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八橋陸上競技場
加藤 佑子 (記録班)
「私のトラブル、それは英語」
 私は、開会式と、ファウストボールとラグビーに参加しました。トラブルも特になく、いい大会になったと思います。でも自分自身のトラブルはありました。「英語が話せない。」ということ。今になって、まじめに授業やればよかったと思います。
 ファウストボールで、仲よくなった選手がいます!私の発音があまりうまくなかったらしく、あまり通じなかったけど、時間がたつにつれ、言葉がつうじなくても、わかりあえる(?)ようになりました!もし、秋田でワールドゲームズがなかったら、こんな貴重な体験はできませんでした。
 今度もぜひぜひぜ〜ひ参加したいです!!!
桜田 澄子 (警備交通班)
「フレンドリーなファウストボール、えらそうなラグビー」
 八橋陸上競技場では、ファウストボールとラグビーが行われました。
 まず、全体を通して感じたことは、たくさんの人との出会いがあったことです。それと、英語を習っていても、いざというときは、簡単な単語しかうかんでこないことです。ボランティアの仕事は、私なりにこなすことができました。うれしかったことは、ファウストボールの選手にサインをもらったり、写真をとったり、選手と交流できたこと。パックンマックンのパックンに会えたこと。(私はお笑い好きなのです。)ゆかたを着て金メダルを運んだこと。(重かったけど。)その他大勢。
 頭にきたこと、つまりむかついたことは、フランスのラグビー選手が普通に女子トイレを使ったこと。同じくフランスのラグビー選手が控え室の壁をこわしたこと。ラグビーの選手たちみんな、控え室の使い方が汚いこと。そんなにラグビーの選手たちはえらいのかと思った。逆に、ファウストボールの選手たちはみんな、フレンドリーで、頭にきたことはなかった。
 びっくりしたことは、ラグビーのニュージーランドの選手とかが入れ墨をしていたこと。
 とにかく、WGではいろいろなことを感じた。
 小森さん、ありがとう。Stefan LOVE
ファイティングゴリラ (競技総務班 役員審判員係)
 皆さんのお陰でいい思い出をアリガトウ。
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関 ハツエ (施設管理班)
「WGへの小さな参加」
 「やっと終わった」と、「もう終わってしまった」という相反する感じが残っています。やっと、と思うのは、屋外活動での連日の耐え難い暑さとか、事情の変化(病人)から、数日間は往復3時間の電車の旅を余儀なくされたためでしょう。
 3年前に語学研修に参加し始めたころとは、条件が大きく変わっていましたので。
 また、もう終わったと思うのは、長年続けてきたボランティア活動も、WGを最後にしょうと考えていたせいかもしれません。
 ボランティア活動について初めは、日本では感覚的に参画できない人が多いと思っていました。美徳、義理を重んじるあまり、他人から受けず、自らも与えないという国民性のようなものを。
 しかし、開会式前日には、「目からうろこ」でした。そして当日のボランティアの数といい、整然とした活躍ぶり。その結果のなんという感動!生涯忘れない程の大きな感動を多くの人に与えました。
 式の後、感嘆している外国からの(報道関係者か)参加者に対して、「日本の国民性というより、秋田県人の特性でしょう」と説明したことを思い出します。
 いま、楽しいことや、強く印象に残っていることが数多く思い出され、協力してくれた家族をはじめたくさんの人々に感謝します。
 また、計画段階での県当局の苦労は、私達の想像を絶するものがあったと思います。計画は膨大で綿密、正確でした。感心し、秋田県の未来への頼もしさを感じました。
 若い人達の真面目な態度も誇らしく思いました。若い女性の数が多かったわけですが、美しく、強い責任感を持った秋田県人を目の当たりにしました。
 ただ、語学研修会(鷹巣・大館会場)で仲間と協力したわりには、出番がありませんでした。
 研修の成果は、今後も楽しみながら生かしていきたいと思います。
鈴木 利春 (警備交通班)
「仲間とのコミュニケーションで「元気」と「若さ」をいっぱい」
 開会式と八橋競技場にて6日間のボランティアを体験した。
 開会式では梵天のアテンドでしたが、前日のリハーサルが午前と午後の為、待っているのがきつかった。
 開会式では出場者の皆さんが協力的で本番でも積極的に演技していただき、感動しました。
 八橋競技場では警備交通班で毎日が暑さとの戦いでしたが、関係者、観客の方々から「こんにちは」「ご苦労様」「お疲れ様」と声をかけられ、ボランティアとして喜びを実感しました。
