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5 調査日誌
 今回の調査は、2000年9月に現地を訪れて現地の感触をつかみ、どのような調査方法がよいか検討する準備を始めた。調査陣の都合や現地での行事、気候条件等を考慮して、第一回の調査を2000年10月11月、第二回の現地調査も2001年1月におこない、さらに第三回の調査を2001年3月に開始し、その後、同年8月に第四回の現地調査を実施した。これら4回の調査の日程、調査物件、その内容に関しては次項でのべる。
 これらの現地調査と前後するが、2001年5月7日に第一回の調査委員会が霊丘公民館で開かれ、3月までに実施した三回の調査概要を報告するとともに、今後の調査研究について、各委員からご意見をたまわった。第2回調査委員会は10月26日に森岳公民館で開かれた。この委員会では、これまでの調査研究の内容、特に民家の編年に関して詳しく報告をした。また、この日に地元の方々に調査結果を報告する報告会をもった。森岳まちづくり会の主催、会場は上の町の宮崎酒店焼酎蔵(明治39年建築)二階、参加は約70名であった。
 調査、報告会にあたって市民の方々の絶大なご協力があった。ここに記して感謝の意を表したい。
 
 現地調査日誌
第1回 島原街道町なみ・町家調査
日 程 平成12年10月27日〜11月1日
(長岡出発10月26日〜到着11月2日)
調査員 元井文 長谷部圭紅 望月美里 江島祐輔
調 査 調査地区の全建物の外観概要調査
(調査台帳記録、写真撮影)
 
まとめ 調査員が島原を訪れるのはこれが始めてであった。まずは土地勘を身に付けるため島原街道を中心に歩いてまわり、同時に調査地区を決定した。伝統的建物が集中する島原街道の約1.5kmを本調査の対象地区とする。
 次に調査地区の町なみ構成要素を把握するために、街道に面する全建物の外観概要調査をおこなう。調査は、建物全件に調査番号を付けながら(以下、住宅名前に付く数字は調査台帳番号とする)、伝統的であるか、そうでないかの分類をし、伝統的なものにおいては建物概要を記録する。全件の写真記録をとる。
 今回は外観観察のみの調査であったため建物内部の間取りを考慮できなかった。既往調査により年代のわかっている建物は93小松屋(弘化3)、91宮崎康久家住宅(築80年)、17西川俊治家住宅(明治40年)、155保里川家住宅(築150年)があるが、どれも年代判定根拠が十分ではない。しかし現段階での明確な情報がないためこれらを一応参考にした。
 比較検討した結果、年代を示す11の指標候補を導きだすことができた。また、主屋正面の形式によって町家を3つのタイプに分類することができ、これも指標になる可能性が高いと考える。(指標、タイプ分けについては第3章で詳しく述べる。)
 今後は、内部実測調査をおこない平面・断面図等を作成し、間取りや構造による考察を加え、編年研究を深める必要がある。
 
第2回 島原街道町なみ・町家調査
日 程  平成13年1月28日〜1月30日
(長岡出発1月28日〜到着1月30日)
調査員  宮澤智士 元井文
調 査  町家内部調査3軒
(155保里川家、91宮崎康久家、17西川家)
 
まとめ 3軒の町家の内部調査をおこない、このうち2件の町家が棟札を所有しており建築年代が判明した。(建築年代については第3章で詳しく述べる。)また、1棟の主屋建物で、後の改造により上手半部と下手半部で建築年代の異なる事例があった。この建物では小屋組が上手と下手で形式が異なり、同一建物上で年代の指標を検討することができた。半部それぞれが年代による特徴を表しているため、場合によっては半部を1棟として考察することが必要になる。なお、3軒の町家において共通する要素がいくつかあったが、島原の特徴として考えるには、さらに調査物件を増やす必要がある。
 また今回の調査では、一般的な主屋の規模と様子をうかがうことができ、今後の調査計画を具体的にした。
 
