですね、選挙の広報をやってくれと。いろんな仕事を引き受けていたと思うんです。また大阪市選挙管理委員会の広報の企画では、第一広告社が請け負っていました。飛行機を空に飛ばして、飛行機雲で何月何日というのを書き出すとかいう案であるとか、十ぐらいの企画を出した中で一番予算が安いチンドン屋さんと一緒に広報活動をするというのに決まった。(笑)一発勝負の花火みたいにぽーんと無くなるんじゃなくて一週間二週間かけてやっていく、結果がどうかじゃないやった実績がどういうものでもない、そういったものが決まったりしました。それをやりました。そういうのを見てね、今まで市場・商店街で食ってたけれども、今後、その市場・商店街がなくなるようなことがあっても、別の業種から仕事が来るだろうなと思いました。で、最初に仕事に行きましたのが、大正区辺りのお風呂屋さんの仕事でした。その時もまあ珍しかったですね。昔は風呂屋さんの開店祝いというとしょっちゅう行ったらしいんです。此花区とか大正区とかあの辺にお風呂屋さんがどんどん出来て仕事しました。珍しくもなかった。最初に行った仕事が病みつきになったようなものでそれがなかったらやめてるかも分からなかった。お風呂屋さんの開店というのは大体タダで入れる。それを「法楽」と呼んでました。「今日は法楽、金いらず」言うて今日はお風呂代いりません、タダですよって。今だったらどうですかね、その当時はもの凄い人が来ました。風呂屋の開店というと、お風呂屋さんを出発する前にお風呂屋さんの脱衣所でこんな大きな船盛りのお造りとかお酒が出てですね、どんどん飲んで下さい、食べて下さいといって振舞われる。僕は初めて行って一言われるままに酔っぱらってしまいました。それでもう行かなくていいです、って、もうちょっと良いじゃないか、もうちょっと呑んでって、そんな雰囲気なんです。でも、青空宣伝社の先輩よく知っている、ちょろちょろっとやって、出発して、百メートルか、二百メートルほど行くと、そこにまた酒屋さんがあるんですね。大阪の酒屋さんは、大体立ち飲みを朝からやってる。で、そういうところに入って休憩をやる。お酒を飲んでると、後ろの方から自転車に乗ってやってきたお風呂屋さんが「お客さん来すぎたからもう回らなくていいよ」って。(笑)何も宣伝してへんのにね(笑)二十年前ぐらいはそういう良い時代でした。
◎時代に取り残されてしまったのか◎
 普通の常識で言うと、、チンドン屋というのは古くさくて、時代から取り残された風に見られるんですが、世の中にはね、時代とは全く関係なしにですね、宣伝と言ったらチンドン屋という大阪人はまだ一杯いたんですよ。商品文化というものが底の方にいっぱいありまして、おそらくね、ITもくそも何もないんですよ。そういう人がね、結構商売が上手なんです。商売が上手やから、お店を作る、パチンコ屋さんをやったり、ディスコを作ったり、ナイトクラブ作ったり、サウナ作ったり、それから、ファッションビルや、パソコンショップを建てたりするんですけど、そういう時に、宣伝と言えば、相変わらず、チンドン屋、結婚式場建ててもチンドン屋を呼ぶ。そういうのに助けられて、チンドン屋の大阪の文化はある。私が博多でね、チンドンやろうと思ったら、ちょっと周りから浮くわけです。やっぱり他の地方だとね、東京だとどうかというと、今の流行はどうだとかですね、そんなことやったら、時代に遅れてしまうとばかりマイナス面ばかり考えざるを得ません。大阪の商品文化の底の方には、そんなことやったら時代に遅れてしまうとか、恥ずかしいとかは、全く無いわけです。そういうのに非常にびっくりしています。アカンと言われて入った世界ですが、私にとったら立命館大学を出たけれども、もう一つ、チンドン大学院に入ったようなものです。(笑)
 それと、官公庁とかですね。さっきも地方選の話をしましたが、官公庁の中でも、よどんだ空気を吹き払いたい人がどこにでもいるもんです。特に学校なんかそうです。最近だったらね、全校で劇団やオーケストラを呼んで講堂で鑑賞会を行う。ところが、今頃の中学・高校でやったって、会場でわーと騒ぐもんですから、出演者に失礼だということで、講堂の周りに、竹刀持った先生が(笑)生徒がちょっと騒ぐと走っていく。先生は刑務所みたいな感じで後ろに立っているんです。とうとうそれでは飽きたらない先生が出現するわけです。鑑賞会の担当が美術の先生や、体育の先生になる時があるんです。その先生たちは受験科目とは関係ないから、学校でも日の目を見ない人たちなんですね。だから、この際、チンドン屋でも呼んだらいいじゃないか、と企画する。それで採用されるんです。校長先生も校長先生で中身を知らない。呼ぶ方も見たことがない、プロフィールも知らないのに、チンドン屋でも呼ぼうと。それでも校長先生、判子押すんだから。(笑)それくらい、ええかげんなんです。それでやってみると、案外好評なもんですから学校に行くようになった。結構生徒は見てくれる。
