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遠野の養蜂
宇野理恵子
 
 岩手県遠野市は県の東南部にある、森林面積が八割をしめる緑豊かな盆地です。柳田國男の「遠野物語」に代表されるように、民俗学発祥の地として知られ、また近年では民話の里として多くの観光客をあつめています。一九九六年から九七年にかけて、わたしは東北地方のニホンミツバチ養蜂の実態を調べるためにこの地を訪れ、十名の方からお話を伺うことができました。ここでは、遠野のニホンミツバチ養蜂について紹介しながら、自然を楽しむことを目的とした生業の一つのかたちを知っていただこうとおもいます。
◎ミツバチを飼う人々◎
 遠野で「ヤマバチ」と呼ばれるニホンミツバチを飼っている人々は五十代から六十代の男性で、その多くが林業と農業にかかわりをもっています。養蜂の経験年数は一年から二十年とさまざまです。多くは友人、知人や肉親(父、祖父)から教わって養蜂をはじめていますが、なかには自然営巣を見てまねをして巣箱を作りはじめた人や、たまたま家に飛んできた分蜂のハチを捕らえるところから養蜂をスタートした人もあります。この人々から共通して感じられることは生き物全般や植物に対する愛情です。かれらはミツバチを「飼う」ことに非常な魅力を感じていて、ハチミツを得ることなどは二の次なのです。それはしばしばかれらが口にする「養蜂は趣味」という言葉でいい表わせます。
自然木の巣箱
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中が腐って空洞になった巣箱用木材
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巣箱入口から出入りするニホンミツバチ
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◎ニホンミツバチの飼い方◎
 遠野の養蜂の形態は放任的で、あまり手をかけません。一年のサイクルを簡単に見てみると、春に分蜂したミツバチをつかまえるか自然に巣箱に入るのを待ち、秋に二〜三年おいた巣からハチミツを採る、というものです。養蜂に使う道具も巣箱のみで、それもいったん置いた場所へずっと設置されます。
 遠野は本州でも有数の厳寒地で、冬期の最低気温はマイナス二○度にもなります。一年の半分を冬が占めるこの地でミツバチが活発に活動しはじめるのは、桜の咲くゴールデンウィーク頃からです。早いものでは五月下旬から分蜂がはじまるため、それまでに分蜂群を収容する新しい巣箱を作ることになります。巣箱には自然の木を利用した丸太状のものと、板を張り合わせて作った直方体のものの二種類があり、圧倒的に多いのが自然木の巣箱です。これは山仕事に従事している人が材料となる木を調達しやすいことと、自然の木を使ったほうがミツバチの気に入るとかれらが考えているためです。木の種類はイタヤ、カバ、ブナなどさまざまで、材質へのこだわりはありません。中が空洞になったものはそのままで、そうでないものはチェーンソーで内部をくりぬき、上下に板を打ち付けます。そしてミツバチの出入り口として、下方に二センチくらいの穴をもうけますが、このときミツバチが出入りしゃすく、しかも天敵のスズメバチが侵入しない大きさであることに注意が払われます。巣箱の大きさは木の大小にもよりますが、だいたい高さが五〇〜七〇センチ、直径が三〇〜六五センチほどです。人によってはその上にトタンやアルミ製の簡単な屋根をかけ、雨よけとします。こうして作られた巣箱は単に「巣箱」と呼ばれるほか、「ミツバチネッコ」、「キノネッコ」などと呼ばれています。
 巣箱は毎年作る人もありますが、一度ハチが営巣していたものはミツバチが定着しやすいため再利用する例が多く見られます。養蜂歴十年のK氏によると、新品の巣箱よりは何年か使用したものがよく、その証拠に向かいの家で七、八年もハチが入らない巣箱を再利用のものと替えたらすぐに分蜂のミツバチが入ったということです。
 巣箱は山中に設置されることは少なく、たいてい家の敷地内におかれます。といっても市街地ではないので、家の裏はすぐなだらかな山へとつづいています。設置場所としては、風のあたらないところ、暑すぎないところ、大木のあるところが良いとされ、ミツバチが好みかつ分蜂群が入りやすい環境に置かれます。
 さて、分蜂の季節は養蜂をするものにとって心躍る日々がつづきます。この時期、積極的な人は山へ巣箱をしかけますが、ほとんどは敷地内の空の巣箱に分蜂群が自然に入るか、または飼っているミツバチからの分蜂群をとらえることによって所有群数をふやしていきます。分蜂には前兆があるとされ、「黒いハチ(オスバチ)がでると分かれる」「分蜂前は家さがしのハチが飛ぶ」といわれています。そして分蜂は「晴れて風のない、どんよりした日の午前中から昼頃」におこり、巣箱の近くにまるく塊となった分蜂群に霧吹きやヒシャクで水をかけ、遠くに飛べないようにして空の巣箱に収容します。しかしニホンミツバチは巣箱を気に入らず逃亡することもしばしばあり、ほとんどの人がこの経験をもっています。このミツバチとの駆け引きに人々は大きな魅力を感じており、いかにして気に入られるかが巣箱の製作および設置の工夫のしどころでもあるのです。