 又、多くの仲間とのコミュニケーションの中から「元気」と「若さ」をいっぱいいただきました。ありがとうございました。
 これからもボランティア活動に挑戦してまいります。
石橋 研一 (警備交通班)
「仕事を通して気持ちの交流」
 私にとって4日間という期間のボランティアは初めての経験だった。
 現在は十文字町に住んでいるが、勤めの関係で数年前県庁で勤務した際、ワールドゲームズの開催事務局が同じ建物内にあったこともあり、大会の際には何らかの形でボランティアをしたいと思っていた。また、日ごろ教師として生徒たちに自然体験、社会体験などの体験学習や地域の人々と触れあうことの大切さを説いていることもあって、自らもそうありたいと考えていたこともある。
 ボランティアに応募したところ、活動日が週末の土日であることから八橋陸上競技場の警備交通班に配属された。競技種目は、ファウストボールと7人制のラグビーだった。
 数回の事前研修に参加したが、本番で自分はどのように動けるか不安であった。仕事は主に駐車場の整理、入場者のチケットチェック、会場の清掃などであった。
 お盆過ぎの猛暑が体にこたえたが、競技運営部の計らいで同一日に複数の仕事をグループ単位のローテーションにしてくれたおかげで気持ちの切り替えができ、緊張感を保ちながら活動できた。
 また、活動グループの班長さんの班員への心配りにとても感謝している。ボランティア経験の豊かな方で、朝の打ち合わせや引継ぎなどの際、班員の考えや声に耳を傾けてくださり、迅速かつ適切なアドバイスをいただくことができ力が湧いた。
 活動を通して心に残ったことは、休憩時間などに試合前、試合後の選手の表情などをまのあたりにでき、いろいろ感動したこと、班員の方たちと仕事を通して気持ちの交流ができ、そこから多くのことを学んだことである。
 秋田で行われた世界的な大会が盛会で、各国選手団に、秋田の豊かな自然や人々のぬくもりを少しでも多く感じて帰っていただけたとしたらうれしいことである。
わかさ (警備交通班)
ワールドゲームズ2001秋田
 貴重な体験をありがとう
 たくさんの出会いをありがとう
 そして私は忘れない
 みんなが燃えたあの夏を
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高橋 麻里子 (警備交通班)
「予想以上にマナーの悪い日本人」
 「ボランティア」と聞いて、何となくイメージしたのは「福祉ボランティア」。私が最も苦手とする分野!「ボランティアはしてみたい」と思っていたものの、福祉・介護系ボランティアが主流(!?)の秋田では、それ以外のボランティアをすることは難しいと半ばあきらめていました。
 ワールドゲームズのボランティアに参加した動機は、「スポーツイベントのボランティアだったら、私も楽しくできそう!」と思ったからです。
 研修を何回か受けて、現地研修にも参加しましたが、実感がわかず苦労しました(集中できなくて)。
 しかし、開会式のボランティアに参加できたことが、自分にとってはいい刺激になったようでした。雰囲気もつかめたし、自分がどう動くべきか実感できたからです。
 私は八橋陸上競技場でのボランティアでしたが、ほとんどが会場の外でのボランティアだったため、いろいろ大変でした。立入禁止区域に自分から入って、出られず逆ギレしたプレスの人への対応、駐車場が満車だから…と見えない場所で駐車への対応、全席禁煙なのに席で堂々と喫煙する人への対応等、予想以上にマナーの悪い日本人(ほとんど秋田の人!?)が多く、残念でした。
 私にとっての初めてのボランティアは、戸惑うことも多々ありましたが、同じ業務のボランティアの皆さんと楽しくできたので、とても印象深いものになリました。
 加えて、外国の方とのコミュニケーションも楽しかったです。「ボランティアTシャツ」を着て通っていた期間中の朝、信号待ちで何回も声を掛けられました。私にとっても秋田にとってもワールドゲームズがもたらしたものは大きいです。
 まだ知られていなかったワールドゲームズを誘致してくれた方に「貴重な経験をありがとう!」と言いたいです。
八端 美也子 (競技施設班 練習会場係)
「ナゾのコップと糸?」
 私は八橋でファウストボールとラグビーのボランティアをさせていただきました。
 いろんな出来事があったなあ…ということで、私の心に残っているエピソードをいくつかご紹介します。
● 初日8月17日。私達がベンチを運んでいたら、スイスの選手が手伝ってくれました。あんまりたくさん外国人がいて(当たり前か)緊張しきっていたので、その優しさにただただ感動。え?ボランティアされてるって?
