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天からの贈り物
−第98回−
野村 祐之 (青山学院大学講師)
「経済効率」から「生命効率」へ
 
 いよいよ日本も改革の季節を迎えたようです。圧倒的な小泉人気はまるでアイドルですが,この人気の源にあるのは今迄の政治への深い不信感と不安,その中でただ耐えるしかなかった国民のフラストレーションではないでしょうか。
 絶望寸前の状況で「これにかけるしかない」という悲痛な願いに支えられての人気といえましょう。
 もっとも「アイドル」とは英語で「偶像」のこと。これを偶像崇拝の空騒ぎに終わらせてはなりません。ここまで切羽つまった末,これを実のあるものとしなければもはやこの国の将来には夢も希望もなくなってしまうでしょう。
 別言すれば,わが国はいま,国のありかたそのものを問う絶好の,そしてもしかすると最後のチャンスに直面しているということです。
 経済の建て直しは必須です。しかし何のための経済改革か,という根本を間違えてはいけません。
 経済は私たちの生活,生命を支えるはずのものですが,今まで必ずしもそうではありませんでした。
 KAROSHIと欧米でもローマ字でつづられる「過労死」は,命を活かすどころか経済のために命が犠牲となった結果です。
 また日本ではあたり前と思われている「単身赴任」も家族生活に多大な犠牲を強いています。
 いまわが国では年間3万人もの人が自死(自殺)し,その多くが働き盛りの中高年だといいます。
 毎週600万人弱。これを満員のジャンボジェットにたとえるのは不謹慎ですが,それにしても飛行機事故は万全の予防策をとった末の不運な災害です。ところが自死はひとり苦悩し,思い詰めた末の意図的行動です。未遂の人,寸前で踏み止まった人を含めればこの何十倍もの数になるでしょう。
 こうした諸事情は,経済が命を支えるどころか経済のために命が犠牲にされている社会の現実です。
 わが国のこれからを思うとき,経済再建といっても,従来のような経済中心の再建ではもはや国として活力を取り戻すことはできないでしょう。
 いま目指すべきは経済効率社会の再現ではなく「生命効率」に基本を置く社会ではないでしょうか。
 「生命効率」とは,一人ひとりが自分なりの能力を活かしその人らしく輝いて安らかに生きていくことのできる度合いです。いや,人だけでなく草も木も鳥も獣も虫たちも,およそ命あるすべての存在がそれぞれ自分らしさに輝き,たがいに調和し共存できる社会を目指すことです。
 QOL(生命/生活の質)という考えかたも「生命効率の高さ」を求めることといえます。
 この「生命効率」を高め,QOLを支えるためにこそ,しっかりとした経済力が必要なわけです。
 「経済効率」というとつい国単位の発想になりがちですが,「生命効率」は生きとし生けるものすべてにかかわりますから視野に入るのは地球全体です。この星が生命の惑星として輝きをとりもどすことこそが究極のゴールになります。
 わが国のそうしたありかたは,地球村全体への貢献となりますから,再び国際的にも注目をあびることになるでしょう。このたびはお金の力ゆえにではなく,命への心優しさのゆえに…。
 もちろん,経済活動など二の次ということではありません。今迄のように「もうかるかどうか」で物事を決めるかわりに,「その活動が生命効率を高めるか否か」に判断基準を置くということです。
 ですから,経済効率が悪くても生命効率がよければ高く評価されるということも大いにあり得ます。
 たとえばボランティア活動がそうです。1時間で千円のアルバイトをしたほうが個人的には経済効率はずっといいといえます。ただ,お金はかせげるけれどそのアルバイトをすることで,人生でたった一度の今この時をときめいて生きることにつながっているかどうか,つまり生命効率の高い選択かどうかは,まったく別問題です。
 自分のしたことが誰かの生命効率を高める手助けになっているだろうか。そうだと知るのは大きな喜びです。それによって自分の生命効率が高められます。ここに生命効率の相互循環,共に生きる喜びが生まれるのです。
(つづく)








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