 枚方高校の方でね、枚方の市民会館の大ホールで音楽鑑賞会を開くのです。あらかじめ、ひどい生徒は来ないように、学校で出欠をとるんです。学校で出欠をとって、後は公会堂で集合にして、途中で抜け出しても出席したことにする。それでも、毎年、そんなことやっててもね、枚方市民会館は大騒ぎになるんです。ところが、チンドン屋がやった時は、結構シーンとなりまして、あんな大人もいるんだなあ、ということで、生徒さん、安心したのかも知れませんけど。(笑い)
z0045_01.jpg
z0045_02.jpg
◎大阪の凄さ[商いの好きな人々]◎
 大阪の人はですね、商売や金儲けっていう商いが好き。商いとは何か、人が集まって賑やかなのが好きっていう風な性分があるんじゃないかと思うわけですね。阪神百貨店の地下にイカ焼き屋さんがあるんですが(笑い)、あのイカ焼き屋さん、もの凄く売れてるんです。その人の息子が大学出で、高槻の方で開店したんです。親父さんは、おしゃれで、どこぞのステーキハウスみたいなのを建てたって嘆いていました。何でこんなレストランみたいなの作りやがって、イカ焼きの単価が百七十円でコーラが百円です。実はね、その親父あの辺で大金融会社やってて、凄いお金持ちの資本家なんです。今日は息子の開店記念をやってくれると言うことで、凄い社長室に呼ばれました。こんなソファーがあって、なぜか隅の方にエロビデオが並べてあった(笑)それも自分ところで作っているらしいです。(笑)そのパリッとしたキンキラキンの社長がですね、「チンドン屋です、息子さんの店を宣伝します」といいまして、しばらくして、奥見たらこのさっきまでネクタイでパリッとしてた社長が、長靴はいて腹巻き一丁で一生懸命バケツの中のメリケン粉を溶いてるんです。あの人は成り上がった人だから、仕事をするのが好きなんですね。またイカ焼きの機械に二百万円もかけた。鉄板でいいじゃないかぐらいに思うのですが、結局ね、珍しさで人が集まるのが好きなんですね。
 私が仕事をやっててびっくりしたのはですね、つかしんっていうところでした。もう十年以上やってる。堤清二さんが、チンドン屋が好きで、毎週日曜日使ってくれる。私ら独立してチンドン屋始めた頃ですからと堤清二さんには助けてもらった。今考えたら一番バブルの時ですね。その当時はチンドン屋はお客さんとコミュニケーションをとる、いわゆるホスト役ですね。そのつかしんで、明治時代の日本のいろんな風俗を撮っていた写真家だったり、学者だったりしたモースという人がいたんですが、そのモース展という写真展をやったんですよ。写真の中に出てくる恰好をして、館内を回ってくれと頼まれたのです。天秤棒担いだ明治時代の荒物屋の物売りなんですね、でその恰好で館内を回る。塵取りとかほうきとかを天秤棒に満載する。ところが写真に出てくるような品物は今なかなか売ってないんです。近所の道具屋さん金物屋さんを同って探しました。この何十年も売れ残ったような物無いですかって聞くと、まあ出てくる出てくる、捨てるに捨てられない錆びた塵取りを集めてそれで回たんです。で、大根も、わざわざスーパーから買ってきて土を付けました。(笑)売ろうと思っているわけじゃない。お客さんを回って、えー、写真展やってますよ、百貨店の中に行って下さい、と言うのですが、それが逆に声をかけられる。兄ちゃん、この大根なんぼやって。(笑)この塵取りちょうだいとかね、品物が無くなったら私たち仕事無くなるとか、言いながらも、しゃあないな、じゃ、百円にしときますわ、(笑)で、僕らにしてみたら、タダだったんですけど。(笑)店に置いてたら売れない物が、こうやって動いたら売れた。たとえ十円でも五十円でも売れると楽しいです。なかなか勉強になりました。商いっていうのは、今だったらインターネットで、ぱっぱっと買えるわけだけど、物を売るには限度があります。物を売って色んな方とメチャメチャな人間的な直接的なコミュニケーションをすることがあります。
◎買うよりも喋りたい◎
