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県立スケート場
RIN (総務班 接遇係)
「せっかく集まった多くのボランティアをこれだけで終りにするのはもったいない!」
 ワールドゲームズに参加し、世界にはいろいろな国・地域・人々がいることを改めて実感しました。
 また、ボランティアの人々を通じ、秋田にもたくさんの人材があり、皆で力を合わせると何でも出来ることを強く感じ、秋田も捨てたものではない、という気持ちになリました。やれば出来るのですね。
 ワールドゲームズをきっかけとして、せっかく集まった多くのボランティアをこれだけで終りにするのはもったいないと思います。何とかこれを活かす事が出来ればと思います。
 大会については、やはり初日は準備不足で、スタッフたちも何をどうしたらよいのかがよくわからず、ばたばたした場面がありました。準備段階で、もう少しお客様の立場に立って具体的に考えてみることも必要であったのではないかと思います。
 自分たちだけではよくわかったつもりでも、相手がわかるとは限らないので。
 でも、本部の人たちは、とにかく忙しく長時間勤務で、会場は非常に蒸し暑く本当に大変だったと思います。2日目からはスタッフも慣れてスムーズになり全体としては成功だったと思います。
 私自身は、もっともっと役員・選手・観客のために何か出来たのではないか、もっとすべきだったのではないか、と思っています。
 最後に、ワールドゲームズにボランティアスタッフの一員として参加することが出来、とてもよかったと思います。
 皆さん、お疲れ様でした。
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山崎 敦子 (総務班 接遇控室係)
「縫ってあげたい?!」
 仕事の合間に観戦中、スタート間近の選手(woman)のユニフォームの太もものあたりが破れてしまいました。
 一緒にボランティアをしていたパートナーが「縫ってあげたい!」と言うので、「I can saw your uniform if you have a time!」と言ったら「Please!」と言われて、急いで縫ってあげました。レース中、また破れないかとハラハラドキドキでしたが、無事終了。
 マニュアルにはない事だけど、そういうボランティアの気持ちって大切だなあと感じました。
竹内 政夫 (総務班 受付案内係)
「初顔合わせの老若男女が一致団結」
 私にとってこの種のボランティア活動に参加するのは初めての経験でしたが、お互いに初顔合わせの老若男女が一致団結して大会成功に向けて努力する姿に感動しました。
 機会があれば又参加したいと思います。
藤田 米蔵 (総務班)
「生涯に残る出来事」
 秋田では初めて行なわれた国際的スポーツイベント「ワールドゲームズ」にボランティアとして関り合えた今年の夏、私の生涯に残る出来事としてしっかりと明記出来た十日間でした。
 開会式リハーサル、感動を受けた開会式、県立公園でのフライングディスク競技、ワールドゲームズプラザでのペタンク等ブール競技、そして県立スケート場でのローラースケート競技…
 連日の暑さで顔や両腕は真っ黒く日に焼けて、唇まで荒れて人前には恥ずかしくて出れないくらい…
 しかし、世界のスペシャリスト達の技を見せつけられた十日間でもありました。そんな選手達に大きな拍手をおくり秋田での競技が最高の出来であるよう祈りながらの期間だったと思います。
 ボランティアの仕事は難しいものではなかったのですが、仲間とも打ち解けて楽しくお手伝いさせていただきました。最高の思い出はローラースケート「スピード」競技での表彰式の国旗掲揚の役割りがあり、仲間の皆さんときちんと出来たのが良かった…
 58秒のニュージーランド・70秒のアメリカ・14 0秒のコロンビア等など時間差が心配でしたが、やればできるもの…
 自分にとっては最高の・し・あ・わ・せ でありました。ワールドゲームズ2001秋田あ・り・が・と・う です。 合掌
パールの会 米澤 干恵子 (施設管理班)
「この自信を新たに他のボランティアに向けて!」
 パールの会ボランティアを代表して書かせていただきます。メンバー全員、感動でお手伝いできたことは幸いでした。年令が高いメンバー達は、大会に少しでもお役に立ったその自信を新たに、他のボランティアに向けて発達中です。スタッフの皆さんありがとうございました。
パールの会 大倉 玲子 (施設管理班)
「楽しくボランティアできました!」
 日頃はただ忙しく暮らしているせいか、ボランティアには無縁でとおしてきましたが、2001年は記念すべき年でした。パールの会に入会後はさまざまな経験のチャンスに恵まれた事でもあり、1日10時間はきついかなと幾分不安でしたが、スタッフ用のスタイルになったら心はシャキッと決まりました。
 仕事は施設管理(主としてゴミ整理)でした。
 何より一期一会の“人”に恵まれ、会場内の選手たちとはブロークンイングリッシュで十分通じたし、若い先輩スタッフの指導で、マニュアル通りの仕事を疲れも知らず楽しくやれました。2人の孫たちに「玲ママ、頑張ったね。」と褒められて、六十五歳のレベルアップと、満足しています。
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パールの会 福井 敏子 (施設管理班)
「ウエルカム秋田エブリバディ!」
 ハローと話しかけられたら答えられるだろうか!半ば不安と、ワクワクしながら初日に臨みました。
 会場一杯に飾られた花の手入れ、ペットボトルの片づけなど、会場清掃に気を配り、本当にいきいきと楽しい気分でした。不安なことは何も起こらず、目は口ほどにものを言い「がんばってね。」「ありがとう。」と各国の選手達との笑顔の挨拶が繰り返されました。ポルトガルはさすがに発祥の地とあってローラーホッケーの目にも止まらぬスピードには手に汗してエールを送りました。洋子夫人を先頭に、わずか14名でしたが、お手伝いできたことの幸せと感動は、ずっと思い出として心に残るでしょう。
