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宿泊センター
SHOXTA (宿泊センター)
「大切なものを手に入れた夏」
 私は語学ボランティアとして宿泊センターでの活動をしたのですが、人生の中で最も多くの言語を話した10日間でした。
 やはり英語を話す選手が多く、学生時代の経験がとても役立ち、対応はスムーズに行えました。競技や宿泊についてのトラブルもあったのですが、他のスタッフ・役員と協力して無事クリアできました。
 大男達に囲まれてスペイン語でクレームを受けた時は、とても青くなってパニック直前だったけど、偶然スペイン語の通訳の方が立ち寄ってくれて事無きを得ました。なにしろ、日程の関係上、朝5時から作業開始で、秋田にいながら、1日の最初に話したことばが英語だったという…。また、他の国の選手達とも仲良くなり、たくさんのことばを教えてもらいました。
 一番なれなれしくしていた方が、実はスーパースター&世界記録保持者だと試合の時にわかって、ビックリしました。
 宿泊センターという事で、最も選手と親しくなれる場所での夏は、涼しいけれど、とてもアツかったです。
 打ち上げパーティーに招待してくれたドイツの柔術の選手達、どうもありがとう。
 ダンゲシェ!!チャンスがあれば、また参加してみたいな。
 大切なものを手に入れた夏にスパシーバ!!
チカチカ (宿泊センター)
「ロマンスグレーのMr.きよしはステキ」
 ボランティアの講習を受ける中で、知り合いができたことです。次の会場で、顔を合わせればもう、お友だち。
 なんといってもロマンスグレーのMr.きよしは素敵だったね。英語をこなして魁新聞にものってましたね。ハロー「きよし、お元気ですか?」
布田 日斗美 (宿泊センター)
「私達がボランティアであることに驚き感心」
 7日間ホテルでボランティアをしました。
 この体験は私の人生において、素晴らしく貴重な体験のひとつになりました。
 たくさんの素晴らしい選手たちと知り合いになり、共に過ごした時間のことは生涯忘れることがないと思います。お礼のメールや写真をいただいたことや、折り紙をプレゼントしたところ、お返しにお土産をいただいたことなどが嬉しかったです。
 ビリヤードのパエス選手が病に倒れ手術しましたが、お見舞いに行ったところ、とても喜んでくれました。日本のビリヤード選手は私達がボランティアであることに驚き感心してくれました。
 ネイティブスピーカーとの会話はスピードが早くて大変でした。相手の顔が見えないうえ、身振り手振りが使えないので、電話の対応が難しく思いました。同じ事を繰り返し聞いた時、電話を切られてしまいとてもショックでした。
 要望としては、プログラムに掲載してある地図の範囲が狭すぎたので、秋田市全体の英語併記の地図が必要でした。宿泊している選手の種目の情報や担当するホテルの情報が必要でした。国際電話について、各国へのかけ方や料金表があれば便利でした。インターネット利用の要望も多かったので、各ホテルに1台、せめてメールの送れるPCがあればよかったと思いました。
 リストに名前のない役員が、その種目の責任者をさがすために他のホテルに電話する時に公衆電話を使い、その電話代はボランティアが負担しました。選手の要望で地図や試合の組み合わせ表、会場までのバスの時刻表などのコピーをホテルに依頼したところ、その料金は誰に請求するのか問題になりました。
 空港行きのバスが30分以上遅れ、日本の選手から「日本の恥だ。」と怒鳴られ、タクシーを呼べと言われたのですが、誰が立て替えて払うのか、どのようにしてその協会に請求するのかも判らず困りました。
藤原 真弓 (宿泊センター)
「ピンバッチは心と心が通じた証し」
 開会式前日の8月15日夜、通訳ボランティアとして所属していたホテルは、まさに、てんやわんやの真っ最中でした。宿泊予定は次々に変更になり、フロントの方でも次々に送られてくるファックスを見ながら対応策をとるといった具合でした。そういう状況の時に、まさに地球の裏側からはるばる若い選手を含む3人のチームがかなり遅い時間になって到着したのです。
 少年は着くなり、フロント前の長椅子に横たわり、ぐったりしていました。しかしあいにく部屋の準備ができておらず、ロビーは大勢の人でごった返しの為落ち着くこともできません。部屋の準備ができるまでの20分間、レストルームを希望されたのですが、提供できる部屋がなかったので、ロビーの椅子5個をつなげて即席のベッドをつくり、冷たい水を差し上げたのが精一杯でした。
 その後、忙しさにとりまぎれ、すっかり忘れていた翌日、彼らのうちの1人が私の所へやってきて真剣な目をして話しかけてきました。1回目はよくわからず、もう1度聞き直すと「昨日はとても疲れていて非礼な態度をとってごめんなさい。」という内容でした。
 思いがけない言葉で嬉しさのあまり舞い上がってしまい、また、語学力の不足もあって、ただ「心配しないで。」としか言えず、折り鶴を差し上げることで精一杯でした。
 なぜもっとあの方の心が安らぐように話を続けられなかったかと反省もしましたが、次の日その方がピンバッチをあげる、と笑顔で差し出されたのです。そのピンバッチは心と心が通じた証し、大事な思い出の品になりました。
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トクメイキボウ (宿泊センター)
「英語を活かしてたくさんのふれあい」
 5日間ホテルでボランティアをしました。
 2交替のローテーションでしたが早番4回だったので選手とのふれあいも多く楽しかったです。
 ホテル内だけでなく、ノルウェーの人を駅のみどりの窓口に案内したり、のどを痛めたロシア人を薬局に連れて行ったり、バスでの見送り等片言ながらも話す機会が多くすばらしい体験でした。
