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インフルエンザ今昔物語
 源氏物語の中にある「しはふきやみ」(咳逆病)は富士川瀞氏によれば,今日の流行性感冒(インフルエンザ)だったであろうとのことです。貞観6年(864年)の全国的大流行ではおびただしい数の死者を出したとの記録があります。また,興味あることには,江戸の鎖国時代である1700年代に日本に大流行したかぜは,ヨーロッパなどでインフルエンザが大流行した年とほぼ一致しているという事後の事実です。
 江戸の入々は恐怖と諧謔をこめて安永5年(1776年)の流行を「お駒風邪」(遊女の名)と呼んだり,文化元年(1804年)の流行を「お七風邪」(流行小唄の名)と呼んだりしています。さて,もっと時代が下がって大正7年(1918年)から3年にもおよぶスペインかぜの大流行が世界中に猛威をふるいました。第一次世界大戦の終結にも大きく影響したとさえいわれたこの大流行は,全世界で罹患者6億人(当時の人口20億),死者2千300万人。わが国でも2千300万人の罹患者(当時の人口5千500万人),死者38万人あまりという惨禍を残しました。死亡例の大部分は肺炎の併発でした。
 新劇女優松井須磨子を見舞った島村抱月が感染して急死し,それを悲しんだ須磨子の後追い自殺は当時のトピックスでした。ヒトのインフルエンザ・ウィルスが発見されたのは1933年のことで,私たちにとって身近に感じるのは1957年(昭和32年),世界的に大流行したアジアかぜです。私自身この時は典型的なインフルエンザの症状を身をもって味わい,突然の悪寒に続いて40度の発熱をきたしました。幸い,肺炎は併発しませんでしたが,1週間休みました。
 当時はすでにペニシリンやストレプトマイシン,クロランフェニコールなど種々の抗生物質が使えるようになっていましたので,スペインかぜの時代とは違っていました。それでもペニシリンが効かないブドウ球菌(耐性ブドウ菌)による肺炎の併発で急死することが話題となりました。
 またこの頃はすでにインフルエンザ・ウィルスの種類(型・株)が分析されるようになり,アジアかぜはA型,その後A型の(H2N2)というように分類されました。このAのH2N2は1890年から1900年頃に流行していたので,60歳から70歳以上の方々の感染が少なかった理由が後日分かりました。さらに, 1986年の香港かぜ(H3N2),1997年のソ連かぜ(HlNl)などの大流行は,A型の新しい株や古い株の再出現によって,流行したことが分かりました。罹患の後にはその株の免疫抗体ができて,その後の感染を免れたり,軽症ですむことも実証されました。そこでワクチンの接種の必要性が強調されるようになりました。またインフルエンザの肺炎は,幼児や高齢者,慢性疾患既存者に多発するので,これらの方々はワクチン接種がすすめられています。高齢者の死亡のリスクを0-2に減ずる(有効率80%)との報告もあります。今年からはA,B両型に有効な抗ウィルス薬も保険適用となっています。
 いずれにしても,普段からの健康管理と罹ってしまってからの安静はいうまでもありませんが,今日のインフルエンザの対策では,まずワクチン,さらに新しい株の感染でも抗ウィルス薬があり,迅速診断もできているというのは,スペインかぜ時代とは今昔の感があるといえましょう。
 ピースハウス病院最高顧問 岡安 大仁








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