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第2部 うつへの対応
I うつにどう対応するか
1.喪失の特定
 では,うつ状態になったときにはどうすればいいのでしょうか。
 うつになったということは何かを喪失しているわけですから,まず,喪失を特定することです。内因的ではないうつ病の場合,原因が外側にあるわけですから,その喪失が何かということを特定することが大事です。これはそう容易ではありません。みなさんの場合,普段の生活で何となく落ち込んでいると自分で意識したことはないでしょうか。そのときに,自分自身で何を喪失しているのかを考えてみていただきたいのです。
 どうしたらこの落ち込んでいる気持ちを引き上げようかということを考えて,どこかにおいしいものでも食べに行こうかとか,面白い映画でも見に行こうかと計画するかもしれません。そのときは気分がいいかもしれないのですが,またしばらくすると落ち込んでしまうでしょう。ですからまず真っ先に,喪失を特定しなければなりません。何を失っているのだろうかということをつきとめることです。
 普段からこのようにしていると大きな喪失をしたときでも非常に助けになります。私たちの気分は一日のうちでも結構上がり下がりしているものなのです。自分で落ち込んでいるようなときに,それを意識できたらいいのです。
 喪失の中身も,単純なものもあれば,複雑なものもあります。どのような喪失にもいくつかの側面があります。リストラされたというのは仕事の喪失ですが,その他の側面での喪失にもつながっていきます。その人が仕事を失えば,仕事だけですむでしょうか。そうではありません。収入にも響きます。社会的地位も脅かされます。生きがいも失います。仕事上の人間関係も失います。自分だけがどうしてリストラされたのかということでは自信も失います。生活のパターンも喪失します。いろいろなものを私たちは失うのです。
 また,病気になることも喪失になります。自信も失うでしょう。社会的なイメージも失います。病気だと知られたことで,自分への接し方が変わったように思うという人がかなりおられます。さまざまな機会を失うかもしれません。
 その人の育ってきた背景とか,年齢によっても,その喪失の側面は変わってくるのだということです。59歳でリストラになったのと,30歳でリストラになったのとではその中身は違うでしょうし,同じ30歳でも独身というのと,子どもが3人もいる人とでは違うでしょう。ローンを抱えているのか,そうでないかによっても違います。あるいは,初めてリストラに遭った人と,何度もリストラに遭った人とでも違ってくるのではないでしょうか。80歳で病気になった人と,30歳で病気になった人でもその喪失は違うでしょう。
 喪失の詳細がわかればわかるほど,適切な対応が可能になるということです。ですから,喪失の側面をしっかりと理解することが大切です。これが第1番です。
2.抽象的喪失の分離
 喪失は2つに分けることができます。ひとつは具体的な喪失です。もうひとつが抽象的な喪失です。
 では,具体的な喪失とは何かというと,見たり,触ったり,測ったりすることのできる喪失です。先ほど言いました仕事もそうですし,人,車,お金,カメラ,時計,洋服,家などです。
 抽象的な喪失とは何でしょうか。生きがい,夢,希望,名声,こういったものは見たり,触ったり,測定したりできませんね。
 具体的な性質と,抽象的な性質というものがありますが,具体的な性質の中に抽象的な性質も含んでいますし,抽象的なものの中に具体的なものもあります。お互いに含まれているのです。たとえば仕事というものの中には夢や希望もありますから,職を失ったという具体的な喪失には,抽象的な喪失も含まれていますが,抽象的な性質というのは形がありませんから,本当の喪失とかけ離れていることを喪失したと感じているとしたらどうでしょう。これは大変です。
 失恋で恋人という具体的な人を失ったとします。恋人を失ったとすると,その抽象的なもの――将来に対する夢,希望など,つまり自分の人生はここで終わったというようなショックを受けるのではないでしょうか。しかし,実際もそうでしょうか。みなさんも失恋を体験していない人はないのではないでしょうか。それでも実際今も生きていられたのですから,人生が終わっているわけではありません。そのときは自殺をしたいと思ったかもしれません。それはあまりにも抽象的な喪失が大きく,失ったものを大きく感じてしまったからです。
 したがって,抽象的喪失というものを具体的な喪失からきちんと分離することによって,真の喪失に適切に対応をすることができるのだということです。この逆のこともあります。喪失をあまりにも小さく理解しすぎて問題だということもあります。その結果,喪失に対する対応が遅れてしまうのです。