 オーストラリアの人の話す英語がわからなかったり、台湾から来た方は食事付の契約に食事がついてないと苦情を言ってくるし、さまざまなトラブルもありましたが、スタッフ皆で対処致しました。帰る時、秋田の印象を尋ねると、秋田がとても好きになったし、又、来てみたいと言ってくれ嬉しかったです。
後藤 美菜子 (宿泊センター)
「もっともっと英語を学んでいきたい」
 大会をふり返って改めて、ボランティアをやってよかったと強く感じました。大会期間中は不安と緊張でいっぱいでしたが、自分の英語が通じた時、選手の方々に“Thank you”と言われた時のうれしさは今でも心に残っています。
 私は選手の方々を少しでも元気づけようと思って、笑顔を絶やさないようにしようと心がけました。でも選手や役員の方々はみな明るくて、かえって私の方が元気をもらった気がします。
 私のつたない英語であまり役に立てなかったかもしれませんが、他のボランティアの方々、職員の方々と協力し合い、楽しくできたことをうれしく思います。
 今後は国際社会に貢献できるように、もっともっと英語を学んでいきたいと思います。
 ありがとうございました。
泉谷 有美 (宿泊センター)
「4年後は選手として!?」
 これだけいろんな国の人々と一度に接する機会は、一生に一度しかないと思った。
 ホテルのロビーでくつろぐ各国の選手や役員、そして同じ場所に自分もいるあの光景が不思議だった。聞いたこともないような国や地域にも、大会をとおして興味を持った。
 ワールドゲームズ開催をきっかけに英語を学んできたが、大会に参加して英語の必要性を痛感した。とにかく全員が英語を話す。「何の経験もない自分には無理かな」と勉強をやめようかまよっていたが、この大会がまた英語を学ぶ決心をさせた。
 実際のホテルでの活動では、私は楽しい思い出はなく、つらい思い出が残っている。
 大会にむけ私は、道案内やショッピングなどの質問を想定し、多く学んできた。ところが聞かれることの多くが、インターネットなどの通信に関すること、帰国の変更といったことだった。
 インターネットに無知で、海外旅行の経験もない私には、つらい経験となった。ホンコン出身の女性選手にインターネットについてたずねられた。ところが、それの知識のない私は、彼女が何を求めているのかが分からなかった。そのうえ英語の発音も違い聞きとるのに苦労した。ようやく図を使っての説明が終わったころには彼女はほとんど怒っていた。
 この日から、私は英語で話す勇気がなくなってしまった。
 期間中、以前から興味を持っていたコーフボールの決勝を見に六郷町に出かけた。横手市のボウリングとは違い、チームプレーだけに非常にもりあがっていた。
 中学生がそれぞれ自分の担当チームを応援する、六郷町の6チームヘの歓迎ぶりに驚いた。台湾、イギリス、ポルトガル、3チームのプレーに感動した。観客の目をひく選手がいた。
 “4年後は選手として”なんて気持ちを抱いた。夢を見つけた夏だった。
藤井 道子 (宿泊センター)
「横手セントラルホテルにて」
 選手のチェックインの日は、ことばのお手伝いがけっこうありました。チェックインがおくれたり、人数がちがっていたりと、けっこうトラブルはありましたが、2日目、3日目とホテルパーソンも我々も又、選手の方々もその状況になれてきたせいか、あまり問題なく終れたと思います。
 横手市役所職員の方々も一生懸命で、ホテル内ではボランティアの私たちとひとつになって選手のケアができたと思います。後半は、市職員の方々も英語で自然に会話をしていたのは、とてもうれしく思われました。
 各国の方々と話しができたことは、私にとってもとても良い勉強になり、ボランティアをさせていただいたことに感謝しております。 (でも忙しい1週間でした!)
伊藤 uchi (宿泊センター)
「マナーが悪かったのは日本選手団のえらい方たち」
 最初は希望業務とちがったのであまり気が進みませんでしたが、だんだん日が近づいてくるにつれて「どうせやるなら何か外国選手からも喜ばれることを!」と思い、千代紙で日本のはっぴを作り、本のしおりを作りました。
 ボランティアのデスクの上にならべておいたところ、それをきっかけに話がはずんだり、小さなおみやげとしてもっていかれました。
 「こんにちは」だけでも母国のことばで声をかけると、選手の顔が明るくみえました。
 マナーが悪かったのは日本選手団のえらい方たちでした。ロビーで大声を出したり
 …とてもいやな気持ちになりました。
 地図は日本語と英語の両方で書かれているものが一番役に立ちました。
 みなさんおつかれ様でした。
青沼 洋 (宿泊センター)
「たいへんだった台風」
 私は、ホテルメトロポリタンで、ローラースケーティングの選手、役員のお世話をさせていただきました。印象に残ったことは色々あります。トラブルももちろんありました。
 私が最も自分の身についたと思うことは、最もおいつめられた状況のなかで、その困難を解決し、最後に相手から心のこもった握手を要求されたことでした。
 台風11号が近づき、明日のフライトをキャンセルし、当日の夜行バスで成田に向かわなければならないことを、オーストラリアチームに説明しなければならなかったとき、スタッフ全員が必死でした。
 結局納得していただき、別れぎわに一人ひとりと握手したときは、本当にうれしかった。
 このオーストラリアチームは、それに先立つチェックインの日、急いで食事をとっていただかなければならないため、ある意味では強引にも、すぐ夕食の部屋にいくことを指示しなければなりませんでした。
 因縁のチームでしたが、最後に最も親しくなれました。
 皆さま御苦労様でした。








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