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生きる日々
友へ
第1信
 K君。ようやく,妻と娘と一緒に,入院相談に行ってきました。ピースハウスといいます。
 ここは,湘南の丘のゴルフ場の一角にありました。独立型ホスピスといって,病院ではあるけれど全くイメージが違っていました。こじんまりとした明るい建物の中に,スタッフが57人ボランティアが70人もいるそうだ。がんの末期は,痛みで苦しむことを想像してすっかり落ち込んでしまっていたのだけれど,先生と看護婦さんの説明でホスピスでのケアということが納得できた。すべてを任せる決意を固めました。平静な気持ちを少しでも長くもっていかれたらなあと願うのみです。生きていたいと思います。空き次第入院することにしました。2信はホスピスから打ちます。
第2信
 K君。入院しました。さすがに,家を離れるときはつらかった。不覚にも泣いてしまった。
 女は強いね。妻の笑い顔で気を取り直しました。
 部屋は個室にしました。私の,生活の場所であるわけです。パソコン一式持ってきました。今後もメールを送り続けます。私の生きている証としてね。出来るだけ日常に近いような生活を送ることが出来るように医師にお願いしました。早速,プライマリーナース(責任を持って担当する看護婦)が決まりました。若い人だけれども,信頼できる人です。
 安心しています。
第3信
 K君。今日で3日目,新居に落ち着いてきました。妻も家に帰りました。まだ十分自立できます。痛みも内服薬で落ち着くし,食欲が出て来ました。杖を片手に,ホスピス散歩を始めています。廊下で会う人がみんな,明るい。明るいんだ。何か,死を前にして明るいんだ。これは,驚きです。
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 ホスピスには,松本記念ホールといって富士山を望むホールがあります。今日は火曜日,礼拝があるので出席してみました。参加は自由ですが,入院中の人が3名,付き添いとボランティアが4,5名でした。静かな祈りの時を持てて,良かった。今度チャプレン(病院付き牧師)が私の部屋に訪問してくれるそうです。
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第4信
 K君。今日で1週間目を迎えました。ホスピスの暦は1週間単位で作られているようです。あなたの生きている社会の1週間より刻み方はきっとゆっくりであると思います。時計がホスピスタイムで動いています。私は一日を非常に気ままなスケジュールを立てて送っています。プライマリーナースのSさんにジョークを飛ばすと上手くキャッチしてくれるからありがたい。彼女に終わりを託したようなものだから,これから起こる私の全身の変化を受け止めていってもらいたいと思っています。ここでは,月曜から土曜まで毎日,趣味を生かしてくれるようないろいろなプログラムが用意されていて,ボランティアが主となって実施されています。午後の1時半から3時のお茶の時間までの間です。月曜・押し花,火曜・絵と書の会,水曜・フラワーアレンジメント,木曜・指編み,金曜・うたう会,土曜・石ころアートなど。また,季節の折々の時にも花見,ひな祭り,クリスマス会などを開いてホスピスで共に生きている人が一緒に楽しむことが出来るように企画されています。
 そして午後の3時はティータイムとなる。ラウンジで医師も患者も一緒にお茶の時間をひとつのテーブルで歓談する。考えられないでしょう。
 K君。見舞いに来てくれるそうですね。午後の3時に来てくださいませんか。君に,この時を私と共有してもらいたいものです。痛みや不安を抱えている人々が,お茶を一緒にしながら大事な時を確かめあっている様子を知ってもらいたいのです。
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第5信
 K君。元気ですか。しばらくメールが出せませんでした。ご心配を掛けました。
 君が,先週見えた時に紹介したEさんがあの翌日亡くなられたのでした。
 とても考えられなかった。玄関で私も病院のスタッフやボランティアと一緒にお別れをしました。奥さんは,十分な時を過ごすことが出来てありがとうといっておられた。これがホスピスケアの真髄なのかなあと思いました。Sさんの顔の穏やかなこと,私もそうでありたい。そして,君に見てもらいたい。妻と娘とも今後のことで話し合っています。
 雨も上がって今日は気分のいい時です。メールを打っている窓から庭が見えます。犬しでの木の下で車椅子のご婦人が,お孫さんをあやしておられます。いいですね。こうして静かな時間が途切れることなく,小さい子供たちのいのちに継がれていくのだと思うと,死は生の流れの中にあるのだなと考えて安らぎを覚えるのです。あなたはどう感じますか。
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第6信
 K君。杖での歩行が難しくなってきました。今日,車椅子を試運転しました。運転はまだ上手くありません。しかし,心はピースフルです。お風呂にも入っています。ケアチームの皆さんにまもられていますから。今日は,朗報をお知らせします。娘が婿さんと来ました。太ったなと思ったのが何と7カ月だそうだ。今日ほどあと3カ月,あと―と神に祈ったことはありません。