第3回 島原街道町なみ・町家調査
日 程  平成13年3月15日〜3月26日
(長岡出発3月13日〜到着3月29日)
調査員  宮澤智士 元井文 長谷部圭紅 望月美里 江島祐輔
調 査  町家実測調査12軒(91宮崎康久家、17西川俊治家、78宮崎酒店、140絃燈舎、20本田亘家、51中山公家、99本田智家、155保里川家、72中野金物店、141清水強家、118樋口正郎家、93小松屋)
 
まとめ 調査地区内で比較的大きな町家を選びだし、この中で12軒の町家を実測することができた。町家1軒につき、一階平面図、二階平面図、梁間断面図、配置図、必要であれば痕跡図や復原図なども作成した。調査した12軒のうち7軒の町家が棟札や古文書を残しており建築年代を明らかにすることができた。記された建築年代と現状建物を比較し、特に年代が誤っているといえる根拠がなかったため、記録は一応正しいものとした。建築年代の明らかな町家は、建築史の基礎的研究である編年考察を進めるうえで重要な手がかりとなる。また、1棟の主屋の上手半部と下手半部で年代の異なる事例が3軒あった。
 内部調査の結果、島原における町家の特徴が幾つかみえてきた。以下に述べる。
 ・上手を北方向に向ける。本田智家以外全ての家が北を上手にしている。
 ・床の間と床脇の割合が等分ではなく、床の間がやや広くなっている。
 ・仏間は表側に配置する。年代が下ると裏側や二階へ移行する。
 ・寸法は内法制、畳は京間畳で大きい。
 ・大黒柱は土間と床上の境に2本あり、他の柱よりやや太い。家によっては2本以上の例もある。
 ・二階への階段が主屋のほぼ中央に配置される。
 ・土間境裏側の部屋が土間方向へ半間から1間張り出す。したがって表の土間間口がここで狭くなる。階段の位置が影響しているのか。
 ・二階は一室の物置とし、天井は張らず背が低い。新しい町家は二階に座敷を設ける。
 ・小屋組の梁の架け方には、水平梁と登梁、頂部が交差する登梁がある。
 ・二階の窓枠に古い形式のものがあった。窓の大きさで編年は可能なのか。
 ・本田亘家(明治14年)は和釘(角釘)、中山公家上手半部(明治18年)は洋釘(丸釘)の使用が確認できた。島原における洋釘の普及がこの時期であるといえる。
 ・前回の町なみ調査でタイプ分けした形式は、AからB、BからCへ変遷することがわかった。Aタイプの、主屋正面下手に深い下屋をつけ上手に突出部(ない場合もある)、前庭、門、塀などを構える形式が古く、島原の町家の特徴でもある。
 ・しめなわが一年中飾られている。
 
第4回 島原街道町なみ・町家調査
日 程  平成13年7月30日〜8月15日
  (長岡出発7月28日〜到着8月19日)
調査員  元井文 長谷部圭紅 望月美里 江島祐輔
調 査  町家実測調査5軒(140絃燈舎、120星野國盛家、67猪原金物店、番外小鉢貴信家、93小松屋)と市内全域歴史的建物調査
 
まとめ 今回の調査は島原市内全体を把握するために、市内全域歴史的建物調査に重点をおいた。調査地区以外を見て回るのは今回が初めてである。主屋の前面上手に部屋を突出させる町家に注目していたが、突出部のある建物は多いわけではなく、島原街道特有の要素、もしくは年代が遡る要素として考えられるのか。なお、突出させた部屋が仏間であるかどうかは外観観察調査のみであったため確認はできなかった。この調査で取り上げた建物は(登録文化財を目的に)築50年以上経過したものに限定したが、数が莫大であったため、この中でもさらに特徴的なものに絞り込んだ。リストアップした100件の中、住宅が半分以上を占めており、そのほか公共建築、土木構造物、寺社などがある。洋風あるいは一部洋風の建物は全体の1割強、茅葺屋根の建物は1割弱であった。今回の調査は、島原全域を悉皆調査する十分な時間が取れなかったため、今回取り上げた物件が全てではない。多くの財産を持つ島原において、さらに調査を重ねることで、登録文化財候補物件の数を増やすことは容易であろう。








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