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これからの健康観
本当の「健康」とは
 
 「健康」は、英語ではhealthといいます。この語源を調べてみますと、一つは、全体(whole)というところに行きつきますし、もう一つは癒す(heal)へ、そしてまたwellという意味ももっていることがわかります。つまり、健康というのは“全体”でなければならないということです。全体というのは、体ばかりでなく、心(mind)も魂(spirit)も健康でなければならないということです。
 現代の発達した医療機器をもって調べれば、完壁な肉体などというものは存在しないということがわかります。そしてそこで発見された異常などは、大部分は問題にしなくてもいいものなのです。私たちが長年取り組んできた人間ドックは、いま反省期を迎えています。それはあまりにも正常値という数値にこだわりすぎて、“Don't do(してはいけない)”という医療を推し進めてきたことです。正常値というのは、20歳前後の健康な人の値が基準となっています。それは、たとえば75歳の人にも100mを15秒で走れというようなものです。人はその人なりに100mを歩き通すことができれば、それでよしとして何の支障もないでしょう。多少血圧が高くても、極度に塩分制限をしてうまみを損なうことがあれば、おいしい食事をとりたいという人にとっては、逆にその人のQOLを損なっていることに気づかなくてはなりません。
 
これからの健康教育のあり方
 健康という問題について考えるとき、みなさんは先にお話しした“Don't do(してはいけない)”のやり方をとっていないかどうか、ぜひ反省してみていただきたいと思います。
 昨年、私は聖路加看護大学の学生たちから希望者を募って、私の脚本による「葉っぱのフレディ」を大学の講堂で上演しました。私も哲学者を演じました。そこで驚いたことは、学生たちが夏休みも返上して、実に熱心に稽古に励み、本番ではプロはだしという評価まで受け、たいへん意気に感じていたことでした。
 授業中の態度は、みなさんも体験しておられるでしょうが、お化粧をしたり、メールで話をしたり、居眠りしたりと、あまり感心できるものではないのですが、自分たちが自分たちからやりたいと思ったことには、実に情熱をもって自主的に取り組むのです。
 健康を目指すという極意もまさにここに見つけられるのではないでしょうか。健康教育とは、その動機づけをすることです。そして、体験学習をすることによってそれが身につきます。私は小学5年生に、いのちの話をするように頼まれたときに、一人一人の子どもたちに聴診器で心臓の鼓動を聴かせました。トン、トン、トンと聴こえているこの音が、3分間止まると、脳に血液が行かなくなって脳は死んでしまうということ、そしてたとえ心臓がまた動いても、いったん死んだ脳はもう再生しないということ、これを脳死というのだということを話しました。けれども心臓の止まったこの3分間のうちに人工呼吸ができれば、その人のいのちを助けることも可能なのです。そのためにはみんなに蘇生術を覚えてほしいとも話しました。
 子どもたちにいのちを助けることの大切さとそのための技術を教えれば、いのちを粗末にすることは考えないのではないでしょうか。与えられたいのちについて、それをどのように生かして用いるかが、これからの健康教育の目的です。
 健康というのは、たとえ体に障害や欠陥があっても、あるいは何かの病気をもっていても、健康的なスピリットをもつように動機づけることです。それが真の意味でのヘルシーの実現であり、いのちを大切にする健康教育というものなのではないかと思います。
 これまでの歴史が到達しえた物質的な豊かさに、スピリットの豊かさが加わる本当の意味での健康な人たちの世紀をつくりあげてほしいと願います。
 LPC理事長 日野原 重明








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