 抽象的喪失を分離することが非常に大事なのだということはご理解いただけたと思います。ですから,喪失している人に対して,友達とか家族が,そんな喪失は大したことではないのだというのはあまり効果はありません。失恋した人に,「またいい人が見つかるから」というような言い方をしたらどうでしょうか。おそらくは逆にもっと自分で喪失を過大に意識してしまうかもしれません。そうした対応は決してプラスではないのです。ここでは具体的にどうしたらというところまでは触れませんが,ただみなさんが自分で喪失というものが一体どの程度のものなのかということを具体的に自分の中で分類してみることが非常に大事だということを指摘しておきたいと思います。
3.真の喪失から想像上の喪失を分離
 喪失に適切に対応するには,真の喪失から想像上の喪失を区別することだと言いました。そしてまた,抽象的な喪失と具体的な喪失の両方に,それぞれ想像上の喪失もあるのだということも話しました。実際に喪失していないのに,喪失したと思った場合は,同じような結果を体験しますから,たとえ小さな喪失でも大きな喪失と同じようなエネルギーを必要とします。
 みなさんがハンドバッグを開けたところ,入っているはずの財布がなかったとします。あのとき落としたのかもしれないと錯覚したとします。これは喪失です。私たちは,想像上喪失しているものが案外たくさんあるのかもしれません。なくなったと思っていたものが,あるときひょっこり出てきたなどということもあります。これは具体的なものでも想像上喪失しているといえます。友達についても,電話がこないからもう友達ではなくなったと思っているのかもしれませんが,ある所でバッタリ会ってそれが誤解だったということがわかったということがあるかもしれません。これも具体的なもので,想像上喪失していたということです。
 抽象的なものでは特にそうですね。自信の喪失,注意されただけなのにその人の信頼まで失ってしまったと思い込んだりするのです。これはまさに真の喪失から,想像上の喪失を区別する必要があるということです。
4.悲嘆のプロセス
 最後は,抽象的喪失を分類し,真の喪失から想像上の喪失を区別しますと,残ったものは本当の喪失です。喪失を乗り越えるためには,悲嘆のプロセスを辿る以外に方法はないということです。
 喪失をしたときには,いろいろと強がりを言ったりするのではないでしょうか。それは絶対に効果はないということです。それは真の解決ではないということです。回復するためには悲嘆のプロセスを辿らなければならないのです。
 失ったものは悲しむことが大事です。真の喪失から逃避してはならないということです。喪失すればさまざまな心の痛みがあります。それを悲しむということです。
 みなさんが何かを喪失したことを友達から聞いたら,みなさんの普通の反応は,「誰にだってそんなことはある」とか,「そんなことは忘れなさい」などと言います。それでは効果がないのです。カウンセリングでは,むしろその真の喪失,心の痛みを悲しむように援助してあげることなのです。
 失ったものに対する反応としてうつ状態になったとします。そこからの回復は,その喪失に対する悲しみというプロセスを辿らなければ,真の意味での回復はあり得ないのだということです。
 悲しみとはどういうことかというと,喪失というものをきちんと真正面から受け止めることです。「大したことではない」とか,「みんながそうだ」ということは受け止めるということにはなりません。受け止めることによって初めて喪失に適応できるのだということです。失ったものに対して適応するためには,私たちはそれを悲しまない限りはそれに適応することはできないということなのです。
 みなさんにもこういう経験があるのではないでしょうか。お金を貸したことは決して忘れないでしょう。なぜだと思いますか。喪失だからです。相手は忘れている。それをきちんと話せば,つまりそれは喪失をきちんと受け止めることですが,お金を返してもらえるかもしれないし,あるいは返らないものとあきらめることもできるのですが,その事実を遠ざけてしまうのです。そうすればするほどその喪失は解決されていませんから,それをいつまでも忘れられないのです。借りているほうは喪失ではありませんからね。
 喪失というのは,私たちがそれをしっかりと受け止めて,それを悲しみ,その喪失という状態に対して適応していくことなのです。そして,喪失というそのものの状態を受け入れることなのです。そうすることによって,それに適応することが可能になってくるものなのです。
 喪失に対してどう対応したらいいかということを簡単にまとめてみました。みなさんがこの失ったもののプロセスに十分に対応することは可能なのです。若さを失うということもまさにそれに該当します。その現実をきちんと受け止めなければなりません。








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