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自然木の巣箱からハチミツを採取する
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採取したミツバチの巣
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熊に襲われた巣箱。上板が破られている
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スムシに荒され、ハチが逃亡した巣箱
 さて、秋になると二〜三年置いた巣箱からハチミツを採ります。この時、巣箱内の巣をすべて採る人と、翌年のために半分残す人があります。すべてとった場合のミツバチは死滅をよぎなくされます。二〜三年待つ理由は、一年では蜜をよくためず、数年たったものの方が量も多く味も濃厚になるからとされています。採ったハチミツは売ることはなく、もっぱら親戚や知人にくばるなどし、自給的にあつかわれています。ここで採蜜風景を再現してみましょう。
 ハチミツを採る時間帯はミツバチが動かない朝や夕方がよいとする人と、いつでもかまわないという人がいます。服装は、カッパを着た上にゴム手袋、長靴をはき、頭に防蜂ネットか代用の種籾の袋をかぶります。次に巣箱の上板をバールではがし、内側にそって包丁で切り目をいれ、巣をとりだしザルに入れます。集めた巣は、ザルのままバケツなどの容器にのせ、自然にミツがたれるのを待つか、ポリ袋にいれて太陽の熱でとかしその後ザルでこす、などの方法がとられています。一方、昭和九年生まれのO氏は、巣ごと鍋で煮て、とけた巣がミツロウとなって上部に固まり、下部がハチミツになるとミツロウを取り除く方法をとっています。O氏は、「どこでも煮て溶かしたものだ」といわれるので、以前はこの方法が広く行われていたとも考えられます。
◎自然営巣からの採蜜◎
 自宅のハチミツを採る一方で、山中の大木に営巣したミツバチからの採蜜も行われています。これは、山でニホンミツバチの巣をみつけると、チェーンソーで木を切り、巣をすべて採る、というものです。自然ゆたかな遠野では、春の山菜採り、秋のきのこ狩りは大切な楽しみとなっています。おなじように、この活動も「山の恵みをうける」という意味合いで行われていると考えることができます。
◎ニホンミツバチの外敵◎
 ミツバチを飼う上で一番問題になるのが他の生物からうける被害です。その筆頭はクマ、次いでスズメバチ、そしてハチノスツヅリガの幼虫スムシです。クマは遠野では珍しい存在ではなく、今までに四軒がクマ被害にあっています。スズメバチには大型のオオスズメバチと小型のキイロスズメバチの被害が聞かれ、遠野では前者をカメバチ、後者をアカバチと呼んでいます。スムシは巣板に糸を張る虫で、定期的に巣箱内の巣屑を取り除くことで予防できますが、当地では巣箱の上下板を打ち付けてしまうことが多いために防ぐことは困難となっています。
◎ハチミツの利用法◎
 ハチミツの利用法ではじめに挙げられるのが薬としての効用です。のどの痛みや風邪、便秘に効くとされ、ただなめたり、湯でうすめて飲用されます。食用ではパンに塗ったり餅につけたりするようです。また、農耕馬や牛に薬を与える時にハチミツを混ぜました。現在では料理には使われていませんが、明治四十三年生まれのS氏は、昔作った多彩な料理法を教えてくれました。それによると、山から採ってきたハチミツを近所で分け合い、砂糖の代わりにしたり、豆オコシを作ったり、餅や団子に混ぜたり等さまざまに使われたそうです。
◎ハチに関する俗信◎
 遠野では、ミツバチのみならず、ハチ全般について言い伝えられ、信じられてきた事柄があります。集められたのはわずかですが、人とハチの関わりをしめす一端として紹介します。[1]蜂が家の中に巣を作ると縁起がよい[2]蜂が家の中に巣を作ると火災にならない[3]ミツバチが分蜂する年は豊作だ[4]ミツバチの夢を見るとよくない。ケンカや揉め事がおこるから。
 これらはすべて、ハチの生態を人々が観察し、その結果を自分たちの営みに結び付けて考えてきたことをしめしています。
 
 遠野のニホンミツバチの養蜂は放任に近いと先に述べましたが、それはこのハチが人の手が加わることを嫌い、自然に近い状態がもっとも適した飼育法であることを人々が熟知しているためです。かれらの養蜂はだいたい似通っていますが、不断の観察から独自の工夫、流儀をもっていて、ひとりひとり微妙に異なります。また、かれらの経験年数は最高でも二十年ですが、父や祖父が飼っていたことがあるなど、この地で古くから行われてきた活動であると推測できるのです。事実、遠野の古老は戦前にはニホンミツバチの養蜂はどこでも見られた光景だ、と話してくれました。
 ニホンミツバチは青森県の下北半島まで広く生息しています。この種のハチを飼う営みは地味な生業活動だけに従来は無視され、見過ごされてきましたが、まだ知られていない事例が東北各地にあることは確実であるとわたしは推測しています。
〈東北芸術工科大学在籍〉








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