 新しい,いのちの誕生を待つ,この気持ち,いいですね。生きていたい。
第7信
 K君。自宅に一時退院してきました。ホスピスに訪問看護ステーションがあり,今が私にとって最良の時なのだそうです。家はいいですね。久しぶりにわがままぶりを発揮しています。訪問看護婦さんにもね。彼女は家族の一員になったように,毎日のように来てくれますのでホスピスと大差ありません。お風呂にも入っています。今を,十分に楽しんでいます。
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第8信
 K君。ピースハウスへ戻りました。いま,家内が帰ったところです。シャトルバスはボランティアの基金をもとに運行されているそうです。玄関で出会ったご婦人は息子さんを見送っておられたけれど,これから沼津まで帰るんですと言ってじっと行く先を追っていました。夕暮れはやさしいひととき,と誰かが詩っているけれども淋しいね。
 車椅子で富士山を見たくてホールに立ち寄ったのだが,ひとりのご婦人がベッドに正座して富士山と対峙しておられた。後ろ姿を拝見していたら何か近寄りがたい真剣さまで伝わってきたのです。ホスピスの夕方の静かさは一人ひとりの人生の振り返りとこれからの生き方をただされる時を否応無しに与えられると思います。この瞬間,瞬間,僕には今しかないのだから一人で向かっていく覚悟をかためています。
 こんなことを送ると心配するかな。
 大丈夫だよ。本質はネアカです。
 
追伸
 息子が突然やって来ました。ポンタ(うちの犬)も一緒でした。とうさん元気がなさそうだと,かあさんから言われたんだといってね。家族っていいもんだ。嬉しかったよ。泣いてしまったよ。
第9信
 K君。しはらくだね。ご心配掛けてしまったけれど,落ち着きました。今子供たちも帰りました。
 今日はベッドから離れてひさびさに庭へ出ました。娘の長男も3歳の誕生日を迎えたところだ。「ジイジ,どうしたの? 車を押すよ」と言ってくれた。
 「このちいさいおハコは何?」これはね,ジイジのおくすりだ,と説明したのだけれど,わかったようにうなずいていたよ。痛みをやわらげるためにモルヒネを少量ずつ連続的に体内に入れる“持続皮下注入”という方法だが,これが始まる時は,さすがにいよいよかなと思った。薬剤師さんがよく説明してくれて,痛みをコントロールするのに良い方法だということがよくわかった。徐々に増量していくとは思うけれども,こうして家族と一緒に庭に出て,草の匂いを嗅ぐことも出来る今の自分を仕合わせと思わねばならないね。
 しばらく泊まってくれていた家内もつらかったと思う。大分勝手なことを言って泣かせてしまったよ。
 いよいよ,近いかなと思う。三人称で言っていた「death」ということが一人称の事実となった。まったく僕には,わからない世界だ。一人で旅をするよ。メールをこうして発信できたことがどんなに僕にとって救いになったか。
 感謝をこめて,ありがとう。
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妻からのメール
Kさん
 主人が私に残していったパソコンにようやく慣れてきました。彼が元気であった頃,会社から帰るとすぐにこの机に座ってしまうのです。何が面白いの,とその頃は思っていました。
 今,息子の手ほどきで私もはまりそうです。
 あれから,またたくまに3カ月たちました。こうして彼の使っていたものに囲まれていると,まだ一緒に呼吸しているようで知らず知らずのうちに語りかけているのですからおかしいですね。
 Kさんには本当にお世話になりました。あの強がりに見えているくせに淋しがりやの主人を面倒がらずに付き合って下さったご恩,忘れられません。ありがとうございました。ホスピスに入院してから,意識が無くなる前日まで,しゃべれないのですが両手でキーボードをたたくような仕草をしていたのです。きっと今でも天国から打っているかもしれません。
 意外に私は平静に毎日を過ごしております。ホスピスで最後を過ごした日々は彼との別れの準備の日々でした。それも一時の別れだと確信を持つことが出来ました。入院を決めるまでの日々を振り返りますと,彼に迫ってくる限られたいのちとどういうふうに接していこうか,素手で受け止める恐怖におののいた時期でした。二人で決心してホスピスの門を叩き迎えられた時は,別世界に飛び込んだような平安を与えられました。大げさな言い方かも知れません。私の本当の叫びです。主人と過ごした30年間,いろいろなことがありました。二人から四人の家族になって,また一人を与えられました。主人と私のいのちが継がれていくのを感じています。
 これからも,時には私どもを思いだして下さい。そして,メールをお待ちしております。
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あとがき
 ピースハウスを終の棲家とした方々を思い起こしますと,お一人おひとりの日々の姿がわたくしどもの胸に深く刻まれていることに気づきます。
 入院中ずっとEメールしていらっしゃった患者さん,その内容は伺うべくもありませんが,その方との日常の会話の中から,ホスピスで時を過ごす患者さんの不安,希望,悲しみ,喜びといった日々のお気持ちを察して綴ったものです。
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