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体験記 前立腺がん手術体験記
原 雄次郎(新老人の会準会員)
告知に至る経緯
 平成10年2月初旬,私はいつものように日本橋のホームドクター小池清教先生を訪れ,誕生日検診を受けました。その結果,前立腺がんマーカーPAPの数値が5-5でがんの疑いが指摘され,聖路加国際病院への紹介状をいただきました。2月末,外来を訪れ初めて泌尿器科の福井準之助先生にお会いすることとなりました。先生は触診でがんと直感されたのかカルテに「Ca?」と記入され,生検のため一日入院するようにとのことでした。
 3月11日,肛門からエコーを差し込んでの生検は予想に反してたいした苦痛もなく,15分くらいですみました。3月25日,採取した細胞6検体中,左前葉部2検体がプラス,病理検査の結果は低分化度のがんで,手術か放射線かどちらかの対象で,その選択については納得の上決めるようにと福井先生から直接話されました。
 当然のことながら,私はがんでないことを祈っていましたが,思ったほどのショックもなく「やっぱりがんだったのか,それならベストをつくそう」と割合サバサバした気持ちでした。
手術か放射線治療か
 30数年ほど前,私は実験化学者でした。その後一転して企業の海外要員,新技術,製品開発,生産現場などの職を体験しました。日頃,ことにおよび「孫子の兵法」を手本として,情報の探索収集から始めることをモットーとしています。私は前立腺がんに関する最新情報を友人,知人を通して入手し,さらに放射線療法についての情報収集に奔走しました。
 ゴールデンウイーク前,私の心は手術か,重粒子線治療かで激しく揺れ動きました。しかし,最終的に手術を決心したのには3つの理由がありました。
[1]手術では万一再発となれば放射線という助っ人がありますが,放射線をかけるとそのあとに手術というわけにはいきません。
[2]放射線療法では尿道の損傷は避けられず,排尿困難がつきまとう恐れがあること。
[3]放射線療法の追跡はPSAマーカーの数値に信頼性が低く,生検での追跡となること。
ホルモン療法について
 手術や放射線療法に先だって,ホルモン療法による症状コントロールが一般化していますが,私の場合,当初女性ホルモン,プロゲステロンを使い,途中からフルタイミドがリュープリンと併用して投与されました。この女性ホルモンは,何とも全身から力が抜けて立ちくらみなどの副作用がありました。
 その後投与されたフルタイミドはさらに耐えがたいもので,血圧,脈拍とも上昇し,数日後には黄疸の症状も現れましたので先生に連絡して中止し,2〜3日後には服用前の体調に戻りました。その後はリュープリンと元から飲んでいたプロポリスのみで手術に臨みました。NeoadjnvantとかMAB療法とかホルモン療法に際して,LH-RHアナログと併用する薬剤の選択には副作用の少ないものを選んでいただきたいと患者の立場から感じました。長期間投与する薬の副作用は,かえって免疫力の低下を招く恐れがあるのではないでしょうか。その点,リュープリンはほとんど副作用らしいものは感じられませんでした。プロポリスは民間療法と一笑されるかもしれませんが,さまざまな事例が書かれていることから,私のような初期の低分化度がん細胞にはあながち無視できないのではないでしょうか。
手術について
 前立腺がんの全摘除手術は,かなり高度な技量を要する手術であることは予測していました。手術と決まればいまさらじたばたしてもはじまりません。「まな板の上の鯉」と先生方に全幅の信頼をもって,前日の夜は睡眠薬を飲んでグッスリと寝ました。
 ところで,前日麻酔の先生より受けた説明は,前回受けた2回の手術よりも大変進んでいるように感じました。手術直後も手足に感覚があり驚きました。
 手術の翌日はこれが術後かと驚くほど痛みもなく元気でした。七転八倒の苦しみは翌々日の朝からはじまりました。腸の動きが鈍くガスが下に落ちてこないとのことでしたから,なるべく歩くように努めました。しかし,廊下をぐるぐる回って部屋に戻るとますます苦しくなり,こんな痛みは生まれて初めてと脂汗を流して苦しみました。二晩ほとんど一睡もできず,四日目の早朝,待望のガスが出て以後は急速に楽になりました。私は普段,あまり薬物を口にしませんので,麻酔もその他の薬も効きすぎたようです。
手術体験を通じて考えたこと
 近年前立腺がんは欧米人なみに日本人に急増しているとのことですが,私は以前,飲み水の中のトリハロメタンが前立腺がんの引き金になる物質と米国で騒がれてから,日本の水道水の安全対策に関わっていたことがあります。その私が選りによって1万人に1人の確率の前立腺がんになるなんてと己の不運を嘆きましたが,よく考えると,まったく自覚症状がなく早期発見できたのは極めて強運であったのではないかと思いなおしました。最近,前立腺がんの集団検診に厚生省研究班はその成果に疑問ありとして批判的とききますが,私は自身の体験から少なくとも早期発見で命が助かったことをふまえて,むしろ検診を促進すべきであると感じています。
 また米国の医療事情などでも手術の技量が進む一方で放射線療法も進歩し,相互に競い合っているように報告されていますが,患者の立場からいわせてもらえば,手術以外の方法が一日でも早く確立してほしいものです。
そして現在
 私は1930年生まれ今年71歳です。術後3年あまりの歳月が過ぎましたが,退院直後から危倶した失禁もなく,排尿は術前とほとんど大差ありません。おかげで健康状態は,前にも増して良好,術後1年目には山登りに理解のある主治医の許しもでて,百名山最南の屋久島・宮之浦岳(1935m)に,昨年は最北の北海道・利尻山(17!9m)に挑戦しました。そして10年前に魅せられた「百歳までの山登り」(新ハイキング社発行)の「USAホイットニー山紀行」への夢さめやらず,昨秋には「米国最高峰Mt.ホイットニー(4418m)登頂8日間」のツアーに参加しました。ツアーリーダーはロッククライミングで著名な渡部純一郎氏,私のほかは山の経験豊富なベテラン揃いの総勢11名。私はシュラフで寝る野営は初体験,気後れしながら成田空港を後にし,ロサンゼルス空港から専用車で4時間で目指すMt.ホイットニー山麓の町,ローンパインに到着。私は高所や健脚には自信があるものの睡眠不足に弱いので,トランキライザーを服用し,ぐっすりと寝て時差ボケを解消しました。幸い二泊したトレイル・キャンプ場(3660m)での野営も無事乗り切り,高山病にもならずベテランに密着して登頂を果たすことができました。
 帰路,車窓から望見したホイットニー山への別れに感無量,朝日夕陽の輝きに刻々と変化する神秘的な山肌や夜中にテントを抜けでて眺めた満天の星空を思いだし,本当に命の尊さを実感した貴重な体験でした。
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北米最高峰Mt.ホイットニー山頂にて(左端後列報告者)
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400字×7枚(2800字)程度








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