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地域医療と福祉のトピックス その39
輝くいのちを求めて予防医学の大合唱を
日本赤十字社熊本健康管理センター所長 小山 和作
病気が治らない大学病院
 
 大学の附属病院に勤務していた私にとって,大学病院はなんと病気が治らない所かと考えていました。最後の息を引きとろうとする患者さんに「ご臨終です」と宣告するのが私の日課のようでした。
 私も医師として患者さんが元気に退院して欲しいと願っていましたし,そのために医師の道を選んだのです。ところが現実は,医師として何の力にもなれない無力感にさいなまれる毎日でした。
 この患者さんたちもかつては健康で元気に仕事をしていた人たち,1年前に,いや半年前にでも気づいていれば助かっていたはずです。「何故もっと早く来てくれなかったのですか」と今更言っても始まりません。意を決して大学を辞め,予防医学の道に転じ,地域の皆さんの住む所に私が出て行こうと考えたのです。今から30年前のことでした。
「車は車検、私は検診」
 
 看護婦,検査技師,栄養士,事務それに私の5人でスタートしました。間もなく,農協からレントゲン車を購入してもらい胃がん検診も始めました。大学では見たこともないような早期の胃がんが次々に発見され,治療によって元気になっていきました。
 ビルの一室に事務所を借り,バスに乗って県下を走り廻る毎日でした。合言葉は「車は車検,私は検診」。「車でさえも2年に1回の車検を受けなければいけない,まして人の体はもっと精密機械,しかも40年,50年使ったものなら少なくとも1年に1回は検診を受けましょう」と。
 村の公民館でも農家の納屋でも検診しました。時には4〜5人の時もありました。「どうもないのになぜ医者にみせにゃいかんのかい」,予防医学に関心は薄かったのです。
 そのくせ,農村には病名にない病気が山とありました。高血圧や肝障害があっても気づいていない「気づかず病」,あっちこっちが痛いと言いながら農作業の毎日,「痛かちゃ生きとる証拠たい」と「放ったらかし病」,ひどい貧血があってもお姑さんに気がねして倒れるまで働く「気がね病」,病気を治療していても田植え,稲刈りが始まると中途でやめてしまう,お金も続かない「医療中止病」。
 農村の貧しい実態の中で,健康管理を唱えても簡単にはいきません。病気の原因はその暮らし方と,その考え方にあると考えました。
 私は夜毎に農家を廻り,いろりを囲んで話をしました。飲めない焼酎も飲みました。
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古びた農村の公民館での健康教育
赤十字に健康管理センターの誕生
 
 やがて時代は下り,人々の暮らしも大きく変わりました。私たちも赤十字の傘下に移ることになりました。赤十字としては,唯一の予防医学の専門施設としてのスタートです。昭和53年のことでした。
 5人から始まったこの活動も,日赤に移る時は20数名に,そして現在350名の大世帯に成長しました。年間約30万人の健康管理を手掛けるまでになりました。
 仕事の内容も変わりました。がんで亡くなる人を目の前にして早期発見に夢を託した最初の活動から,暮らしの中のリスクを発見し,それを改めるための動機づけを探そうと健診の目的も変わってきました。
 2次予防の健診に生活改善,健康増進などの1次予防を組み合わせていかなければ健康にはなりません。人は誰しも自分のことに最も関心があります。「タバコは体によくありません」といっても愛煙家は他人のことだろうと思っています。「あなたのことなんです」というために健診が必要です。健診のデータは生活習慣見直しの重要な情報です。そこから意識変容の動機が生まれますし,意欲も喚起することができます。健康管理センターはいわば学校なのです。健康になるのは受診者自身,私たちはそのアドバイスをするサポーターにすぎません。もちろん熱烈なサポーターですが。
 もっと幅広い健康教育をするためにはもっと高度な健診の情報が欲しいと感じ,人間ドックを始めました。現在,年間に,2日ドック1万1千名,1日ドック2万名,標準コースのほかに,消化器コース,循環器コース,脳コース,レディース(婦人)コース,シルバー(高齢者)コース等受診者のニーズに合わせてさまざまなメニューを作り実施しています。
健康外来や痴呆予防教室
 
 人間ドックや健診の結果,本格的な治療が必要な人は適切な病院を直ちに紹介します。しかし,多くの場合,生活習慣の見直しが病人をつくらないことを教えてくれています。健診の後のフォローが最も大切なことです。高血圧や糖尿病,消化器や循環器のフォローはもちろん,肥満,タバコ,更年期等といったテーマで健康外来を開いています。
 痴呆の問題はこれから重要なテーマです。すでに初期の痴呆や前期痴呆といわれる人たちが高齢者の健診で少なからず見つかります。
 これらの人たちのために「脳いきいき教室」を開き,脳の活性化訓練をしています。
 痴呆については本態や原因等学問的には確かにまだ異論が多くあります。しかし,増え続ける痴呆の現実を前に,市町村の保健婦さんたちは今,介護福祉の問題で手が離せません。だからこそ,予防医学の大切さを痛感しています。精神科,脳神経科,公衆衛生等の専門家を含めて痴呆予防研究会を立ち上げました。みんなで知恵を出し合って予防できるものは予防しよう,それが私たちの姿勢です。
元気老人づくりで日本を健康にする
 
 高齢化が一層進めば,要介護の高齢者も多くなります。老人医療費も増加の一途をたどり,支える健康保険の財政は破綻し,将来への不安はますますつのるばかりです。
 今,最も必要なことはいかに元気な高齢者をつくるかです。もちろん,病気がないにこしたことはありませんが,高血圧があっても,糖尿病があっても,上手にコントロールしていこう,病気があるからといって病人にならなくていいのです。
 地域保健から始めた私たちの予防医学運動は,一人一人を大切に個別の健康教育を実施するかたわら,再び地域に目を向け,町や村の健康づくり,会社や事業所の健康管理の支援活動を拡げています。個人の健康ばかりでなく,破綻寸前の医療経済の建て直しには予防医学しかないと思うからです。健診と健康教育に熱心に取り組む所は,老人医療費も低下しています。健康づくりは町づくりでもあります。
 日野原先生の提唱された「新老人運動」は私たちの活動の集大成と考えます。待ちに待った運動です。健康社会運動として,国民運動として全世界に向かって大合唱を興しましょう。
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著者の近著
小山和作
いのちの予防医学
90歳まで元気で生きるために
熊日新書
熊本日日新聞社刊
952円+税

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