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新老人の生き方に学ぶ[6]
一寸した意地
山村 時子
 私は昭和20年医学専門学校を卒業した、平凡な開業医でした。開業も30年を越えますと、それ者らしくなっても、頭脳の内容は月日とともに消耗し、その上田舎医師で、勉強もしませんので、外見は医師らしくなりますが内容は貧相になるばかり、病院を辞めた時は本当にほっとしました。私は生まれついての健康優良児で、30年前タクシーに乗っていて追突された時以外には、病院の門をくぐったことはありません。こんな私も老いには負けて高血圧という病が訪れました。
 市役所から来た無料の老人検診の通知により、ある医院に行くことにしました。
 今までの私の生涯になかった通院が始まりましたが、1〜2ヵ月もすると、看護婦さんの態度に少しずつ不満を持つようになりました。
 もともと自信に満ちた堂々たる医師ではないので、私の態度には、おどおどした弱さがつきまとっていたのか、看護婦さんは、軽蔑の瞳で「薬ばかりこんなに飲むのですか」と言います。私を医師と知りながらなぜこんなことを言うのだろうと不審に思いました。
 薬の量としてもわずか4種でそれほど過量とも思えませんし、先生の指示ですから、看護婦さんには裁量する余地はないはずなのですが、なぜこんなことを言うのかと不思議でなりません。次の月投薬を受けた時も同じように、「薬ばかり飲んでどうするのですか」とまるで呆けた老人を諌めるかのように肩を叩きます。私は内心むっとしていましたが、沈黙を守りました。しかし、一つの推量がわきでてきます。多分この老女は、家族に嫌われて一人住まいしているのだろう。元女医なので、アパートの人々から体の不調を訴えられると、自分の薬を分け与え、饅頭の一つも貰うのを楽しみにしているのだろう。いじけた哀れな推量は私の心を酷く傷つけていました。
 翌月私はまた投薬を受けるため医院にまいりました。玄関をあがり、受診表を出すべく受付の前でカバンを開こうとしていますと、いきなり看護婦さんの叱責をうけたのです。
 「こちらの人が先です。こちらの人が順番が先です。貴女は後です」
 私はびっくりしてたった今玄関から入ってきた若い女性をふりかえりました。これは確かに私の方が先なのにと不審に思いつつも後に下がり、ああこの人は先約を申し出ていらっしゃったのだと納得はしましたが、看護婦さんは何も知らない私になぜこんなに高圧的に叱りつけるのかと嫌な気分になりました。
 私は診察券も出していませんし、先を争う言葉も口にしていません。看護婦さんは私に何を怒っているのでしょう。
 その時、私には一つの決意がうまれました。
 薬ばかりに頼っているのがいけないのだ。これからは薬から離れよう。永い永い開業中には、夜間勤務を繰り返すことが多く、眠りには何の心くばりもしませんでした。しかし、今は不眠に悩まされるようになり、この30年、眠剤なくしては全く眠れなくなっていたのです。これから眠れるかどうか不安でしたが、看護婦さんの意地悪な目は私を奮起させました。
 その日から幾日か安定剤や香料、あるいは食事と、夜中の2時3時までも頑張ってみたり、昼間の散歩の距離を延ばしたり、腰が痛い、足が重いと嘆きながらも、歯を食いしばっての努力が続きました。83の年齢に負けるぞと時には弱気になってみたり、絶望してみたりしましたが、5ヵ月を経た今、私は軽い安定剤で眠れるようになりました。また、血圧の薬も1日に三度の服用を一度ですましています。年に負けない力がまだまだ私に残っていたのを心から喜んでいます。
「宿貸さぬ人の心を情けにて、思わぬ夜半の月をみるかな」








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