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IV うつクライアントとその幼少時代
1.早期の喪失
 子ども時代に対象喪失を体験すると,一体その子どもは心理的にはどのような影響を受けるのでしょうか。人生の早期における喪失は,大人になってからうつ状態になりやすくします。
 
●喪失への過敏さ
 その理由の第1は,子ども時代に喪失を体験すると,人生で誰もが直面する通常の喪失に対しても,必要以上に過敏になってしまうからです。例えば,厳格で完全を求める親から頻繁に批判を浴びて育った子どもは対象喪失を体験しやすいのですが,その子どもが大人になった場合どうなるのでしょうか。
 上司のちょっとしたアドバイスや何気ない言葉や態度に対して,上司が求める基準に自分の仕事ぶりが合っていないのではないかと思い込んだり,または,自分は上司から信頼されなくなってしまったのではないかと考えたりしてしまうのです。その結果,落ち込み,そして,うつ状態になってしまいます。上司でなくても,家族や友達から言われたりしても似たような反応をしてしまいます。他の人から見てそんなことはないのではないかというような些細なことに対しても,非常に過敏に反応し,容易にうつになってしまうのです。それは早期に喪失を体験したために,生きていく上では当然遭遇するような些細な喪失についても,何か大きな喪失をしたときと同じように感じてしまうからです。
 
●呼び起こされる喪失
 第2は,大人になってから,子どものときに体験した喪失と似たような喪失を体験すると,子ども時代の喪失に伴っていた感情が呼び起こされる場合です。たとえば,長女だった人が自分の大切にしているおもちゃを,母親から「あなたはお姉ちゃんなんだから,妹たちに貸してあげなさい」と,長女なんだからといってたえず貸すように言われていたとします。このような場合,彼女は子ども時代に継続的に喪失を体験していたといえます。そして,彼女は大人になると,周りの誰かが何かを必要としていると感じると,自分に責任がなくともいつも自分はその人に何かを与えなければならないという思いに駆られてしまうようになるのです。つまり,彼女は絶えず喪失を体験する状態になっているのです。
 
●重なる喪失
 第3の理由は,以前の喪失が解消されないままに,新たな喪失を重ねていくことです。ある方の例ですが,小学生のときに,可愛がってくれた祖母を失ったのに,きちんと悲嘆のプロセスを辿っていない中で,高校生のときに友人を事故で亡くしました。更に,結婚して30代のときに乳癌になりました。この3つの喪失が重なって,うつ状態になってしまったのです。もしこの一つひとつの喪失を解消してきていれば,うつ状態にはならないですんだでしょう。喪失を重ねてうつ状態になってしまうと,一つひとつの喪失がうつ状態にまでには至らないとしても,大きな喪失と同じ重さになってしまいます。この場合は重い症状になることも多く,抗うつ剤の投与もあまり効果があがらないことがあります。このような場合は,心理療法によって何を喪失したのかを探り,それらの喪失を一つひとつ見出し,新たに悲嘆のプロセスを辿っていくことで回復の道をつけていきます。
2.早期の不安
 子ども時代というのは不安定な時期です。特に乳児や幼児は不安定な時期なのですが,親は意識しないで子どもを不安な状況に追いやってしまうことがあります。
 
●ライバルの出現
 これはよくあることですが,妹や弟の誕生によって,長女や長男に対する親の態度が変わってきたとします。これまであらゆる愛情を独り占めしていたのに,お姉ちゃん,お兄ちゃんにされてしまいます。もちろん,親が変わったわけではないのですが,子どもの側から見たら,妹や弟が生まれたために親が変わってしまったのだと思い込んでしまうのです。子どもは親が置かれている状況を親の視点から理解することなどできません。子どもというのは,親の態度や言葉遣いの変化にはとても過敏です。子どもの世界が大きく変化したわけですから,子どもは相当の不安を感じてしまいます。
 
●両親の離婚
 両親の離婚によっても家族関係が変わってしまいます。どちらかの親との別離が早すぎてしまうことになるのですから,子どもは親との分離を非常に強く感じてしまいます。あるいは,共働きで母親が忙しいために,祖母などに預けられて寂しい思いをしますと,子どもは親から見捨てられたかのような不安を感じてしまいます。共働きをすれば必ずそうだといっているのではありません。そのようなリスクがあるということです。意識して子どもに配慮をすれば問題は起こらないのです。
 
●子どもの反応は
 それでは,早期の不安に直面すると,子どもはどのようにその不安に対応するのでしょうか。子どもは,親の期待に何とかして応えようと必死になることで安心を得ようとします。このような必死な努力は子どもの防衛なのですが,子どもが親の顔色をうかがうようであれば注意する必要があります。
 「分離不安」という精神疾患がありますが,子どもが分離不安を感じていると,子どもは親の期待にかなっているという確信をもつことが不可能になります。どんなに親の期待に応えるように努力をしても,それで十分ではないように感じてしまうのです。
 自分の努力が十分ではないと感じたら,子どもは何をすると思いますか。自分が十分ではないとなると,自分で自分を罰するようになるのです。自分を罰するということは,嬉しいことや楽しいことがあっても,それを否定してしまうようになるということです。つまり,自動的かつ無意識的に喜びなどの肯定的な感情を抑える傾向を身につけてしまうのです。
 仕事を休んでレジャーを楽しんでいると,何か悪いことをしているような思いにならないでしょうか。あるいは,主婦が家事や育児で疲れたからといって,何もしないで寝ていたら罪悪感に襲われないでしょうか。もしそうであるとしたら,子ども時代に早期の不安を体験しているのかもしれません。肯定的な感情を抑えるようになってしまうのであれば,当然,うつ状態になりやすくなるでしょう。
 早期の不安は,家庭の中だけではなく,学校教育の過程でも生じています。例えば,日本では,1ヵ月程度の夏休みにたくさんの宿題が出されます。アメリカでは2ヵ月半の夏休みでも宿題はありません。これも日本では子どもたちに,休みとは積極的に計画を立てて楽しく,かつ有意義に過ごすよう教えているようには思えません。また,学業の評価も他者との比較を土台としてなされたりしますので成績に必要以上に過敏になってしまいます。
 このように日本の社会システムの中には,早期から安心していられないような価値観が支配しているように思えて仕方ありません。このあたりにもうつ的な国民性が感じられます。








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