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地域医療と福祉のトピックス−その38
     花を支える枝  
     枝を支える幹  
     幹を支える根  
   根はみえねんだよなあ  
  (相田みつを“にんげんだもの”より)  
“The Invisible way”(目に見えないこと)
カナダ・セントポール病院音楽療法士近藤 里美
病院の場で学ぶこと
 私の勤めるセントポール病院は、カナダのバンクーバー市の街の中心部に位置しています。ここでは、音楽療法士が14年前から、医療チームの一員としてさまざまな病棟で働いています。病院の重要な役割としては、入院してきた患者さんに対し、病気の原因を追求して、症状改善にむけ、医学モデルに沿った治療を施し、その効果を数値化して判断するということがあります。ある意味で病院は、病気退治をして、それをいかに目に見える結果にして出すかという“Cure”に力がそそがれる、いわば“戦いの場”というイメージがあります。しかし、それとともに、“Care”という、いわば“癒しの場”としても、重要な役割を持っていると思います。病院での生活は、忙しい日常生活から離れ、日ごろ背負っている肩書きを取り、自分にとって本当に大切なのは何かを考える機会を与えてくれます。また、病院内で次々と訪れる別れと出会いを通して、命のはかなさと、今ここに生きているという尊さの意味を知り、今まで当たり前のように考えていた自分の命とともに、他人の命をも大切にするという、人間にとって崇高な生き方を学べる機会も与えてくれることがあります。さらには、“人の優しさ”や“美しいもの”に触れ、魂から感動するという、人間の存在にとって必要不可欠な体験を可能にしてくれる場所でもあります。そのような感動は、私たちの中で“生きる”という姿勢に、非常に深く、そして大きな変化をもたらしてくれますが、数字には表わせませんし、必ずしも目に見えて結果が現れるというわけでもありません。私たちは日ごろ、あまりにも目に見えるものばかりに頼ってしまって、目に見えない大切なことを忘れがちになってはいないでしょうか。
 音楽療法の仕事は、この目に見えない大切な価値に関わることが多くあります。私は、集中治療室や、緩和ケア病棟を中心に働きながら、ともすると医療科学ばかりが強調される中、人間が生きるということに関して、人間科学と芸術の大切さを、深く考えるようになりました。
音楽療法士として
 病院で働く音楽療法士にとっては、“何が病気の原因なのか”に興味があるのではありません。“何がこの人を生きようとさせているのか”、またさらには“この人は本当に生きたいのか、生きようとしているのか”ということに興味があります。隠喩的に言うならば、音楽療法に関わる私は、自身が音楽となり人と関わる中で、患者さんが発する命の音に自分の心の耳をそばだてながら、お互いの音楽を聞き合い、ハーモニーをとりながら、独自の時間と空間を創り出し、その過程を通して、今度は逆に、その空間から放たれた光が、“愛”とか“人とのつながり”とか“生きる意味”といったものになって、その人の前に鏡のように明らかしめるということに、大きな意味があります。もちろんこの音楽空間には、音楽そのものだけでなく、会話、さらには音のない音楽、いわゆる沈黙の中で、患者さんや、その家族の方々と“共にいる”ということも含まれています。
医療スタッフとともに
 セントポール病院で音楽療法士は、医師、看護婦(士)、ソーシャルワーカー、理学療法士、作業療法士、薬剤師、栄養士、チャプレンを含めた医療チームの一員となって、患者さんのケアにあたっています。毎朝、患者さんの状態を報告するミーティングが開かれ、それぞれのメンバーが、専門的な見地からの意見を出し、患者さんを中心にした家族やケアギバーの方々に対する総合的なケアを話し合う中で、音楽療法への委託がされることになります。私の仕事は、アセスメントに始まり、療法の計画を立て、実施し、常に他のスタッフと、口頭やチャート上のコミュニケーションを図りながら、フィードバックを行うことが中心となります。私は通常、特別注文の車輪のついたキーボードや、ギター、時にはライヤーをもって、患者さんのベッド脇に座り、音楽を分かちあっています。音楽を中心にしたリラクゼーションや、瞑想、患者さんの気持ちや希望を音楽にして表現したり、言葉では表現できないメッセージなどを音楽を通して伝えたり、音楽そのものがもつ美しさやメッセージを、そのまま味わうことに関わります。また、医師や看護婦(士)とともに、医療作業における際の、痛みの感覚を少なくするために、患者さんにとって意味深い音楽で気を紛らわせたり、理学療法士とともにリハビリテーションに音楽をつかって動機づけをしたり、チャプレンとともに心を癒す音楽を提供したりすることも多くあります。
人との関わりの中で
 多くの場合、今まで音楽療法は、いろいろな要素を含む音楽そのものが、人間の身体機能に変化をもたらして、血圧や呼吸数を落ち着かせるというように、目に見える効果が強調されてきました。私も、集中治療室の無意識状態の患者さんにおいては、モニター上の血圧、脈拍、呼吸数、そして体温の変化のみに集中して、それに合わせたり、安定させようと、数値ばかりに目が向けられ、肝心の患者さんや、ケアギバーの方々と共にいるいるという“過程”というものを、どれだけ大切にしていたのだろうと、もう一度省みたいと思います。一方では、ICU(集中治療室)シンドロームといわれるように、あらゆる最新医療器機に囲まれ、私たちの日常生活から隔離された環境の中で、人間との関わりが希薄になって、本来、私たちが潜在的にもつ人間としての治癒力を低下させることもあるということが理解されつつも、音楽を通した人間との関わりの大切さを強調することを恐れていた気がします。音楽のもつ不思議な力を認識し、“人間の魂を揺さぶるもの”として、人間にとって深く関わるものと評価しながらも、医療の場になると、すっかり忘れてしまったかのようになるのはなぜでしょうか。
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筆者と患者さん
 私が関わってきた患者さんや、ケアギバーの方々は、彼らの身をもって、音楽を通した人間の関わりの大切さを教えてくれています。入院生活が9ヵ月にもなるAさんは、お子さんのことを心配しながら、私に何度も、“長い冬のあとには、春がきて、きれいなバラが咲く”という歌をリクエストし、涙を流しながら、最後のフレーズをくり返し口ずさんでいました。昏睡状態の続くBさんの家族は、ベッドの傍らで奏でる私の音楽に合わせて、Bさんの手足をマッサージしながら、“お父さん、こんなこともあったねえ”と、思い出話をしながら、意味深い時を過ごしていました。死を迎えるCさんの枕元では、家族の一人一人が、伝えたい気持ちを歌にし、私に託して、Cさんの手を握りながら、深い悲しみと向き合いながらも、その中に意味を見つけようとしていました。このように数字では見えない過程は、患者さんやケアギバーの方々だけでなく、医療スタッフの一人一人にも、非常に深い影響を与えていることを忘れないでほしいと思います。
“私が集中治療室で覚えていることといえば、目がさめると、あなたが私の傍らでピアノを弾いていたことです。私はその瞬間、あなたの音楽の中にいました。今まで真っ白な天井でしがなかった壁から、何か暖かい光のようなものが降ってきて、つつみこんでくれるような気がしました。それ以上に、私は一人ではないんだと、生きていること、生かされていることが嬉しくて、涙がでてとまりませんでした。”
(ある患者さんの言葉より)








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