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生と死にむきあう ―「第7回日本臨床死生学会」会長講演より―
 日本で死にゆく人々へのケアの重要性が論議されるようになったのは、1970年代前半のことです。死について語ることがタブー視されていた時代にはじまったこの運動が、以来30年を経て医療、福祉、教育などさまざまな分野で取り上げられるようになり、市民活動としても広まってきました。
 終末期患者のケアを専門とするホスピス緩和ケア病棟は急増し、緩和医療の発展は痛みからの解放、患者のQOL改善に大きく貢献しました。また、インフォームドコンセントの普及により、患者の意志、自己決定が尊重され、死が間近にあっても主体的に生きる姿に出会うことが多くなりました。
 こうして、死をみつめ、生を支えるケアの必要性が認められ、実践されるようになり、死について語られることも多くなりました。しかし、その一方、死にゆく人と看とる人の距離の遠さを感じることがあります。
 終末期には、身体機能の低下により人の世話になるという現実、社会の一員としての役割を果たせなくなることの苦痛や経済的な問題、不安や孤独感、将来に対する希望の喪失など、たくさんの痛み、苦しみを体験します。このような状況にある人を前にして、一般的に医療者は問題は何か、それをいかに解決するかに焦点をあてます。訴えに反応し、現れている問題を解決しなければならないと強く思います。
 しかし患者にとっては、問題解決そのものが重要ではなく、いろいろなものを抱えている「今ここにいる私」をそのまま受けとめてほしいということもあります。
 問題解決、それはどこかに答えがあって、そこに近づけようとする行為と考えられます。たとえば理想的な終末期、よい死がイメージ化されているということがないでしょうか。看とるものがいつのまにか目の前にいる方を「死にゆく人のモデル」と見比べ「死にゆく過程」、そのレールに乗っていただこうとはしていないでしょうか。その期待値とのずれに、一喜一憂してはいないでしょうか。患者への症状の説明はよくされるようになりましたが、患者と医療者が話し合う、今の気持ちを分かち合うということはどこまで行われているのでしょうか。
 また終末期のケアを考えるとき、「死にゆく人ではなく、生きる人」とよくいわれます。不治の病であっても、生ある限りいかに生きるかが大切です。その点において、緩和医療は大きな役割を果たすことができます。しかし、生きることが強調されすぎる時、死と直面することをどこかで避けてはいないでしょうか。
 生きることの意味を強調するだけでなく、時に死を望むことさえある患者の苦悩を受けとめ、その上で看とるものはそれぞれに与えられた役割を果たしていく。
 生と死にむきあう。それは、今、ここにおられる方の生きる姿をみつめ、語る言葉に耳を傾け、死を迎えるその時に添わせていただくということではないでしょうか。看とる側の枠を外し、評価や指導的態度を慎み、一人ひとりに謙虚な気持ちでむきあうことが、たいせつではないかと考えます。
 ピースハウスホスピス教育研究所所長
 松島たつ子








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