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[連載]仮設の間道[4]断末魔
 坂入 尚文
 
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東京のお酉様は、十一月の酉の日に、
大森、目黒、新宿、浅草などと、かつての
江戸の周辺で同時に行われるのに対して、
埼玉では十二月に熊手市として順次行われる。
大宮、浦和、川口、西川口、蕨、鳩ケ谷
などの熊手市は、ほぼ中山道沿にあって、
江戸の酉の市が終わるのを待って、
年内一杯連続して行われる。
大宮が十日市、浦和が十二日市というように、
東京に比べ、
酉の日とは全く関係のないところを見ると、
行商人の移動に都合良く組まれた
日程のようで、いつの頃からか、
飾り熊手中心の高市に発展したので、
テキヤが高市を造り上げたと言って良く、
たとえば大宮では千軒を超える三寸が並んで、
賑わいを見せている。
東京と埼玉の違いはそれだけではない。
そのひとつに、お宝という縁起物がある。
小さな物は三〇センチ、長い物になると
二メートル程の竿に、原色の、赤、青、黄、緑、紫
などのリリアンを切りそろえ、
びっしりと下げてある。
飾り熊手とは全く違う文化圏を感じさせて、
要所には、セルロイドや紙製の
鯛、サイコロ、小判などが、風になびいて光っている。
その上、飾り熊手やお宝は、年が明けると、すぐにだるま市に紛れ込んで、
熊谷、宇都宮、鹿沼、黒磯、白川と北上して行くのを、文化の伝播として考えると
テキヤも捨てたものではないが、私などはすぐに、残ったネタをなんとか叩き売りたい、
休みなく走り続ける疲れ果てた、寒風に雪混じりの中のあがくような様態に目が行ってしまう。
そういった人達が、飾り熊手やお宝を造り出して来た。
そう考えると、大方の客にとって、神社のお札を買うのとは又違う、
一種、異質のダイナミズムに対する畏敬が感じられて、お客さんも御一緒にという、テキヤとのシャンシャンの手拍子に上気するのがおかしい。
お宝は、現在ではあまり売れていない。独立して飾られる熊手に対して、
神棚などに飾られるという理由があって、神棚の無い家が増えたのだから当然の事だ。
じきにすたれてしまうだろう。
私がお宝に興味を持つのは、そのような事とは別に、それが海から来た物だという事だ。
飾り熊手は、元は熊手という、日用品だった。
お宝はといえば、これはもう釣り竿以外の何物でもない。
それも、あきらかに鯛という魚を釣る海の象徴としてのものだ。
いずれにしても飾り熊手やお宝は、最初はちょっとした飾り、稲穂や赤い紙切れ程度の物をくっ付けて売られたと思われる。
それからどんどん、おかめに座布団、松竹梅に秘伝の巻物、カブ、小判、鯛、鶴、リリアン、サイコロにと、過剰に過密に手当り次第、
まるで寒風、隙風を防ぎたいテキヤの気分そのままに、ついには極楽浄土の金色まで取り込んでいった。
お宝を海からのものとすれば、同じようにこれらの市では煮烏賊というものが売られる。
するめを醤油や砂糖で煮込み、毒々しいまでに赤く染めたものだが、
私が最初にこれを見かけたのは浅草の縁日での事だ。
佐野から来たという男が、赤く泡立つ鍋の中に手を染めて売っているのを見かけた時、
それが東京で売れるとはとても思えなかった。
ところが江戸には酔狂がいて、その上、東武線で上京する人達もいる。
荒川から北上したのか、上越国境を越えて来たのか、するめを究極に赤く染め、
変質させたこの食べ物は、思いをかけぬ柔かさで、人々の胃の腑に入ってしまった。
本来なら、武蔵は川魚の食文化だ。そこへ海からのするめが、
全く異質な食文化として、ふにゃりという食感さながら、もぐり込んだのだ。
まるでインベーダと思うと、その形状からして愉快だ。
お宝から出発したこの複雑な関係の食文化の中に、さらに独特の発展を見たものがある。
いよいよ断末魔になる。
 
