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早期退院と医療変革―医療経済の立場から―
 広島国際大学医療福祉学部医療経営学科 安川 文朗
 
 患者の早期退院を医療経済的に検討するには、早期退院と在宅医療をとりまく需要と供給の動向を正しく把握しなければならない。需要の動向とは、患者自身や家族の、早期退院・在宅医療移行への具体的な意思決定とその実行であり、供給の動向とは、在宅医療を支援するサービス提供態勢に関わる問題である。
 厚生労働省の「患者調査」によれば、病院から退院した人の平均在院日数は、1990年以降低減傾向にあり、特に65歳以上の高齢患者に顕著な早期退院の傾向がみられる。また疾病分類別では、悪性新生物(癌)、循環器系疾患において平均在院日数の低減が顕著にみられる。また年齢別の平均在院日数をみると、80歳以上の退院患者の平均在院日数が急に上昇していることがわかる。すなわち、予想される在宅医療サービスのユーザーは、長期にわたり入院生活を経験した、高齢で、かつ癌および循環器系疾患の急性期を経過し慢性期に移行した人々、言い換えれば医療と介護の両方を必要とする人々ということができる。
 ところが、これらの人々がすべて“実際に”在宅医療を受けたり、受けることを希望しているわけではない。同省の「受療行動調査」の平成8年度と平成11年度のデータを比較すると、病院を退院した者(推定)のうち家庭にもどった人の割合は、平成11年でわずかながら減少し、退院後老人保健施設や福祉施設へ移った人の割合が増加している。また、患者の在宅医療受診希望についても、病院への通院や専門病院への入院などと比べて、その割合は意外なほど小さい。さらに、在宅療養に必要な要件として、多くの患者や家族が「家族の協力」を圧倒的な割合で第一にあげ、続いて「緊急時の連絡体制」「ホームヘルパーの訪問」が必須の要件と答えている。こうしたデータからわが国の在宅医療の状況を要約すれば、高齢者の早期退院が促される一方で、家族の協力態勢が十分ではなく、また何かあったときにすぐに診てもらえる緊急医療体制に不安を抱いているなどの理由から、退院患者の多くが老健や特養などの施設への入所を選択しているといえる。
 こうした在宅医療の需要動向は、いうまでもなく在宅医療サービスの供給サイドの動向と密接に関連している。在宅サービス供給の動向を決定する要因は、在宅関連諸施設の整備状況と在宅医療に従事する医師と看護婦のマンパワーの問題である。関連施設のうち、訪問看護ステーションは毎年30%以上の増加率で増えているが、中小民間事業者が実施する在宅医療関連サービスの動向は十分把握されていない。しかしより重要なのは、在宅医療マンパワーの問題である。そこで在宅看護のマンパワー問題を考えてみよう。
 
 日本の看護婦の約73%は、病院で勤務している。そして病院(一般・精神含む)における100床あたり従事者でみても、唯一看護婦(士)だけが年々顕著な増加をみせている。このことは、[1]医療政策において、看護婦の増員が医療の質向上に資する重要課題であるという認識が一般化しているとともに、[2]日本の医療政策における病院の役割が依然大きいことを示している。日本の看護婦需給は近年かなり均衡してきたといわれているが、それは、昨今の経済不況により潜在看護婦が徐々に顕在化してきていることと無関係ではない。しかし、顕在化した看護婦マンパワーは、病院の看護婦需給均衡要因とはなるものの、なかなか在宅部門への労働供給源とはなりにくい。その理由として考えられるのは、看護婦養成の課程では在宅看護に関する教育がまだ十分ではないことや、若い看護婦は相対的に高度な病院看護に対する強い選好を持つということがある。さらに、在宅部門の看護では、施設での看護と異なり、サービス提供に必要なあらゆるリソースの調整を看護婦自身が行うことが要求される。そのためには、医師からの指示を忠実に履行することが優先されてきた従来の看護婦の働き方とは大きく異なり、自律的で適切な意思決定を絶えず行っていくという高度な管理能力が必須となる。最近の研究では、こうした在宅部門特有の能力を発揮することに不安をもつ看護婦は、在宅部門での就業に躊躇する可能性があることが統計的に指摘されている(Yasukawa&Tsuru(1998))。在宅医療におけるマンパワーの不足は、単に数の問題ではなく、在宅におけるクライアントの個人的・社会的問題解決に十分対応できるだけの技量をもつワーカーの不足として認識されなければならない。
 
 ところで、在宅医療推進の論議のなかに、家族はどう位置づけられているであろうか。在宅での療養に必要な要件として家族の協力が必要なことはいうまでもないが、それはサービスの担い手としてではなく、クライアントの療養生活を精神的に保障し、不測の事態に際してクライアントの状況を最も適切に代弁できる者としてあるべきだろう。しかし現実には、わが国の在宅医療の態勢は、家族を重要なワーカーとして位置づけ、これが欠けたとたんに在宅医療そのものが破綻してしまうケースが少なくない。
 家族の機能を重視する傾向は、先進国の高齢者医療に広く観られる傾向だが、在宅医療とは、決して「家」や「家族」を治療の単位とするという意味ではない。家はクライアントにとっても家族にとってもいわば最後の安らぎの場であり、できうる限りその環境は保存しておくべきであろう。在宅医療の社会的コストとベネフィットを計算する際、一般的には家族の機会費用(家族が仕事を中断して介護に従事することによる逸失利益)を算出するが、本来、こうした家族の生活時間を専門ケアの「代替」として考慮することは望ましいことではない。家族の機能はむしろ専門ケアの「補完」でなければならない。なぜなら、ケアの専門家は、最も限界状況に置かれたクライアントの心情や痛みを完全に理解し癒すことはできず、それはもっぱら家族にのみ可能な仕事である。だからこそ、その余力を家族に残しておかなければならない。この観点から現在の在宅医療サービスの資源整備状況をみると、家族への「業務代替」の依存度がいかに高いかが推測できる。
 昨今の医療制度改革では、医療における金銭的資源配分の効率化が最優先されており、クライアント自身の療養者としての幸福と家族の幸福とがトレードオフの関係に置かれている。本来の医療改革は、高齢で危機的疾患を乗り越えた人々が、家族とともに安心して療養できる環境とは何かを考える改革でなければならない。そのためには、先のマンパワー整備を急ぐとともに、急性期から慢性期を通じてひとつの施設でケアを受けられる体制(英国のケア・アクト(2000))や、病院医療とナーシングホームの療養費を通算して保証する経済保障制度の創設(米国メディケア)などの制度改革を断行すべきである。








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