 準備から満七年間の歳月をかけた結晶でした。「ウエルカム秋田エブリバディ!」有り難うございました。
成見 雄一 (選手管理班)
「WGは選手・観客・ボランティアなど、人々全てを包み込んだ大きなうねりとなった!!」
 WGボランティア応募のきっかけは、スペイン語を話したいということだけだった。
 3年前、初めての海外旅行で外国語とりわけスペイン語(以下西語)に魅了され、NHKラジオを主とした5 0の(に近い)手習いを始めていた。折りも折り、世界が秋田にやって来ることを知った。千載一遇の機会であった。応募後は勉強に拍車がかかった。AIA、AOCの西語講座にも参加させてもらったし、各種研修にも積極的に参加した。又、会社・同僚にも機会ある度にWG等のことを話し、快く理解してもらった。
 かくして、満を持した大会が開幕した。業務は、開会式の観客輸送(観客誘導)と県立スケート場での選手管理の11日間であった。開会式では会場入口のひとつ、八橋球場前の歩道で「いらっしゃいませ…」“Well come to…”“Bienvenidos a la ceremonia de apertura pasen por aqui,por favor”などと連呼した。
 会場周り、そして自分自身が次第に高揚していくのがわかった。スケート場にも多くの国の人達がやって来た。初めは硬い表情の選手や役員達も時間を経、日を経る毎に表情が和む。
 又、「心配した私の西語」も意外に役立ったと自負している。リンクでのトラブル対応、選手と新聞記者の間での生まれて初めての通訳など、様々な貴重な体験をした。 しかし、西語や外国語をも超えた感動が大会にはあった。それは、「出会いとふれあい」であった。
 西語講座での先生や仲間達との出会いから始まり、様々な国の選手や役員、職種も環境も異なる多くのボランティア仲間達、そして、観客…。大会はそれらの人々全てを包み込んだ大きなうねりとなった。 全ての日程を終えたドイツの役員が、わざわざ私の所に来て手を堅く握り締め熱い礼を言ってくれた。
 いや、一言の“Gracias”“Thank you”「ありがとう」などだけでも私達は充分過ぎたし、その度に胸が熱くなったものだ。
 あの、全てが熱く、めくるめくような夏の日々を私は生涯忘れないだろう。
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佐々木 治 (競技施設班)
「私の上の方は明確な答えが返ってこない。残念!」
 開会式のリハーサルと開会式にボランティアとして色々貴重な経験をしました。人を使う立場に立った場合は、その下の方に明確にその人に何をやるか教えて指示しないと、使われる人間にとっては、何をして良いのか分からないので大変だと思いました。私の上の方は、何度聞いても明確な答えが返ってこなくて残念でした。
 もう一つの県立スケート場でのボランティアは、作業としては単純な物でしたが、大きな大会ではこういう仕事の方も必要なんだなあと思いました。知っている仲間も沢山いましたし、それなりに楽しめたし、又、初めて間近にホッケーを見て、その迫力とスピードにはビックリさせられました。
 各国の選手の方もとても良い方達ばかりで、皆さん和気あいあいとして、人種差別も国の違い等も感じさせない本当に良い大会になったと思います。
北野 純子 (選手管理係 放送係)
「「またがんばるぞ。」というエネルギーが湧いてきた!」
 まずはじめに、ワールドゲームズの運営にあたられた方々に感謝申し上げます。
 県外在住のために、研修会は最後の1回しか参加しませんでした。それでもスタッフの方々は優しく親切に対応して下さり、本当にありがたく思いました。
 故郷の秋田で国際スポーツ大会が開催されると知ったとき、正直、大変だなと思いました。私はとても小さな存在ですが何かのお役に立てればと思い、ボランティアに申し込みました。
 ローラーホッケー競技の選手管理と放送を担当させていただきました。慣れないことばかりではじめは戸惑いましたが、同じボランティアの方々もみなさん親切で、ずいぶん助けていただきました。
 仕事の合間にいろいろな方々と楽しく会話をかわしたこともよい思い出です。みなさん気さくでいい方たちばかりでした。
 ボランティアとして過ごした4日間は、私には別世界でした。普段の仕事を忘れて楽しみました。そして、久しぶりに秋田を実感しました。ローラーホッケーというスポーツの楽しさも知ることができました。
 ワールドゲームズのおかげで「またがんばるぞ。」というエネルギーが湧いてきたような気がします。本当にありがとうございました。
佐藤 都司男 (会場設営係)
「この情熱が熱いまま全国にアピールを!!」
 私が参加した動機は、「自分が楽しみたい」からでした。
秋田という世界に名も知られていない県に、「ワールド」と名前の付く大会は、おそらく私がこの後生きている間には二度と来る事は無いであろう。それならば、間近に接する事が出来、肌身で感じるにはこの形が一番と考えたからでした。
 この期間に、私が受けた「驚き・感動」は一生モノでした。常日頃、自分が親しんで行っているどのスポーツよリも「新鮮」で自然と拍手や応援熱がわいてきました。
 他県の人達には「この熱さを味わえた秋田県人としての誇り」さえ何故か優越感すら覚えたものでした。各会場や、秋田市内を外国の人達が大勢歩いている姿は、幼い頃、活気が有った広小路や、お祭りを思い出させてもくれました。10種類の競技会場へ期間中足を運び、家族に「お父さんはここを作った」とか「これを手伝った」とか説明しながら楽しみました。AKITAは世界に発信出来ましたが、国内ではPR不足です。
 平成19年度の秋田国体に向けて、一人一人が自信や希望を見つける契機となった大会であったと思います。この財産を熱いまま、全国にアピールしていきましょう。








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