● (紙面を借りて)かんなさーん、ひろみさーん元気ですか?あの糸電話、楽しかったですね!!どぶ漬け係の目の前にある紙コップの山。そこに事務室から借りてきた糸(!)とつま楊枝とテープが加わって糸電話完成!突如現れたナゾのコップと糸に外国の選手達も興味深々の様子。楽しく交流しました。
● ファウストボール最終日。競技もすべて終わり、台風にそなえてボランティア全員で打ち合わせしているところに、なんとスイスの熱烈な応援おじさんが、国旗を振りながら登場。(一同ア然)更に驚くことに、そのおじさんは輪に加わってこう叫びました。「エクセレント ワールドゲームズ!エクセレント ジャパーン!エクセレント ナイスシティ!センキュー ベリマッチ!!」(一同大興奮で万歳の嵐。)
 あまりにたくさんの出来事がありすぎて私の文章力では書きつくせません涙)。
 でも、少しでも私の感動を感じてくだされば幸いです。こんなにかけがえのない体験ができたのは、いろんな人達のおかげです。
 最後に(またまた紙面をお借りして)、この秋田をWGの開催地に選んでくださった方々、心よく写真を引きうけ、楽しく交流してくれた選手の皆さん、鎌田さん、かんなさん、ひろみさん、飯野さん、伊藤さん、きなちゃん、秋谷さん、すべてのボランティアの皆さん、本当にどうもありがとうございました。
 すっごくすっごく楽しかったよ。
塩田 香 (警備交通班)
「ラグビー選手はとても恐かった。でも…」
 スイスの人たちがとても気さくだった。自分の国の試合の応援はとてもすごくて、試合が負けていても前向きなんだなあと思った。ラグビーは、選手のみんながとても恐かった。でも最後には笑顔だったので安心した。
 町にはたくさんの外人がいて、あいさつもしてくれた。
 ワールドゲームズが終わると、夏休みも終わって、秋田が急に寂しくなった。
佐藤 大志 (施設管理班)
「スポーツの素晴らしさを凝縮した瞬間」
 秋田では、おそらく過去最高の規模で行われたスポーツイベントであるワールドゲームズに、ボランティアとして参加できたことに感謝しています。
 どの観客席よりも近くから観戦でき、選手とのコミュニケーションも図れる、そんなボランティアの楽しさに、参加してみることで初めて気付きました。
 私が担当になったのは七人制ラグビーでしたが、間近で見る世界トップレベルの試合は、パワーとスピードのぶつかり合いでした。激しくボールを奪い合い、相手のゴールライン目指して駆け抜けていく姿は、見ているだけで熱くなりました。
 そして、試合が終わった後は、勝敗に関係なく、誰もが晴々とした笑顔で観客に応える姿を見て、スポーツの素晴らしさを凝縮した瞬間だと感じました。彼らがスタンドに投げ入れた記念品のボールは、まるでロケットのような勢いで飛んでいき、観客のもとに届きました。きっと、大切な思い出の品になったでしょう。
 最後に、今回の大会に参加した全ての選手、役員、ボランティアの皆さん、お疲れ様。 そして、ありがとうございました。
金沢 良子 (施設管理班)
「WGは夢のような本当の出来事」
 1999年新聞広告を読んで、私は迷わずWGのボランティアに申し込みました。
 退職後2001年はボランティアの年と決め、体調を整え、家族に協力してもらいこのビッグな大会に夢をふくらませてゆきました。英会話、研修会に参加しているうちに、県北では何のゲームも行われないことに気づき、失敗したと思いました。
 あわて者の私らしいと家族に笑われました。そんな中、「はたして自分に何が出来るのだろう」と心配が先行するようになりました。
 2000年7月、雄和町での大会にお手伝いしました。焼けるような熱い太陽の下で、ボランティアの皆様と仕事をしたり、話し合いをしているうちに、「皆と一緒にやれば出来る、自分の出来ることを精一杯やろう、足りない分は助けてもらおう」と考えられるようになり、とても気が楽になり、仕事も楽しくなりました。
 11月のパワーリフティングの大会も市内に宿をとり、5日間お手伝い出来ました。
 接待と入場係で英語の達者な三浦さんや有坂さんのおそばで、外国人選手と接したことも夢のような体験でした。
 2001年本番、体調も心配なし、宿もみつかり、班の皆様も本当に良い人達で、仕事も楽しく、順調に時を刻むことが出来ました。世界のトップの選手のスピード、技、ファイト、目の前で接した選手の笑顔、すてきな目の輝き、入場してくださったお客さんにお礼のごあいさつが出来たこと等、「本当に夢のような」「本当の出来事」にボランティアとして参加出来た満足感で一杯です。
 最終日夜のパーティ、気持を一つにした人々の集りの熱気、目的を成功させた皆の笑顔、広場が焼けるかのような最高のパーティでした。
 お会い出来た皆様にしめくくりの写真も届けることが出来ましたし、感想文も書くことが出来ました。組織委員会の裏の苦労に感謝して感想文とします。
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