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4 時期区分
 前節で編年考察ができた。ここでは時代背景と照らし合わせ、約100年間の町家の変遷過程を追ってみる。まずはこの100年間を3つの時代に区分した。
第一期 (1848〜1873年)
 秀吉の時代にキリスト教が禁圧されてから、日本におけるキリスト教徒迫害の歴史が始まる。特に島原はキリスト教伝来以後キリシタン人口が多かったため、弾圧は激しいものであった。この禁圧から約250年後、嘉永6年(1853)日本は開国する。長崎でも外国人の居留が許され、外国人のためのキリスト教会が盛んに建築される。国宝に指定されている大浦天主堂もこの時代の建物である。このときもまだ、日本人キリシタンに対する弾圧はおこなわれていたが、諸外国の圧力がついに禁制の高札を下ろされる。明治6年(1873)のキリスト教解禁である。
 キリスト教の禁制と激しい弾圧、そして解禁。これらの歴史は町家の変遷にも大きく関係してくるだろう。
 ここでいう第一期は、年代が明らかな調査町家で最も古い[2]小松屋が建てられた弘化5年(1848)から、キリスト教が解禁になる明治6(1873)年までとする。
 
<第一期の町家>
[2]小松屋  弘化5年(1848)上棟
[1]宮崎康久家 上手半部  
[8]中山公家 下手半部  
[6]樋口正郎家  
[5]本田智家  
[14]保里川茂治家  
第二期(前半・後半) (1874〜1911年)
 江戸幕府が崩壊し、新政府が誕生する。この時代は、封建的社会の名残と近代化へ向けた新しい要素が両者同時に存在する。新時代への過渡期ともいえる。
 キリスト教が解禁した明治6年から、明治時代末までを第二期とする。
 この時代、開国による貿易の発展が建築材料の変化をもたらした。明治14年建築の[4]本田亘家は和釘を使用し、明治18年建築の[8]中山公家の上手半部は和釘は用いず洋釘を使用していた。つまり明治14年から明治18年の間に、島原に洋釘が普及したといえる。和釘を使用する時期を「第二期前半」、洋釘を使用する時期を「第二期後半」とした。
 
<第二期 前半の町家>
[4]本田亘家  明治14年(1881)上棟
 
<第二期 後半の町家>
[8]中山公家 上手半部  明治18年(1885)上棟
[13]宮崎商店 下手半部  明治39年(1906)上棟
[3]西川俊治家  明治42年(1909)
[7]星野國盛家  
[11]清水強家  
 
第三期 (1912年〜)
 さらに開国から50年を経て大正時代になると、第一次世界大戦の好況も後押しし、日本の近代化が大衆に定着していった時代である。伝統的な形式を打ち破った新しい文化の誕生である。島原の町家の形式にも、新しい要素の誕生や、建築的にみても大きな変化があらわれる時代である。
 大正時代から昭和初期までを第三期とする。
 
<第三期の町家>
[12]中野金物店  
[1]宮崎康久家 下手半部  大正6年(1917)上棟
[10]ギャラリー絃燈舎  大正8年(1919)
[13]宮崎商店 上手半部  昭和6年(1931)








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