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訪問看護ステーション中井から[8]
記録すること記憶すること
所長 吉村 真由子
 
 私自身が訪問看護の記録について日々感じていることは,些細なことがらを記録することの大切さです。問題点に即した訴えはもちろん,それに関係ないことでも,ご本人がちょっとしたおもしろい話をしてくださったときなどに,ほんの少し記録しておくだけで,その人の全体像を識ることの助けとなります。人生の最後の時期,本当に貴重な瞬間(とき)を刻む中で,ご本人の主訴や話されたことは,医療・看護のよいデータであることにとどまらず,ひとりのひとについての忘れがたい記憶を残すことへとつながるのではないかと思うのです。
 おそらく多くのナースは,心の中にいつまでも忘れられない患者さんがいることと思います。一人暮らしの84歳の男性,Uさんとの出会いは,私にとって得がたく,そして忘れがたい体験でした。Uさんとのお別れからちょうど1年。Uさんからは当ステーションの開設後,すぐに訪問のご依頼がありました。心疾患があり,時々胸水がたまってしまうため,依頼事項は,「心臓に負担がかからないよう入浴介助をしてほしい」ということでした。ご自分にできないことは頼める人にお願いしつつも,できるだけご自分でされる方で,心臓のことを考えて,塩分や水分に気をつけながら,食事も作っていらっしゃいました。訪問日でないときは,ご自身の状態や夕食のメニュー,俳句などをEメールで送ってくださったこともありました。
 「一人暮らしの老人にとって,ステーションの存在は本当にありがたい。貴重なお仕事だから,是非がんばってほしい」といつもわたしたちを励ましてくださっていました。時々調子が悪いとご本人から携帯電話に連絡が入ることもありましたが,苦しいときでもユーモアを忘れず,私たちにも心遣いをしてくださる方でした。
 お宅にうかがい始めてちょうど1年ほど経った昨年の4月,夜中に熱が出たのでどうか見に来てほしいと午前4時に携帯電話に連絡がありました。急いで訪問しましたが,高熱で呼吸苦が出ているため,救急車を呼びました。不安なのでついていてほしいとおっしゃいますので,一緒に救急車に乗って行き,横浜に住む息子さんご夫婦が病院に到着されるまでそばにいました。何度かお見舞いにもうかがいましたが,少しずつ回復されて,退院を待ち望んでいました。
 入院して2週間程たった頃,息子さんからお電話があり,急変して亡くなったと言われました。2度目の胸腔穿刺で胸水を抜いた際,気胸を起こしたらしいというのです。怒りとやるせない思いで病院に問い合わせようとしたところ,息子さんに抑えられ,「84歳まで生きられたのですから,大往生だと思っていますよ」と言われました。私は納得できないまま,3日ほど目を腫らしていました。それでも周りの人に話を聞いてもらい,少しずつ落ち着きました。いくら「お歳」であっても,ゆっくりと迎える死と,突然の死では受けとめ方に大きな違いが出てしまいます。
 お亡くなりになって1週間ほど経ってからお宅にうかがい,息子さんとお話ししました。Uさんは,息子さんのことをよく話してくださり,それを私が記録していたことをお話しし,息子さんやご家族に対するUさんの想いについてお伝えしました。
 いまでも時々自分が記録したカルテを開いてみて, Uさんがこんなこと言ってたなあ,おもしろいこと言う人だったなあ,と思い出しています。Uさんが遺してくださった言葉から学ぶことが多くあることに後になって気づきました。
 カルテヘの記録というのは,時間的余裕のなさや簡略化の傾向もあり,問題点とそれに即した観察事項しか書けないことが多いのですが,患者さんの生きた言葉と,その人の人柄を表すようなエピソードと共に書きとめておくこともいいものだと思います。Uさんとのお別れから1年。些細なことがらを含めた記録の助けをかりて,忘れがたい記憶をなんとかこうして言葉にすることができました。この場をお借りして,追悼の意を表したいと思います。








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