十二月十五日、川口の熊手市で、年に一度だけ会う御夫婦の、御主人の方を仮にK氏としておこう。あまり詳しい事は知らない。
せわしなく一日で終るこの市で、お互いライバルでもある。
飴細工が江戸とすれば、K氏は武蔵なのだ。私の所場が、神社境内から駅へ向う、
長い本土場(一番良い本通り)の、しかもK氏の隣に決まってから、すでに十数年が過ぎた。
K氏の父親は、川越市周辺の川で魚を漁って売り、兄弟五人を育てた。
親の仕事をいやいや継いだK氏の口ぐせは、乗った船からは降りられないというものだ。
炎天下、遠くは田無にまで、自転車で商売に行った。
そのうち川で魚が漁れなくなり、親子二代いろいろあった。現在七十才に近い。
四年前までは、境内に見世物小屋があったが、K氏の商売にしても、二代限り、
数年のうちには見られなくなると思うと、我が身が切られる思いになる。
永年高市を巡って来たK氏の風貌は、鍛え込んだ肩幅に太い頸、分厚い皺の奥まで日に焼けていて、小さな目が時折鋭く光る。
その出で立ちは、円筒形に小さなひさしの毛糸の帽子、ネルのシャツの、酒に焼けた首元からは下着が見えた。
防寒チョッキにオーバーズボン、防寒靴のことごとく、埃と魚のぬめりで汚れていた。
これが演出である事は、乗用車で高市を巡る偽坊主が居る事を知る、業界の者には
常識なのだが、では舞台となる店の方はどうかと見ると、
間口は二間、奥一間半の、前には鯉を入れる生簀を置き、まな板と出刃包丁を置く。
そこへ木枠を組み、古びた綿の大パラソルを取り付け、
たなごを入れたビニール袋をいくつも吊し、テッカリ(裸電球)でキラキラ光らせる。
さらにキス箱を並べ、雑魚を入れたざるを置き、ぐるりをビニールシートで囲う。
囲いの中は乱雑を極めていて、石油ストーブ、満タンの水の容器十数個、酸素ボンベ、
道具箱、板切れ木端、ひときわ目を引くのが、ひとかかえ程の
酸素入りの鯉のビニール袋で、七〜八個、足の踏み場もなく転がしてある。
さながらスラムと言う感のあるこの店は、のれんだけを換えた、同じような三寸が延々と並ぶ土場では異様なものだ。
その中で、片付けをしているのか散らかしているのか、あれやこれや、
がっしりしたKさんと、ひ弱な奥さんが、ひっくり返し、ごそごそ探し物をしていれば、何事かと、いつの間にか人が集る。
余談だが、仔犬を並べた事もあった。これらがすべてが計算ずくである事に気付く人は少ない。
鯉一匹二千円から三千円。最初の客が付くと、生簀の鯉は型どうり暴れさせる。
生簀に、鯉の背までの水しか張っていないのも決っていて、重く鋭く水を叩く鯉は横になり、激しい水しぶきを上げる。
体をそらしどよめく客を尻目に、K氏の図太い指は、えらのあたりを鷲掴みにすると、
まな板に押しあて、いきなり、鯉の後頭部を出刃の背で殴ると
あわれ、ぐぐうっと硬直するところを、すかさず尾の方から叩き切って行く。
二、三の輪切りをたたき出すと出刃を放り投げ、残り腹へ、五本の指を深くさし入れ、
まさぐりながら、ねじるように内臓を引きちぎる。
ここまで、ほんの数秒の間、客は身を乗り出し、鮮血に目を奪われ、あろうことか恍惚とさえする、と思うのは身びいきだろうか。
K氏はおかまい無し、引きちぎった、ずるりと連なったのを高く掲げ、
「体にいいよう、肝飲んできます?」
と客に聞いた。
すでに私はK氏である。
その小さな目は、客がどうやら訳有りの女性を連れている事を見抜いていた。
内臓の何やら複雑な、血のしたたる中から、これもちぎり抜いた肝を、ガラスのぐい飲みに入れてかざして見せる。
全神経をぐっと掴まれた客は、従えた女性の手前、尻込みなど出来ない事を知っている。
そして、このように言う。
「奥さん、見てやってよ、旦那さん飲んでくれたよ。愛してるんだよ。
ね、皆さんも見てやって、奥さんきれいだ、愛されてるってわかるよオ」
女性が身をよじったかどうか、川魚の肝なぞ飲んで良いものかどうか、考える隙を与えてはいけない。
すかさず、口直しの冷酒を勧め、客をどっと沸かせる。
いよいよ最後の幕を開けるのだが、その前にちょっとした苦労話しなぞをしておく事が、効果的な演出となる。
ひとしきりして、内臓を抜いた胴をたたき切ると、すでに目の覚めた、顔だけの鯉は、びちゃとまな板に据える。
そしてついに、片目と口の間、ちょうど鼻のあたりに刃を立て、ぎりと一気に後頭部へ押し切る。
てろりと光る半面の顔の、薄紅を差した白い口が虚しくのびて、宙を飲もうとする。
客達は、複雑な頭骨の見える赤い断面から、血溜りに、内臓、鱗、断末魔が冷たく光るのを見せつけられる。
ここは、けれども、厳粛な顔を見せて、切り身を手荒く新聞紙で包み、ビニール袋にほうり込み、客にはせい一杯のおあいそを言う。
ところが、商売の終った、疲れ切ったK氏は、やはり疲れ切った私にこう言った。
「切ってね、昔はもっと切った。結局あたしは生き物が好きってことですかね」
すでに深夜になっている。氷のような水で、奥さんが血糊をこすり流していた。
武蔵野の地下には、江戸へ南下する大伏流水が有ると言う。すると、まさかこの血は。
寒風の中の疲労困憊が私を狂わしたようだ。原野に発達した高市は、多くを生み出し、多くを狂わせ、断末魔をも見世物にして来た。
〈飴細工師〉








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