 そうなってくると、物を買うより、その人と喋りたいから買うという心理もあるわけです。喋りたいから、姉ちゃん、歳なんぼなん、(笑)お父さんの場合はよくあります。同じ宣伝やってて、一回チンドン屋が負けたなって思うことがあった。谷町九丁目の辺りに、いわゆる英語で言うと、ソフトSMクラブいうのができました。それの宣伝にですね、ちょっとセクシーな恰好した女性が、谷九の交差点の辺りにさっさと現れて、テーブルをぱっぱっと組み立てて、肩からアイスボックスを下ろして、中からビール出して、信号待ちしてるお父さん達に紙コップにビールを注いでねえ、タダで配ってる。夏の暑い日ですから。お父さん達喜んでね、ビールを飲んだら、そのセクシーな姉ちゃんと信号渡らずに立ち話なんかしてる。その店ってなんぼくらいあったら飲みに行けるの、とかね、どんなこと中でやってんの、とかね。いや、普通の店ですから、とか。そんな話をね。また、姉ちゃん歳なんぼやとかね、何時まで働いてるのとか、そんな質問ばっかしてしてどうすんのやと思いたくもなります。(笑)そういうことをやって、ほんの三分か五分経ったら、また、パタパタパタってたたんで去っていく。そんなことやったらね、ビール飲んだお父さんがたがね、その店に対して親近感を持ってね、あのお姉ちゃんにもう一回会いたいなってことになる。いろんなキャンペーンガールはいるけど、雑談するキャンペーンガールっていないんです。で、これ、雑談するキャンペーンガールっていうのをやったら、儲かるのじゃないかって。(笑)でも、思っているだけでまだ実行していません。
 飛田の遊郭の近くにある青空宣伝社に入った時ですね、私がある日歩いていると、ちょっと柿の木みたいな枝があって、そこに段ボールの切り裂かれたその紙切れがぶら下がっていました。それにマジックで、えー「貴方は世界でボールペンで何が一番優秀か、知っていますか」と書いて矢印がしてあるんです。矢印の方へ行く今度は、電信柱にまた段ボールに殴り書きで、「つい数年前まではドイツの○○社、優秀であるとされていたが、それが誤りであることが、東京工業大学の○○教授によって実証されました」(笑)と、こんなことが書いてある。こんなわけないだろうな、と思いながら、また行くとですね、ボールペンの歴史について何か書いてあるんですね。読んでいると、後ろからぽんぽんと肩を叩くのです。で兄ちゃん、まあお座り、とか言ってね、と、丁度頃合いの石があって、そこに座って(笑)年輩の爺ちゃんが、兄ちゃん、ボールペンというのはそもそも……ね、いつ発明されたものでなんて聞かされて。(笑)ひょっとしたら、ボールペン売りつける人なのかなあと思いました。結局は売りつける人だったんですが(笑)、結局ね、出されたボールペン二本を目に前に出されました、そしてこれは何千円、五千円、一万円とか、言われるんちゃうかな、と思ってたら、それが何と二百円だったんです。(笑)そんな手間暇をかけてボールペン売らなあかん、(笑)これがいわゆるテキ屋さんかなと思ったけど、そうじゃない。筋向かいにちゃんと文房具屋さんがあってそこの大将なんですね。(笑)シャッターが半分下ろしてあるような、開店休業みたいな店でした。これが、大阪の凄いところや(笑)、こんなことがあるんか、と思いましたね。もうこんなところほとんどなくなってきたんですけどね。
◎喜ばせるため、楽しませるため◎
 こないだニュージーランド行ってきました。中国の京劇とかインドネシアのガムランとかですね、インドの音楽とか、大体その国立音楽院とか国立芸術学院とか、アジア芸能の先生方がみんな集まってくるわけです。そこにチンドン屋さんが入るのです。学校の運動会みたいな丸いトラックがあって真ん中に半径二、三百メートルぐらいの空き地があってですね、そこでね、チンドン屋も何かやって下さい、と言われました。同じように呼ばれていた中に、まあ、いろいろ芸術的な、それから凄い高度な技を持っている人も呼ばれてましたが、大体、大人数なんですね。その中に上海だったか、香港だったか、路地裏で竹で風車を作って売っているお爺ちゃんがいて、それね、物干し竿を組み合わせたみた台に風車をいっぱいくっつけてるんです。風が吹くとカタカタカタ言うんです。あのお爺ちゃんは何をするのかな、と思ってたら、開催者に紹介されると、にこにこ笑ってすっと立ち上がって、それまで露天でやってたんですが、そういう会場の真ん中に出てきてかけ声をかけて竹竿、物干し竿を振り回して振り回した、そういう踊りのパフォーマンスを演じたのです。それを見て、何千人という大観衆が大拍手をした。それまではですね二、三人の前で物を売っていた老人が、たった一人で二、三千人の観衆の前で、あれだけの芸当ができる。そのダイナミズムちゅうか、フレクシビリティというようなものに非常に感動いたしました。みるからに身なりもみすばらしくて、髭も剃ってない鼻毛も切ってない爺さんです。ところが、出演しているアジアの芸人の綺麗な女性みんな、お爺ちゃんを抱きしめてキスしたりしていました。うらやましいなあ、と思いました。(笑)そうか、チンドン屋もこういうことで呼ばれているんだなぁ、と、来ている人を喜ばせるため楽しませるために来てるんだなあ、と。そこで、非常に気を楽にしてその後、十日間を過ごしたわけです。
・・・〈チンドン通信社主宰〉








日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION